無重力少女 | ナノ
「おいしかった、ありがと」

「ああ。満足してもらえたなら何よりだ」


柳くんが作ってくれた和風ハンバーグは、思っていたよりもずっとずっとおいしかった。
食べているのがわたしだけで、柳くんが真正面にいるというのは食べづらいというか恥ずかしいというか…まあ色々あったけれど、彼は既に夕食を済ませたと言うし、食事の席に誰かがいるというのは案外悪くなかったのでそこは目をつぶろう。

そして、今。
まるでスーパーに行く少し前のような空気をまとった空間で、わたしは恐る恐る口を開いた。


「…柳くんさ」

「ん?」

「何で、来てくれたの」


今度は紅茶を淹れ、それぞれの座る前にカップを置く。
改めて聞くのは恥ずかしいから、と思い視線は合わせずにいるけれど、柳くんはそんなことを気にも止めない様子で話し出す。


「放っておけなかったからだ」

「…は?」

「お前に何かあったのかと思ったら、無意識のうちに体が動いていた」


そう言われて、一瞬思考が停止したような錯覚に陥った。
まだ関わるようになって数週間だけど、わたしが見る限り柳くんはとても冷静で、頭で考えてから行動するタイプだと思ってた。
なのにどうして、柳くんは。


「…お前が泣いているのかもしれないと思ったんだ」


柳くんが言葉をつむぐごとに、顔に熱が集中していくのがわかる。
…わたし、さっきもちゃんと言ったのにな。


「…あのさ」

「何だ?」

「そういうの、勘違いしそうになるから言わないで」


自分から聞いておいて酷い言いようだって自覚はあるし、我を忘れてしまうくらい心配してくれたのは、正直ありがたかった。
でもね、柳くん。


「やめてくれって言ったじゃん」

「…ああ」

「本当は願い事って、人に話すと叶わないんだけどね」


そう言った瞬間、自分で放った言葉のはずなのに、胸がキュッと締め付けられるような感覚がした。
けれど、これはきちんと言わないといけないことだから。


「もう、やめるよ」


柳くんの願い事は、わたしにしか叶えられないから。
顔を上げないままそう言ったけれど、柳くんにはちゃんと聞こえたのかな。


「…そうか」

「…嬉しい?」

「お前があれをやめることが?」

「ううん、願い事が叶って」


それはイコールなんだけど、わたしにとっては微妙に違う。
そのことを理解してくれるだろうか、と少しだけ思ったけど、柳くんはきちんと理解してくれたらしい。


「そうだな、嬉しいよ」

「それは良かった」


柳くんが喜んでくれたなら、良かった。
もうさっきみたいな切羽詰った様子とか、心配とか、そういったものから柳くんを解放することが出来て、本当に良かった。


「そういえばお前の願い事を聞いていなかったな」

「言わないよ」

「約束が違うだろう」

「わたしが言ったら柳くんが言うっていうだけで、その逆の約束はしてない」


それがただの屁理屈だということは、よくわかってる。
わたしが言おうと言うまいと、それは叶わないということもわかってる。


「…でも、さっき思ったことと別の願い事なら教えてあげてもいいよ」

「言ったら叶わないんじゃなかったのか?」

「大丈夫。柳くんの願い事と同じで、わたしのは柳くんにしか叶えられないから」


これを言ったら、多分わたしたちの時間は止まって、ただの思い出になる。
でも、それでいい。そうじゃなくちゃ、柳くんにもっともっと迷惑をかけるから。


「わたしの願い事はね」

「ああ」

「柳くんと、前みたいな関係に戻ること」


わたしがそう言った瞬間、流れている空気が止まったような感覚に陥った。
すっかり冷めた紅茶を眺めるわたしには彼の表情はわからないけれど、きっと驚いているんだろうな。


「わたしが援交してることを、柳くんが知らなくて」

「……」

「わたしも柳くんが、」


少し意地悪で、でもその何倍も優しくて、時々お節介で、心配性で。
コーヒーと肉まんが好きだって、知らなかった頃に。


「 面倒くさい人だって知らなかった頃に、戻りたい」


そうすれば、柳くんとの関係が続くことを願えた気持ちが、わたしの心の中に残るだけだから。
柳くんには、何も迷惑をかけないから。


「わたしは柳くんの興味の対象じゃなくなるから、柳くんもわたしから興味をなくしてよ」


柳くんのために、わたしたちの間に何も存在しなかった頃に戻らないといけない。
そうしないと、わたしはきっと柳くんのことを、


「飯田」

「…何」


そこまで考えた時、気まずさにうつむいたわたしのすぐ横から声がした。


「お前がずっと知りたがっていたことを、教えようか」



***



「お前がずっと知りたがっていたことを、教えようか」


散々泣いたというのにまだ泣きそうな顔をしている飯田は、俺の言葉にわずかに顔を上げた。
その表情から感じるのは確かな不安で、まるで自分が何かをしてしまったのかという錯覚に陥ってしまう。


「…何、それ」

「俺がお前に関わってきた理由だ」

「…いいよもう、そんなのどうだっていい」

「お前はそうかも知れないが、俺にとってはどうでもいいことではないんだ」


今それを話すことで、こいつはどれだけ苦しむのだろう。
…いや、俺はどれだけ苦しめてしまうのだろう。
確かにそう思うのだけど、


「聞きたくないのかも知れないが、ちゃんと聞いてくれ」


出来ることなら、その苦しみを取り払うのも俺でありたいと思う。

 
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