「俺は優越感を覚えていたんだ」
目を伏せたままの飯田は、そう言った瞬間に少しだけまつげを揺らした。
「最初は好奇心だった。先生方からの評価も高く、人望もある優等生の飯田美月の裏の顔を垣間見ることが出来たと」
「………」
「弱みを握ったと思っていたわけじゃない。純粋な気分の高揚だ」
そう、きっかけは好奇心。
そしてその好奇心も、翌日には呆気なく消えてしまったわけだが――…
「…お前は、自分の素を俺にしか見せなかっただろう?」
「… うん」
「俺はそのことに、優越感や嬉しさを感じていたんだ」
陳腐な言葉だとは思うが、特別なのだとどこかで感じていた。
誰に対しても分け隔てなく接する普段の飯田と、喜怒哀楽が激しく歯に衣着せぬ物言いの飯田。
どちらも飯田だなんてことは言う気が起きないほどに、俺と2人の時の飯田は、飯田美月だった。
「…いけないな。あまり話すと、長くなってしまいそうだ」
「………」
「俺はお前といると心地良くて、楽しくて、支えてやりたいと思うんだよ」
そう言ったと同時に飯田は思い切り顔を上げ、眉間に皺を寄せて俺を見る。
けれどその表情から不機嫌さは感じ取れない。おおかた、困惑しているのだろう。
「泣き顔というのはやはり心臓に良くないが、」
「っ、」
「頼ってもらえたのは嬉しかった」
露骨に嫌そうな顔をした飯田に、思わず口元が緩んでしまった。
俺はお前のそういうところが、本当に気に入っているんだ。
「……うざいよ、柳くん」
「それはすまなかったな」
「思ってないでしょ」
「ああ、まったく思っていない」
「……うざい」
再び膝を抱え込んだ飯田が、赤い顔を隠すようにうつむく。
…そろそろ、言ってしまってもいいだろうか。
「…飯田」
「…何、」
「俺はまだ、ただのクラスメイトには戻りたくないのだが」
お前はどうだ?
赤い顔をちらりと覗かせた飯田は、泣きそうな目で俺を見た。
***
「お前はどうだ?」
柳くんって、わけわかんない。
もう何回も思ってきたことだけど、今日ほど理解できなかったことは、多分今までで1度もなかったと思う。
「…だめ、だよ」
「……何がだ?」
「そういうこと言われたら、もう戻れなくなっちゃうんだよ」
鼻の奥がツンと痛んで、視界がわずかにかすんでくる。
どうして柳くんは、わたしがこんなに悩んでいることを、柳くんのことを考えていることを、気付いてくれないの。
「だめ なのに。柳くんはわたしと違って汚くないんだから、いけないのに」
一緒にいることを、それ以上を望んだら、いけないんだ。
そんなことは自分でも苦しいくらいにわかっているのに、彼の言葉が嬉しくてたまらない。
「飯田は汚くなんかないさ」
「汚いよ、っだって、」
「そうしないと、自分を守ってこれなかったんだろう」
大好きだった母親がいなくなって、残った父親からも愛を受けることがなくて。
見知らぬ男たちに父親の姿を重ねて、形だけでも求められたくて。
ああする以外に、失ってしまったものを、自分を保つ方法を知らなくて。
「…もう、やめてって…」
「…………」
「わたし、このままじゃ柳くんのこと、」
好きになっちゃうよ。
涙で滲む声だけれど、こういう時ばかりハッキリと言えてしまう自分が嫌になった。
「隣にいると楽で、だけど嫌な奴だって、言い聞かせてたのに」
「飯田、」
「一緒にいたいって、また思っちゃう」
思いを言葉に変えて吐き出すたびに、苦しい気持ちが解放されていく。
柳くんがわたしの名前を呼んで、頭を撫でてくれるほどに溢れ出す感情は、一体どこに行くのだろう。
「飯田」
「…っ、…」
「あの公園に行こうか」
唐突にそう言った柳くんは、わたしの手を掴んで立ち上がる。
泣きながらもその手を振り解けないわたしは、もう戻れないのだとわかっていた
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