異質が溶け込んでから
「そういえばお前、あとで何か話すとか言ってなかったか?」
あらかたの治療も終え、ちょうど岸谷さんとセルティさんがリビングに戻ってきた頃。
思い出したように言った平和島さんは、私の心臓をどくりと鼓動させた。
「あ、そうだったの?じゃあ僕らは席外そうか、2人の方が話しやすいだろうし」
「いやッあの、」
未だ扉の方に立っている2人に向けて放った声は思った以上に大きくて、その様子に驚いたのか、岸谷さんが目を丸くする。
…セルティさんや平和島さんには、話す必要があると思う。
私がおかしな発言をする瞬間を見てるし、特に平和島さんには、あとで話すと約束したのだから。
けれど、3人全員に話す必要は、あるのだろうか。
そもそもこれは、必要性の問題なのか。
ただ私が、
「…おふたりも。良ければ聞いてもらえませんか、」
ただ私が、抱える苦しみから解放されたいだけなんじゃないのか。
私と真逆の思いを抱いている臨也さんしか知らないという現実に、耐え切れなくなったからなんじゃないのか。
確かにそうは思うけれど、もう、きっと限界だった。
「…うん、わかった」
別に、誰にも話しちゃいけないなんて言われてないのに。
なのになぜか、臨也さんを裏切ったような気分になって、胸が少しだけ詰まったような感覚に陥った。
「で、話って?」
最後の絆創膏を貼り終え、「サンキュ」と言った平和島さんに言葉なく頷けば、彼はソファーに座り直してそう言った。
…無意識のうちに作っていた拳が、少しだけ震える。
《…希未ちゃん、無理に話さなくてもいいんだぞ。今日は色々なことがあったし、》
「いえ、だいじょう ぶ、です」
「…マジで大丈夫か?」
「…はい」
今この瞬間を逃したら、二度とチャンスは訪れないような、そんな気がした。
きっとそんなの気のせいで、だって、多分私は、もう臨也さんのもとには戻れなくて。暮らすとすれば、恐らくは知り合いも多い池袋になるだろうから。
話そうと思えばいつだって話せる。
そんな環境ができるだろうに、なぜだか私は、不安のような焦燥感に掻き立てられていた。
「……信じられないかも、しれませんけど。信じてくれるって信じてるから、話しますね」
「…うん」
右斜め前方から聞こえた岸谷さんの声に、いよいよなのだと体が強張った。
けれどいつまでも、黙りこくっているわけにはいかない。
だから私は、ゆっくり息を吸って、吐いて。
「私は。この世界の人間じゃ、ありません」
喉の奥から絞り出したような声は、情けないことに震えて、恐々としか言いようがなかった。
そしてその瞬間抱いたのは、言わなければ良かったかもしれない、という思いで。
「それって…どういうこと?」
「…1年くらい前に、事故に遭ったんです。岸谷さんは知ってると思いますけど、車に跳ねられて…何か所か、怪我をしたんです」
ひとつひとつの言葉をかみしめるように、ゆっくり、けれどはっきりとつむぐ。
本当は、すごく不安で、怖い。
言わなくてもいいなら言いたくない。
けれどそんなの自分が耐えられなくて、だから、“平和島さんと約束したから”という逃げ道を、こうやって作って。
「…それで私、意識を失ったみたいで…目が覚めた時には、倒れてる私に声をかける臨也さんが目の前にいたんです」
《でもそれがどうして、この世界の人間じゃないってことになるの?希未ちゃんは事故に遭ったんだし、もしかしたら記憶が欠落して、》
「違うんです、」
違うんですよ。
そう放つ少し前。あの人の名前を口にした瞬間。私のすぐ隣に座る平和島さんが、わずかに反応した。
こんなの、あの人に話す時でさえ、ここまでの不安感や恐怖感を抱いたりしてなかったのに。
「…私は臨也さんのことを、出会うよりもずっと前から、知ってたんです」
「……どういうことだ?」
「臨也さんだけじゃなく、皆さんのことも、…私は、出会う前から知ってました。皆さんは私にとって――…事故に遭う瞬間まで私が当たり前に生活していた世界にとって、」
これを言ってしまったら、本当に終わりかもしれない。
そんな漠然とした恐怖のようなものを感じながら、ひときわ大きく息を吸い込んで。
「小説やアニメの、キャラクターだったから」
私がそう言い切った瞬間、静寂が訪れた。
けれどそれも無理はない、むしろ当然だとさえ思う。
だって私が言ってることは明らかに普通じゃなくて、おかしくて。
けれど、ため息をついた平和島さんは。
セルティさんと、岸谷さんは。
「…どういうことだ」
「……えっと、」
《私はキャラクターなのか?》
「はい、キャラクターです」
「僕も?」
「はい、岸谷さんもそうです」
「俺もか」
「…もちろん、平和島さんもです。皆さん、デュラララっていう池袋を舞台にした作品のキャラクターです」
そう、たかがキャラクターだった。
私の生きていたあの世界ではこの人たちはキャラクターでしかなくて、絶対に会うことがないどころか、現実に存在している者たちですらなかった。
なのにどうして私は、自分の正体を伝えることに、こんなにも不安や恐怖を感じていたんだろう。
「……あ、」
それは紛れもなく、私がこの世界の人間になってしまった証だった。
どうして忘れていたんだろう
(その答えは、もうすぐわかる)
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