無重力少女 | ナノ
「柳くん」

「ん?」


頻繁とはいえないが、飯田から話しかけてくることも珍しくなくなったのは、つい数日前からのことだ。
俺と2人でいる時のこいつの態度は相変わらずだが、知らず知らずのうちに飯田の中に変化があったのかもしれない。
前向きにとらえれば、それだけ俺に慣れ…いや、やはり先日思ったように、俺への警戒心が解けてたということだろう。


「どうした?」

「お友達が呼んでるよ」

「…ああ、ありがとう」


そんなことを考えつつ飯田の指差す方向を見れば、ドアの近くに立つ精市の姿が見えた。
…飯田に俺を呼ぶよう声をかけたのは偶然か否かわからないが、ともかく早く向かおう。
他の者には気付かれていないようだが、黄色い声を浴びせられた精市の苛立ちが限界に達するのはもう間もなくだ。


「悪いね、読書中に」

「いや、構わない。どうした?」

「さっき跡部から連絡があってね」

「跡部?また合宿でもするのか」

「何かね――」


精市がこれ以上不機嫌にならないように、という意味もあり、一応廊下に出て話をする。
ちらちらとこちらを見てくる多数の女子の視線にはもう慣れたが、あまり気分のいいものではない。


「――そういうことだから、よろしく」

「ああ、わかった」

「ところでさ」


用件だけを手短に言った精市は、教室の中に戻ろうとした俺を言葉だけで制止する。
振り返った時に見えたそれは、何かを見抜いているような、楽しげな笑顔。


「…何だ?」

「蓮二、最近楽しそうだね」

「突然だな」

「思ったことを言っただけだよ」


わずかに焦るこの気持ちは、どこから生まれてきたのだろう。
精市は他人の変化に敏感だが、俺だって表立って飯田のことを話したこともなければ、気付かれるような言動はとっていなかったはずだ。
…いや、飯田のことではない可能性も無きにしもあらずだが、


「安心してよ、今はまだ聞かないから」

「…いつか聞くのか?」

「当然だろ。じゃあまたね」


言いたいことだけ言って、自分の教室へと戻っていく精市。
…まったく自由な奴だ、と思いながら振り返った時、俺はわずかに息を呑んだ。


「おかえり」

「…ああ」

「今の、お友達でしょ?」

「…テニス部のな」


正直驚いたが、それも仕方ないだろう。
何らかの変化があったとはいえ、校内ではあまり俺に関わらないようにしていた飯田が、俺の机の横に立ち、俺が読んでいた文庫本を手に取っていたのだから。


「よくわからないけど、今の人がね」

「何か言われたか?」

「柳くんのことよろしくって」

「………」


何でそんなことを言われたのか知らないけど、と言って飯田は手にした本を閉じる。
精市も大概余計なことをする男だ。
「今はまだ」と言いながら、俺の変化の理由(というより、この場合は対象か)に気付いている。


「…気にするな」

「わかった」


この様子からもわかるように、相変わらずな態度ながらも、飯田は以前と比べて素直になったと思う。
関わるようになったばかりのこいつなら、たとえ疑問を抱いたからといって俺の席で待つことはしなかっただろう。


「飯田」

「何?」

「今日も一緒に帰るか」

「………」


俺を見上げた飯田に言えば、少し驚いた表情をしてすぐにうつむいた。
…言い方が悪かったかもしれない。
これまでは半ば強引に連れ出して帰っていたが、こんな言い方では飯田に選択の余地を与える。
こんな風に誘う形をとったことなど一度もなかったというのに、俺は一体どうしたというのだろう。


「……ごめん。今日は、ちょっと」

「…そうか、わかった」


普段であれば「何でわたしが柳くんと一緒に」などと小声で言ってくる飯田が、申し訳なさそうにうつむいたまま呟いた。
今俺の目の前にいるこいつは、決して優等生を演じているときの飯田ではなく、俺と2人の時の飯田だ。
それなのに、今の飯田は見たことがないほどに弱弱しく、そこにいつものこいつの姿はない。


「…ごめん」

「いや、気にするな」


つまりは、そういうことなんだろう。
ここ最近忘れかけていた、飯田に興味を持った理由を思い出して、俺はそれ以上何も言えなかった。

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