「…おい、静雄?」
「…………」
「おい、しーずーお」
「 …何ですか?」
何ですかって、聞きたいのはこっちだよ。
そんな言葉を飲み込んでため息を吐けば、静雄はまた目を伏せた。
「どうしたんだよお前、今日元気ねえな」
「…そうっすかね」
「何かあったのか?」
話してみろよ、乗れる相談なら乗るぜ。
60階通りを歩きながら長身の後輩を見上げれば、月曜の真昼間だってのに相変わらずその表情は暗い。
…まじで何があったんだよ、こいつ。
「おいおい、美尋ちゃんと喧嘩でもしたか?」
「…どうして美尋が出てくるんすか?」
「そりゃあお前、静雄が落ちてる時はたいてい美尋ちゃんが原因だったろ」
こいつがあの子と出会ってからの数ヶ月を振り返ってみる。
…うん、やっぱそうだよな。
落ち着いてるかキレてるか、そのどちらかしか見たことしかなかった俺に、こいつの新しい面を教えてくれたのは、美尋ちゃんだった。
「…トムさん、ちょっと聞きたいことあるんですけど、いいですか」
「おう、俺が答えられることなら何でも答えるぜ」
そうだ。
この時の俺は、直後静雄があんなことを言うなんて思いもしなかったんだ。
「…女って何なんですかね」
「………は?」
「いや、女っつーか、まず俺もそうなんですけど。何かもうまじでわけわかんないんですよ」
「…悪い静雄、トムさんにもわかるように説明してくれねえか?」
その後静雄の口から出た言葉に、冗談でもなんでもなく、まじで驚愕した。
驚いた、なんてモンじゃねぇ。これは驚愕だ、驚愕。
だってそんな、もう10年くらい前からの知り合いにも関わらず一度も浮いた話のなかった静雄が、女、それも女子高生のことで頭を悩ませるだなんて。
「…人生なにがあるかわかんないもんだな」
「…? 何がっすか?」
「ああ、こっちの話」
そんで、祭り行って、花火やって、帰りに手ぇつなぎたいって言われて、お前はどうしたんだ?
俺の言葉に一瞬息を飲んだ静雄は、何か覚悟を決めたかのように語り出す。
「…線香花火でちょっとした勝負してたんすよ、帰る前に」
「ああ、あれか。定番のどっちが先に落ちるかってやつ?」
「それなんですけど、勝った方が何してもらうか決めるってルールでやって、俺が勝ったんです」
「へえ、ってことは何かしてもらったのか?」
慣れない話題に緊張気味の静雄を楽にさせるため。
そう思って少し話を逸らしたつもりだったのに、それがあいつの、いつもとは違う意味の地雷だったらしい。
「………」
「…し、静雄?」
「…あ、すんません。大丈夫です」
いや大丈夫じゃないっしょ、お前すごい顔赤いんだけど。
出そうになった台詞を抑えて次の言葉を考えていると、いくらか顔の赤みが引いた静雄が口を開いた。
「…キス、しちまったんですよ」
「……は?え、キス?」
「…あ、いや。口じゃないんですけどね」
その言葉に、なぜか胸を撫で下ろしている自分がいた。
別に俺はな、お互いの思いが通じているなら女子高生とおっさんが付き合ったって、男子大学生と熟女が付き合ったっていいと思ってる。
そこに本当に、お互いの気持ちがあるのなら。
「…美尋ちゃんの反応は?」
「…びっくりしてましたね、すげえ」
「だろうな…」
静雄と美尋ちゃんの場合5つくらいしか離れてないし、そんなの社会に出たらザラにあるカップルの年齢差だ。
そんなことした以上こいつは美尋ちゃんに何らかの好意は抱いてるんだろうし、美尋ちゃんだって静雄に対してどんな形であれ好意は抱いてるだろう。
それが恋愛か家族愛みたいなもんかは、わからねぇけど。
「祭りの時、あいつ珍しくはしゃいでたんですよ」
「…うん」
「すげえ楽しそうだし、いつにも増して笑ってるし。だから俺、純粋にかわいいとか綺麗だって思ったんです」
変な意味じゃなくて、ただ単純に、喜んでくれてるのがわかりましたから。
さっきよりもいくらか落ち着いた様子の静雄が、名前通りの静かな声でそう語る。
「それで、祭りに連れてったことの礼とか言われて。何か心臓速いし、いや、ドキドキするとか俺が言ったら何かもう犯罪な感じしますけど、まじでそんな感じだったんすよ」
「あー…大丈夫。確かにお前がそんなこと言うなんて俺もびっくりだけど、単純に年齢だけ考えればお前まだ23だし、俺もこの年になってもそう思う時とかあるから」
「…なら、良いんですけど」
…それにしても、美尋ちゃんってのは改めてすごい子だな。
今のこいつ、とても池袋最強の男には見えないぞ。
「…とりあえず、話はわかった」
「……」
「で、問題はこっからだ。お前は、美尋ちゃんのことが好きなんだよな?」
そう言った瞬間静雄の瞳がぐらついて、周囲の空気が変わったような気がした。
いや、もしかしたら後者は俺の勘違いかもしれない。
けどその時の俺は、確かに静雄の変化を感じ取っていた。
「…あいつのことは守りたいと思うし、失いたくないと思います」
「…そうか」
「俺だって、あいつに対して恋愛感情を抱いてることくらいわかってるんです。…けど、わかってるからって、」
そこまで言いかけてやめた静雄だが、その時俺は、そういう感情を抱けるようになった静雄を心から祝福していた。
そして、美尋ちゃんに感謝した。
「焦るな静雄」
「……」
「お前が何を思ってるのかは、まあ、何となくわかる」
守りたいけれど、大事にしたいけれど、いつか自分が傷つけてしまうのではないか。
お前がそう思ってることくらい、わかってるよ、俺は。
「答えなんてすぐ出るもんじゃないし、ましてや相手は一緒に暮らしてる子だ」
「…そうっすよね」
「美尋ちゃんはお前がいなくなったら居場所がなくなるんだ。それは肝に銘じとけよ」
「…はい」
「ああ、別にお前の気持ちをなかったことにしろって言ってるんじゃないからな?ただ、美尋ちゃんの気持ちを無視して行動するのはやめろよ」
少し説教くさくなったか、と言ってはみたものの後悔した。
そして謝ろうと静雄の顔に目をやった時、そのあまりに穏やかな表情に、俺はまた驚いた。
「…大丈夫っすよトムさん。俺はあいつが傷つくのが一番嫌なんで」
「…そっか」
「それに、なかったことになんて、したくても出来ませんから」
何だよ、もうわかってんじゃねぇか。
数時間ぶりに笑顔を見せた静雄に、俺はそんなことを思った。