もうやめてくれ。
ただ一言、そう言った柳くんは、何を思っていたの?
「…はあ」
柳くんと別れてからどうやってここまで帰ってきたのか、…いや、もはやあの後どんな会話をして今に至っているのか、何もかもわからない。
けれど今現在玄関の前に立っているということは…アレか。帰巣本能ってやつか。
「…ただいまー…」
誰もいない、真っ暗な闇に向かって、独り言を呟く。
返事が返ってこないことなんてよくわかってる。
けれどつい言ってしまうのは、それに寂しさを感じないのは、それがわたしにとっての当たり前であり、習慣となってしまったから。
「ふー…」
暗い玄関を過ぎて、真っ先に向かった自分の部屋でコートを脱いでマフラーを取る。
ブレザーのポケットに入った携帯は面倒だからそのままに、温かい飲み物を飲むためキッチンに向かう。
「…え、?」
トン、トン、と階段を降りたら、誰もいないキッチンでココアを飲んで、暖房をつけたらTVと見ながらご飯を食べる。
その時に1人なのが、わたしにとっての当たり前で。
それが崩れることがあるなんて、思いもしなかったのに。
「おとう、さん」
「…美月か」
階段を下りたすぐ左、玄関に立つその人の声を聞いた瞬間、情けないことに肩が跳ねた。
数ヶ月ぶりに見たその人は紛れもなくわたしの父親なのに、どうしてこんなに緊張するんだろう。
「おかえり」
「 何で、いるの」
「俺の家なんだから俺がいてもおかしくないだろ」
毎月お金だけ入れて、なにひとつ父親の務めを果たさない奴が何を言うんだ。
そう思ったけど言わないのは、言ったところで無駄だとわかっているから。
「安心しろ、荷物取りに来ただけだから」
「…お母さんは、」
「まだあの男のところにいるんじゃないか」
俺が知るわけないだろ。
そう吐き捨てたわたしの父親、もとい目の前の男は、無駄に高そうな革靴に足をねじ込んでドアノブをつかむ。
「じゃあ今月も金入れとくから」
「……」
「…美月、飯はちゃんと食えよ」
「 え、」
初めて聞いたと言っても過言じゃない。
まるで父親のようなことを言うこの男は、おだやかな顔をしてつづける。
「飢え死にでもされたら、色々と面倒だからな」
「……」
一瞬でも期待したわたしが馬鹿だった。
この人にとってわたしは面倒な存在で、愛されていないなんて、嫌というほどわかっていたはずなのに。
「…っ、」
苦しい。つらい。
バタン、という音と共に訪れた感情が頭の中を支配して、動くこともままならない。
どうしてわたしがこんな思いしなくちゃいけないの。どうして、どうして?
「やなぎ、く…っ」
つい数十分前まで一緒にいた彼の名前を呼んだ瞬間、こらえ切れなかった涙が溢れ出す。
これはわたしが携帯を取り出す、ほんの数秒前のこと。
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