逃走開始5分前


「なーんで、シズちゃんが俺のマンションの前にいるのかな?」


まさに“苦々しい”といった表現がぴったりであろう笑顔を浮かべた臨也さんは、苛立たしげなさまを隠すこともなく、平和島さんに向けて言った。
…さっきは平和島さんが来てくれてよかったって思ったけど…私のこの後の行動如何によっては、のちにすごい怒られることになるんじゃなかろうか。

なんて思いながら平和島さんに目を向ければ、私姿をとらえたと同時に、彼の額に青筋が一本増えたような気が。


「……お前を殴りに来たからに決まってんだろ」


口元にだけ作っていた笑顔が、私と視線を絡ませるたびに消えていく。
理由は知らないまでも、私と臨也さんに何らかの関わりがあることはわかってた平和島さんだけど――…流石に、こんな夜更けに一緒にいるほどの仲や関係性だとは、思っていなかったんだろうな。


「何で、殴られなくちゃいけないのかな?」

「ムシャクシャしたからだ」

「……いい年してそういうジャイアニズム100%な台詞は良くないよシズちゃん」


現状としては、比較的いつも通りの2人(むしろ現時点で物が投げ交わされたりしてない時点で、普段よりも良いのかもしれない)を眺めながら、自分の今後を考える。
事情はあとで話す、なんて電話では言ったけど…これは相当厄介というか、骨の折れる説明になるかもしれな、


「…つか、何でお前いんだよ」


お前?
臨也さんに向けるには柔らかな言葉に違和感を覚えて平和島さんを見れば、なぜか(というのはおかしいかもしれないけれど)彼は私に視線を向けていた。
う、わ、どうしよう。
まさかこのタイミングで聞かれるとは思ってなかったから、気の利いたというか、なんて言えばいいかなんて、


「一緒に住んでるから」

「ちょッ」


ふ ざ け る な 。
いや事実としては何も間違っちゃいない、だとしても色々ねじ曲がって伝わる可能性とかを考えるともっと順を追いたくて、落ち着いて、腰を据えて話を、


「ね、希未」

「あの、そういう誤解を生むような言い方はやめてくれませんかッ」

「誤解って何、事実じゃない。乾燥機に入ってる君の下着でも見せる?」

「!?」


なんてこと言うんだ!
ただでさえ厄介というかそういう類の状況だったのに、余計に引っ掻き回しやがって。
臨也さんが言葉をつむぐたびに増していく平和島さんの怒りのオーラというか、殺気というか、そういったものに内心、(もちろん臨也さんに対して)舌打ちをした時。


「希未は先に戻ってて」

「え」

「ほら」


そう言って私の背中をトンと押した臨也さんは、ポケットから取り出した鍵を宙に放る。

…どう、しよう。無意識とはいえ、受け取ってしまった。
そんなことを思いながら手の平の鍵から視線を外せば、今の一瞬のうちに取り出したのか――…


「…わ、」


ナイフを平和島さんに向かって突き付け、笑っていた。


「さあシズちゃん、用件を聞くよ」

「……手前には、辻斬りの件で聞きたいことがあったんだけどよ」

「へえ?」

「…けど、その前に」


サングラスのブリッジをクイッと挙げた平和島さんは、恨めし気に臨也さんを睨む。
そしてつかつかと、臨也さん、そして臨也さんに守られるように(という言い方は正確じゃないのだろうけど)彼の背後に立つ私の方にやってきた平和島さんは、


「ッ、」


後ずさりしたにも関わらず、私が身動きひとつ取らなかったせいでもろに私にぶつかった臨也さんが、こちらを振り返った拍子に、


「え、」


私の腕を軽くつかみ、自身の方に引き寄せた。


「…ちょっと、何してんのシズちゃん。希未も希未で何で大人しく引っ張られてるわけ」

「そんなこと言われましても、」

「っていうか、何で部屋戻ってないわけ?そんなんだから無抵抗につかまるんだろ」

「えええ…」


どこからどう見ても不機嫌な臨也さんは、平和島さんを軽く睨みつけながら私に言う。


「ほら、戻っておいで」


一瞬だけ見せた笑顔には、“拒め”という意味が込められていたのだろう。
ナイフを持っていない方の手を私に伸ばした臨也さんは、私を試すように、“その手を振りほどけ”と言っていた。


「…いや、です」


でも、今はそれをしたくなかった。
もちろん杏里ちゃんのことが心配で、念のために彼女の元を訪れておきたいという気持ちがあるからだけど――…それと同じくらい、臨也さんに対する気持ちゆえに、私は彼を拒んだ。


「…へえ、何で?やっぱりシズちゃ、」

「そういうところが、嫌なんですよ」


視線を外して言えば、臨也さんが目を丸くした気がする。
今日はきっと、私が初めて臨也さんを拒んだ日。


向き合ってるということでもある、なんて


(あなたはきっと、信じないでしょうけど)

 



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