「新羅さん、わたしもう駄目なのかもしれません」

「うん、何の話かな?」


ある日の午後5時過ぎ。
突然訪れた美尋ちゃんは、深刻そうな顔でそう言った。


「…心臓が、どきどきするんです」

「…どきどき?」

「本当は半年以上前から気付いてたんです。けど毎日のようにってわけでもないし、大丈夫かなって思ってたんです」


膝に乗せた手をぎゅっと握りしめ、うつむきながら話す美尋ちゃんにいささか焦りが生まれる。
ここまで深刻そうなこの子はみたことがなくて、不安にさせたらいけないとはわかっているのに、動揺を隠すので精一杯だ。


「たまになるだけなんだよね?」

「はい。すごいどきどきして、顔が熱くなって…でも、しばらくすると治まるんです」

「…えーと、どんな時にそうなる、とか。そういうのある?」

「それが静雄さんといる時ばっかりで…そのたびにどうしたって聞かれるから、もう誤魔化すのも大変なんです」


脈が速くて苦しい、だなんて言ったら、多分心配させちゃうから。
眉をひそめてそう言った美尋ちゃんに、少し違和感を覚える。
……いやいやいや、まだそうと決まったわけじゃないんだし、もう少し話を聞いてみないと。


「…具体的にどんな時か、聞いてもいい?」

「……静雄さんには、わたしが話したって言わないでくださいね」

「もちろん。口は堅いつもりだよ」


だから大丈夫、安心して。
そう笑いかければ、美尋ちゃんは安心したように微笑んだ。


「…静雄さんの誕生日に、喧嘩したんですけどね」

「ああ、あの時ね」

「え、新羅さん知ってるんですか?」

「静雄から電話があったんだよ」

「あー、そういえばそんなこと…」


言ってたような気もします。
そう言った美尋ちゃんに話の腰を折ったことを謝罪し、続きを促す。


「仲直りしたんですけど、…なんていうか、別にそういう変なアレじゃなくてですね」

「うん」

「…ぎゅーって、されたんです」

「……うん?」


一瞬思考が停止した、ような気がした。
いや、喧嘩の内容が内容だし、きっと静雄も感極まったというか、無意識に、感情のままにそうしてしまったんだろう。
美尋ちゃんも変なアレじゃないって言ってるしね。うん、言いたいことはわかる。


「…それで、その時すごいびっくりして。その後頭撫でられた時は、すごいどきどきしたんです」

「……うん。あのね美尋ちゃん、確信を得るためにもう少し聞きたいんだけど」

「はい、何ですか?」

「例えば呼ぶ時に肩を叩くとか、そういうこと以外に…そうだね、手をつないだりとか、そういうタイプのスキンシップって過去にあった?」

「ああ、ありましたよ」


自分の背中を嫌な汗が流れていくのがわかった。
いや、本人は真面目に悩んでいるのだからここで僕が投げ出してはいけないんだけど、正直この先は聞きたくない。
静雄のことを知っているだけに。


「はぐれないように手をつなぐのは、たまにありますね。人が多い時とか」

「あ、ああ…なんだ、よかった」

「?」

「ああごめんね。他にもある?」


お祭りか、そうかそうか。それなら手をつなぐ明確な理由もあるし納得だ。
さて美尋ちゃん、他には静雄とどんなことがあったのかな?


「あと、昨日おでこにちゅーされて」

「ぶっ!」

「し、新羅さん!?」


コーヒーを噴き出した僕を心配する美尋ちゃんの声を聞きながら、僕は頭の中で考えていた。
平和島静雄、どうしたんだ、と。


「あ、でもそれもわたしが勝負に負けたからなんですけどね」

「しょ…勝負?」

「はい。線香花火先に落ちた方が負けってやつです」


な、なるほど。
うん、静雄も昔と比べてずいぶん人間らしくなったものだ。


「で…手をつないだ時はどうだった?脈が速くなる感じはあった?」

「はい。でもそれはなんていうか…多分、いつも突然だから」

「そっか…じゃあ、その…おでこにキスされた時は?」


美尋ちゃん、僕はね、知り合いのそういう方面の話に耐性がないんだよ。
だからどうか否定してくれ。
そんな僕の願いもむなしく、美尋ちゃんは頬を赤らめながら口を開いた。


「多分、今までで一番心臓が速かったです」

「……そう」

「…新羅さん、わたし何かの病気なんでしょうか?」


本気で言っているのか。
初めて抱く美尋ちゃんへのそんな感情を己で律しながら、メガネのブリッジをクイッと上げる。


「…うん。多分っていうかね、99%病気じゃない。もう正直100%って言いたい」

「え、ほんとですか!?」

「ある意味病だとも言えるんだけどね」

「ちょっ、何ですかそれ!」


わたし大丈夫なんですか!?
…なんてね、詰め寄られたってため息しか出ないわけだけど。


「大丈夫。命に関わるものじゃないし、君が思ってるような病気でもない」

「…本当ですか?」

「うん。ただ、その動悸の理由は僕の口からは言えないよ」


君が自分で気付かなきゃ意味がない。
そう言ってコーヒーを口にすれば、美尋ちゃんは何事かを考えながら顔を歪ませる。


「…心の病気的な方面ですか?」

「ああ、無理矢理医療的な見方をするとすればそうだね。ただ病気ではないから心配しなくていいよ」

「…よくわからないです」


話を聞く限りは気付いてなさそうだし、そうだろうね。
そんな言葉を飲み込んでコーヒーを口に含めば、救いを求めるような美尋ちゃんの視線に気付く。


「たとえば静雄が不機嫌そうな顔してる時とかさ、」

「はい、」

「どうしたんだろう、何言われるんだろう、ってドキドキしたりしない?」

「あ、はい、します」

「そのドキドキ感は、恐怖とか不安によるものだっていうのはわかるよね?」

「はい。わたし何かしちゃったのかな、とか、そういうこと考えたりします」


うん、とりあえずそのドキドキとの違いは自覚しているらしい。
これは時間の問題かもしれないけど…まあ、ヒントくらいは与えても大丈夫だろう。


「つまり美尋ちゃんは、静雄が不機嫌な時もドキドキするし、静雄に触れられた時もドキドキするってことだよね」

「そう…ですね」

「そして恐怖感ではない、触れられた時の動悸の速さの正体がわからない、と」

「はい」


ここまで言っても気付く気配がないとは、この子はどれだけ色恋沙汰に疎い人生を送ってきたのだろう。
まあそんな余裕がなかったということは僕もわかっているつもりだから、言うつもりはないけれど。


「大丈夫、心配しなくていいよ。そのドキドキは、ただ恐怖感と方向性が違うだけだから」

「…じゃあ本当に、病気がどうとかってことではないんですね?」

「うん、話を聞く限りはね」

「…わかりました。ありがとうございます」


どこか釈然としない、けどとりあえずは安心した。
そんな表情を浮かべながら頭を下げた美尋ちゃんは、夕飯の準備をするからと言って僕の家を出て行った。


「…静雄の奴」


行き場のない思いに眉をひそめるも、癒しとなるセルティはいない。
旧友と少女のことを思い浮かべながら、僕は何度目かわからないため息を吐いた。



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