言い逃げグッバイ
「臨也さんの、そういうところが嫌いです」
今まで一度として言ったことのなかったその言葉に、なぜか放った私が悲しくなった。
けれど、身動きひとつ取らない臨也さんと平和島さんに反し、動き出した口は止まらなくて。
「普段は私が悩んだり迷ってる姿を見て笑って、感情揺さぶるようなこと言うだけのくせに、平和島さんが関わったら途端に不機嫌になって」
そんなの、平和島さんのことが嫌いなんだから当然だってことは、もちろんわかってる。
けどこの人は、普段は嫌になるくらいに理屈っぽいのに、平和島さんが絡むと途端に子供のようになって、感情ばかりの生き物になって。
「臨也さんが平和島さんを嫌ってることは、別に構いません。それは人それぞれですから、私に口出す権利がないのも、その必要がないのもわかってます」
それに、感情に基づいた言動については、屁理屈や難しい言葉をまくし立てるようにぶつけてくる普段の臨也さんと比べたら、人間らしさが垣間見えるということで、むしろ喜ぶべき姿なんだと思う。
けれど、でも。
「私は平和島さん以外の人のことでも必死になるのに、平和島さんが少しでも関わってるってわかったら、臨也さんはその可能性なんて頭の中から消えちゃって。私が平和島さんを好きだから、平和島さんのことが心配だからって決めつけて、さっきみたいに見当違いなこと言って私の邪魔して。それが成功したら、ほっとしてるんでしょう」
私の知らない臨也さんになってしまうのが、嫌だった。
面倒くさい顧客に対しても、頭の悪そうな信者の女の子に対しても、どんな時だって態度を変えない臨也さんが。
「平和島さんが少しでも関わってるってなったら、私の言葉に耳を傾けたりもしないで、余裕なくして、感情的になって。全部全部自分で決めつけて、勝手に安心して。そんなの、ッ」
そこまで言って、自分が何を伝えたかったのか、わからなくなった。
こんなことを臨也さんに言って何になる?言ったところで、何が変わる?
私は臨也さんに変わって欲しいのか、何か目的があってこんなことを言っているのか。
臨也さんに自分の感情をぶつけて。
そんなの、ただの無駄なんじゃないか。
「…希未、」
自分の頭の中がぐるぐる、ぐにゃぐにゃ蠢いて、どうしたらいいかわからなくなった時だった。
臨也さんが私の名前を呼んで、無意識のうちに上がった顔で臨也さんの目をとらえようとした瞬間――…
「セルティ、さん」
エンジン音もなく現れた黒いバイクが、私と平和島さん、そして臨也さんの間を遮るようにやってきた。
「…おやおや」
「セルティ……何だよ?」
臨也さんと平和島さん、それぞれ声をかけるも、セルティさんは臨也さんの方に手を伸ばし牽制する。
…用があるのはお前じゃない、と言ったところか。
正直、ちょっと救われた。
あの後なんて言ったらいいかなんてわからなかったし、臨也さんの言葉を聞くのが怖かった…というのは流石に卑怯な気がするけど、事実だから仕方がない。
「……何だこりゃ」
平和島さんのそんな声に、意識が現実に戻ってきた。
どうやら考え事をしている間にセルティさんはPDAを取り出したらしく…きっと、チャットを見せているのだろう。…“南池袋公園で待ってる”という内容の。
「……これも手前の計算か?」
「何のことか知らないけど、セルティが偶然ここに来てくれることまで計算できるなら、俺はとっくに君の家に隕石でも落としてるよ」
肩をすくめながら言う臨也さんに舌打ちした平和島さんは、無言でセルティさんのバイクの後部にまたがる。
そしてその人は、私の目を射抜くようにとらえて。
「行くか、お前も」
小さな声で、そう言った。
もちろん、今来たばかりのセルティさんは私たちのやり取りなんて知らないから、《どうしたんだ静雄》と驚いたような反応を、示すけれど。
「お願い、します」
「よし」
「…わッ」
脇の辺りに手を入れられた直後体が浮いたかと思えば、次の瞬間、私はセルティさんと平和島さんの間に挟まれるように、座っていた。
どうしよう、一緒に行くことは確かに望んではいたけど、これからどうしたら。
そう思いながらセルティさんにつかまろうとした時、手の中にある物に気が付いた。
…そう、だ。
「…臨也さん、これお返ししますッ」
少し大きめの声で呼べば、何を思っているのかわからない彼の目と視線が絡む。
そして宙に放たれた家の鍵を受け取った臨也さんは、少し呆れたような、そんな目のまま私を見る。
もしかしたらもう、ここには戻れないかもしれない。嫌われたかもしれない。
そう思うとなぜだか嫌な汗が流れて、正体のわからない不安感には襲われる、けど。
「もういらないって思ったら、できるだけ早いうちに岸谷さんかセルティさんに連絡しておいてください」
のこのこ帰ってくるなんて、格好の悪い真似はできないから。
これだけのことを言っておいて今まで通り過ごせるなんて、甘いことは思ってないから。
「最後に、ひとつだけ」
だから、もしこれが最後なら、ちゃんと伝えよう。
後悔しないように、自分の思ってることは全部全部、伝えよう。
「私はあなたが思ってるより、あなたのこと嫌いじゃないんですよ」
今までありがとうございました。
口にはしないままセルティさんのお腹に腕を回せば、私たちは黒い闇に溶けた。
それは、長いようで短い蜜月であった
(さようなら、お元気で)
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