「はい」
「ありがとう」
湯気のたつマグを彼に渡してソファーに座れば、テレビの音が一層近くなる。
いつもより少しだけ狭いリビングは1人じゃないという証で、嬉しい半面むず痒い。
「寒かったら言って」
「俺よりお前の方が寒がりだろう」
「…………」
「事実お前の方が薄着だったんだ。俺のことより自分の体を優先しろ」
どうして今日の柳くんは、こんなにも優しい言葉ばかりかけてくるんだろう。
…いや、違う。柳くんはきっと、いつだって優しい言葉をかけてくれていたんだ。
……わたしがただ、受け入れようとしてこなかっただけで。
「…飯田?」
「…何」
「どうした?」
「ううん、何でも」
手の平に包んだマグをひときわ強く握り、言いながら首を横に振る。
…何を話したら、いいんだろう。
「そういえば」
「何、」
「お前、夕飯は食べたのか?」
あ。
何だいきなり、って言われた瞬間こそ思ったけど、そういえばわたし。
「…食べてない」
「作ってあるのか?」
「作ってない」
「…材料はあるのか?」
「多分何もない」
「…………」
無言が痛い。
これはアレだ、完全に呆れられてる感じだ。
「何かごめん」
「いや、飯田が食に無頓着なのは薄々気付いていた」
「え、何で。怖い」
「お前は仁王と同じタイプだからな」
仁王って誰だ。
そう思った瞬間に「テニス部の奴だ」と言った柳くんには、やっぱりわたしの心が読めているのだろうか。
あと「さり気なく怖いと言うな」とも言われたけれど、わたしとしてはまったくさり気なく言ったつもりはない。
むしろしっかり言ったつもりだ。
「何か食べに行くか?」
「面倒だからいい。雨だし」
「そのままだと腹が減るだろう」
「したらコンビニ行く」
「感心しないな」
「感心されなくて結構」
わたしがそう言うと、柳くんは少し驚いたような顔をしてすぐ笑う。
え、何。何が起きたの。
「懐かしいな」
「何が?」
「初めてメールをした日にも言われた」
初めてメールをした日、って。
薄らいでいる自分の記憶を手繰り寄せ、柳くんとの初めてのメールを思い出す。
「…ああ、夕飯何食べたか聞いた時?」
「確かその日はカップ麺を食べると言っていたな」
「よく覚えてるね」
「飯田のことだからな」
何でもない風に言った柳くんの言葉に、目が見開かれるのが自分でもわかった。
何、それ。そういうのって、そんなさり気なく言う言葉じゃ、ないんじゃないの?
「どうした?」
「…別に、何でもない」
「顔が赤いぞ」
「うるさい赤くない」
そんなのわかってるんだよ、馬鹿。
指摘された顔を隠すように立てた膝に埋めれば、柳くんの手が頭に乗った気配がした。
「……何」
「お前も照れたりするんだな」
「うざい。そういうの良くないよ」
「そういうの?」
「女に軽々しく、そういう言葉を言うの」
全然興味ない子とかに好かれたら困るのは自分だよ。
そんなことをしてもいないのに、一方的にわたしを好いてきている1人の男の子を思い浮かべながら言う。
…うん、贅沢なのかもしんないけど、ああいうのって結構困るんだよね。
「誰にでも言うわけじゃないさ」
「………は?」
「さて、行くか」
わたしの疑問に答えないまま、柳くんは立ち上がりそう言った。
え、わたし今どっちに反応したらいいの。
「ほら、」
「え、は? え?」
「スーパーに行くぞ。今日くらいはちゃんと食え」
今日くらいは、ってどういうことだろう。
そう聞こうにも柳くんはさっさとコートを羽織っちゃってるし…もう何が何やら。
「何がいい?」
「…え、」
「何が食べたいか聞いているんだ」
…ってことは、もしかして、柳くんが何か作ってくれるのだろうか。
もしそうじゃなかったら恥ずかしい勘違いだ、なんて少しドキドキしながらも口を開いて、
「ハンバーグ、」
「わかった」
「と、お味噌汁が飲みたい」
「……あまり聞かない組み合わせだな」
まあ和風ハンバーグにすれば問題ないか。
言いながら、まるで自分の家の中を歩くように玄関に向かった彼の後を追いかければ、柳くんはちゃんと玄関で待っていてくれて。
「あり、がと」
広がったらいけない。食い止めなくちゃいけない。
自分でもそうわかっているのに、一度気付いてしまった気持ちが外に出たいと騒ぎ出す。
それを抑えるために柳くんが差し出した手を取らなかったわたしは、多分すごく臆病なんだと思う。
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