「名前、名前」
「ううう…」
「朝だぞ」
わたしの肩に触れた蓮二が、ゆさゆさと体を揺する。
ついさっき寝たと思ったのにもう朝か…なんて思いながら目を開ければ、そこには今日も素敵なわたしの旦那様。
「おはよー…」
「おはよう。朝食の準備をするから、顔を洗ってこい」
「ふぁー…い、」
あくび交りの返事をすれば、まるでいとおしいものを見るかのようなまなざしをした蓮二が、わたしの頬に軽くキスをした。
蓮二と結婚して、早数か月。
本当だったらわたしが朝ご飯を作って、『おはよう蓮二、ご飯出来たよ』…なんて言って起こしたりとか、わたしがご飯を作る包丁の音で目を覚ましてくるだとか、そんな定番のことをしたいの、だけど。
「毎日ごめんねー」
「名前が朝に弱いのは今に始まったことじゃないからな」
「覚悟の上の結婚でしたか」
「そういうことになるな」
準備をするから、と言っていた割にはほとんど完成している朝食を眺めながら、2人分のコーヒーを淹れる。
蓮二のブラック好きも、今に始まったことではない。
「本当に名前は俺好みに淹れるのがうまいな」
「ふふん、そうでしょ。朝が弱いお嫁さんの代わりに朝食を作ってくれる旦那様へのコーヒーだもん、手を抜くわけにはいかないんですー」
「…自慢げなところ悪いが―…そう言っている割には、安い豆に変えただろう」
「あ、ばれた?」
少し褒めた途端にこれだ。
調子に乗ったわたしにお灸を据えるとばかりにそう言った蓮二は、少し得意げに笑う。
「でもでも、違うんだよっ」
「何がだ?」
「蓮二が頑張って働いたお金で買うんだから、無駄遣いはしないようにしようと思ってこれ買ったの!」
ドヤ、という気持ちを隠してそう言えば、蓮二は少し考え込むように、口元に手を当てた。
…ど、どうだろう。納得してくれただろうか。
「…それ以外にも何か理由がある可能性は――…87%といったところか」
「……………」
「異論は?」
「…ある、けど」
どうしよう、話すならこのタイミングじゃなくて、もっとゆっくりしてる時が良い。
そう思いながら蓮二の顔を見てみたけれど、その表情は、“さあ理由を言え”とばかりで。
「あの、ですね…」
「ああ」
「本当は、昨日の日中には、わかってたんだけどね」
蓮二、仕事で疲れてたみたいだから、言わなかったんだけど。
口ごもりながら言うわたしに、蓮二はイライラのイの字さえ見せない穏やかさで。
「赤ちゃん、でき た」
もちろん嬉しいけれど、ここ最近仕事が忙しい蓮二のことを思うと、すぐに言っていいものなのかって不安だった。
でも産む以外の選択肢なんてわたしには存在しないから、せめてその準備にと、散財しないようにしていた。
そんないくつもの言い訳を自分自身にしていると、
「どうして早く言わなかったんだ」
「…え、だから、仕事で疲れて、」
「疲れなんて飛ぶに決まっているだろう」
わたしをぎゅうと抱き締めた蓮二は、口調の割にやさしく、穏やかで。
そして、これ以上ないくらいに幸せそうな声でそう言った。
「…ねえ、蓮二」
「ん?」
「わたしはママになって、蓮二はパパになるんだよ」
いま、3ヶ月弱だってさ。
月のものが来なかったから、もしかしてと思って買い物のついでに行った病院だったけど…まさか本当に妊娠してるだなんて思わなかったから、嬉しい以上にびっくりしたなあ。
そんなことを言いながら笑いかければ、蓮二はかすかに、目元を光らせて。
「もう、駄目だよ。これからパパになるのに泣いたりしちゃ」
「仕方ないだろう、」
「…ふふ、そうだね」
じわりと涙が滲んだ蓮二の目元に手を添えれば、その手に蓮二自身のそれが重なる。
ああ、もう。
「名前、ありがとう」
「…ううん、こっちこそありがとう。大好きな人の赤ちゃん産めるなんて、すごい幸せだよ」
そう言いながら笑い合ったわたしたちは、世界一幸せな朝食にありついた。