厄介な承認欲求
「あ、おかえりセルティ」
あれから数分と経たずあの場を離れた私は、セルティさんに連れられ、彼女たちの自宅にやってきた。
そうしてセルティさんに続いて入った玄関で、出迎えてくれた岸谷さんと目が合ったので挨拶を、
「…お邪魔し、」
「希未ちゃんは久しぶ……って、あああああ!」
「……ま、す…」
…しようとした瞬間、遮るように放たれた岸谷さんの叫びに、私の肩が大きく震えた。
人の顔見るなりそんな風に大声を上げるだなんて、どうしたんですか岸谷さん。
贄川春奈を担いで家の中へと入っていったセルティさんを眺めながら、そんなことを考える。
「…えっと、どうし」
「あの女の子のこと、本当にごめんッ。僕がしっかりしていれば――…」
「……ああ、そのことはもういいんです。私こそすいません、事情も話さないまま、変なことをお願いしたりしてしまって。岸谷さんにもセルティさんにも、ご迷惑おかけしました」
それにとどまらず夜分遅くにお邪魔してしまって、たびたびすみません。
そう言って深々と頭を下げれば、岸谷さんが「え」と小さく声を上げた。
「…希未ちゃんってこんな子だったっけ?」
「…こんな子?」
「いや、なんていうか。失礼な子だとは微塵も思っていなかったしむしろ礼儀正しい子だとは思っていたけど、ここまでだったかなあと思ってね」
口元に手を当てながら不思議そうに私を眺める岸谷さんは、「頭でも打った?」と相変わらずの不思議そうな表情で私を見る。
…それ、1年くらい前の私にだったらぴったりの言葉だったんですけどね。異世界から来た的な意味で。
「まあいいや、とりあえず上がって。もうすぐ春とはいえ夜はまだ冷えるからね、何か温かいものでも淹れよう」
「…あ、お構いなく…」
白衣を翻し歩き出した岸谷さんに続き、ついさっきまでの陰鬱な気持ちや外の暗さとは対照的な、やわらかな光のともる明るい廊下を歩く。
そうして開かれたリビングに続くドアの向こうには、
「よう」
傷だらけの、平和島さんがいた。
「もう、来てたんですか」
「ついさっき来たばっかだ」
「えっと……お疲れ様です…?」
「何だよそれ」
傷だらけの平和島さんを前に何と言っていいかわからずに放った言葉だったけれど、彼は不機嫌になることもなく、うっすらとした笑みを浮かべた。
彼の強さというか頑丈さというか、そう簡単に大きな怪我を負う人じゃないと知っていたからこその言葉だったけど、どうやら間違えてはいなかったらしい。
「ごめん希未ちゃん」
「はい?」
紅茶の入ったカップをテーブルに置いた岸谷さんが、未だ突っ立ったままの私に声をかける。
…久々に会ったというのに、謝られてばかりだな。
そんなことを思いながら「どうしたんですか」と付け足して聞けば、廊下の方を指さして。
「僕はセルティが連れてきた子のことちょっと診るから、静雄の手当しといてもらえない?」
「ああ、はい、わかりました」
「簡単な道具ならこれに一式入ってるから」
救急箱(という認識で合っているのだと思う)を私に渡し、岸谷さんがドアの向こうに消える。
…とりあえず、どうしたらいいのだろう。
「…あの、平和島さん」
「何だ?」
「ついさっき来たばっかりってことは、まだ水で洗ったりとかも、してませんよね」
「ああ、してねえ」
「じゃあとりあえず、水で洗いましょう」
見たところ、背中とか二の腕の辺りとか、ぱぱっと洗い流せない場所にも傷があるようだけど…まあ、ティッシュを湿らせて拭けば大丈夫だろう。
何だかふわふわとした思考のまま、救急セットを置いた私は平和島さんとともにキッチンへ向かった。
「痛い、ですか」
「いや、大丈夫だ」
なんというか…流石平和島さんだな、と改めて思わされた。
切り傷はあれどそこまで出血はしてないし、やっぱり頑丈なんだな、この人。
「希未」
「…え、あ、はい?」
それでも特に傷が深そうなところには、包帯を巻いた方がいいだろう。
そう思いながらぐるぐると白いそれを巻きつけていると、平和島さんが私を呼んで。
「ありがとな」
…何ですかいきなり。
突然のことに顔を上げてみるけれど、当の本人が視線を落としているせいで、私たちの視線は絡まない。
「…いや、手当程度でお礼なんて、」
「違ぇよ」
「…え、違うんですか」
じゃあ何に対してお礼を言われているのだろう。
口にはしないでわずかに首を傾げれば、平和島さんが少しだけ顔を上げた。
「さっきのこと」
「さっき?」
「お前が俺らと別れる時だよ。言ってくれただろ、色々と」
ああ、あの時のことか。
そう思いはするけれど、厳密にどのことを言っているのかはわからない。
でもきっと平和島さんのことだから、その中のどれかではなく、すべてに対して「ありがとう」と言ってくれたのだと、思う。
「少し は、役に立てましたか。私の言葉」
「おう。お前のおかげで色々気付けたよ」
「……なら、良かった です」
そう言いながらも、本当はわかっていた。
私がいなくたって、何も言わなくたって、平和島さんは気付くことができただろう。変わることが、できただろう。
私がこの件に一切関与しなくたって、平和島さんは自分を認めることができて、少しでも自分のことを、好きになれて。
自分の力を、受け入れることができたのだ。
だってそれが、時に私が恨めしく思う、“作品通り”“筋書き通り”の未来だから。
なんてことは、嫌になるくらいにわかっていたけれど。
「ありがとな、希未」
少しでもいいから、この世界における私の存在意義を見出したかった。
私がこの世界に来たことに何の意味もないなんて、…私がこの世界に来た意味が、あの人を楽しませるためだなんて、思いたくなくて。
「どう いたしまして、」
へたくそな笑顔を浮かべる私は、きっとすごく、ずるい人間なんだろう。
こんな未来をも、見越していたのなら
(私はなんて、利己的な人間だろう)
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