“最近池袋がおかしい”
誰かがそう言ったような気がするけど、言ってなかったような気もする。
もし仮に言っていたとしてもそれはもちろんわたしじゃない。
だってわたしの目に映る池袋はいつもと同じで、わたしはいつも通り60階通りを歩いていて。
だからこんな風に、路地裏に連れ込まれて数名の男に凄まれるなんて、有り得ない。
「お前平和島静雄の女なんだってなあ」
「………」
どうしてこうなった。
紀田くんたちと別れた後のわたしは、バイトがない放課後を有効活用し、ちょいと厄介な洗濯物を処理して、その間に夕飯の用意をして、静雄さんの帰りを待つ予定だった。
ちなみに夕飯のメニューはカレーとサラダだ。
「お前が平和島静雄の女だってことはわかってんだよ」
「あん時はお前の彼氏のせいでひどい目に遭ったんだよなあ、俺ら」
「どう落とし前つけてくれんだ?」
もう一度言おう、どうしてこうなった。
言われてみれば確かに目の前の男たちには見覚えがある。
そう。確か…3日前くらいに、区役所の近くで静雄さんのぼこぼこにされた人たちだ。
………多分。
「…あの、お言葉ですが」
「ああ?」
「この前のあれは…静雄さんが悪いというより、あなたたちのお友達の自業自得では」
「ああ!?」
なんでわたしが凄まれなきゃいけないんだ。
最初は臨也さん狙いだったはずなのに、お友達の1人が静雄さんに木材で殴りかかったのがいけないんじゃないか。
なのにどうしてキレてるんだよ。あ、図星だからキレてるのか。
「ごちゃごちゃうるせえんだよ!」
「あ、あと。わたし静雄さんと付き合ってません」
「はあ?何言ってんだ手前」
それはこっちの台詞である。
狩沢さんと言い紀田くんと言いこの人たちと言い、何でみんなしてわたしが静雄さんと付き合ってるって勘違いするの?
女子高生と大人だよ?ただの友達とか知り合いだって思う人はどこかにいないのか!
っていうかそれ以前に、仮にわたしたちが付き合ってたとしてもわたしに文句をつけるのはお門違いだって気付かないのか!
「…はあ」
「ンだよ、文句あんのか!」
「ごめんなさいって言ったら帰してくれますか?」
「は?お前自分が女だからって調子乗ってんのか?」
調子に乗っているのはどっちだ。
とはいえここで無理に帰ろうとしてもすぐつかまるのが関の山。
だったら、一か八かにかけてみようじゃないか。
「あの、家族に連絡だけしていいですか?」
「はあ?助け求めようとしてんだろうけど、」
「違います。わたしの家族すごい心配性だから、わたしが帰らないってなったら大騒ぎになりますよ?」
別に嘘を吐いたつもりはない。
いや、むしろ本当のことしか言ってない。
そしてそれをまんまと信じたこの男たちは、互いに顔を合わせてニヤッと笑う。
「ずいぶん聞き分けのいい女だな」
「いいぜ、電話しろよ」
「ま、俺らも面倒ごとはごめんだしな」
良かった。
外見だけで人を判断するのは嫌いなわたしがこんなことを言うのはアレだけど、この人たちが馬鹿で本当に良かった。
「じゃあ、ちょっとすいません」
そう言いながらわたしがかけたのは、もちろんあの人。
迷惑をかけてごめんなさい、と心の中で謝りながら発信すれば、その人はすぐに電話に出てくれた。
「あ、もしもし?」
『おう、どうした?』
「あのね、わたし学校帰りで今60階通りの近くにいるんだけどね」
『…は?』
「偶然友達に会ったから、今日は帰り遅くなるかも。だからご飯はいらないよ」
『ちょ、おい美尋?』
お願いだから、どうか気付いて。
散りばめられた違和感に、おかしさに、どうか気付いて。
『美尋、何かあったのか?』
「……」
『おい、』
「…静雄さ、」
無意識に出てしまった声に、思わず携帯の終話ボタンを連打する。
ややややばいっ、今完全にぽろっと出ちゃったよ!
男の人たちにはばれてないみたいだからまだ良かっ―…え?
「…ああ?」
「…手前ら、美尋に何してやがる」
それはあまりにも早すぎた。
わたしが心の中で彼に助けを求め、その十秒ほど後には、それはもうすぐそこにいたのだ。
「静雄さ、」
「ちゃんと連絡してきたな、えらいぞ」
その時わたしは混乱していた。
来てくれるかどうかすら賭けのようなものだったのに、まさかこんなにも早く姿を現すなんて、わたしには想像すら出来なかった。
けど今そこで、この路地の入り口で“進入禁止”の標識に手をかけているのは、紛れもなく心配性な家族。
「や…やべえ!平和島静雄だ!」
「手前やっぱりこいつに電話してやがったな!」
「でもさっきの会話は…」
「ゴチャゴチャゴチャゴチャうるせえんだ…よッ!」
ガタガタと震える3人の男に痺れを切らしたのか、静雄さんは手にしていた標識を引っこ抜き男たちに向かって投げつける。
だが男たちが恐怖を感じるのも無理はない。
およそ3日前に静雄さんの強さを目の当たりにし、それがすぐ目の前にいる。
そしてなにより、わたしが電話をしたのはわたしの“家族”であり、“平和島静雄”ではないはずだったのだから。
「や…やべえ、逃げるぞ!」
「お、おう!」
「逃げんじゃ…ねええ!!」
生存本能が働いたのか、間一髪のところで標識を避けた男たちはハッとして走り出す。
出来ることならもっと早く命の大切さを知り、静雄さんに喧嘩を売るような真似をするだなんて無謀なことはして欲しくなかったのだけど…
「うわっ!!」
「ぎゃああ!!」
「ああっ!!!」
少し離れたところからそんな声が聞こえたと同時に、男たちがぽいぽい投げ飛ばされていく。
…あーあ、どっかに刺さっちゃったりしないといいけど。
「大丈夫か?」
「え?…あああ、すいません!」
「? 何で謝んだよ」
「仕事中に!しかもタメ口で!」
煙草を口にくわえ、そう言いながらサングラスを外した静雄さんがへたり込むわたしに手を差し出す。
うあー、静雄さんのシャツちょっと汚れちゃってる…申し訳ない…
「気にすんなよ。あれで何となく気付いたし」
「え、何となく?」
「名前呼ばれてやばい状況なんだって確信した」
名前呼ばれて?
その言葉に一瞬フリーズした直後、自分の顔に熱が集中するのがわかった。
「ま、詳しいことは後で聞くわ」
「え?」
「俺、今日は珍しく仕事早く終わるんだよ。多分あと20分くらいで戻れっから」
「ちょっ…ど、どこ行くんですか静雄さん!」
そう言った静雄さんは、わたしの声なんて聞こえてないみたいに歩き出す。
えええ、わたし厄介な洗濯物処理しなきゃいけないんですよ!あなたの返り血だらけのシャツのことですよ!
「あー…ココア1つ」
「かしこまりました」
「え…は?」
わたしの手を引っ張ったままズガズカとカフェに入っていった静雄さんは、店員のお姉さんにそう告げてお財布からお金を出す。
…えーと、つまりどういうこと?
「待ってろよ。出来るだけ早く終わらせるから」
「は? え、いやわたし、」
「待 っ て ろ」
「はいもちろんです」
さすがにこれ以上駄々をこねたらどうなるかわからない。
そう思ったタイミングで出てきたココアをわたしに渡した静雄さんは、小さく笑ってお店を出て行く。
「…意味わかんない」
どくどくとうるさい心臓を押さえて窓に面した席から外を見れば、静雄さんが歩いていくのが見える。
その言葉に反応したかのようにカラン、と音を立てた氷は、まるで日常の終わりを教えているようだった。