「すごい!魚いっぱい!」
「そりゃ水族館だからな」
「あっ、静雄さんあれ!」
「…わかったから少し落ち着け」
今からおよそ30分前のこと。
60階通りで狩沢に怒られた(っつーのか?)俺は、何も理解していない様子の美尋を強引に水族館に連れてきた。
さすがにアレはまずかった、と今になって思う。
美尋の目の前であんなことを言った理由について話した後、「苛立つのもわからないでもないけど、本人の前で言うことじゃない」と言った狩沢には返す言葉もなかった。
美尋が門田たちと何を話していたのかはよく知らねぇけど、まあそれは後で聞くとする。
「すごーい…きらきらしてる…」
「………」
「あっ、静雄さんエイですよ!」
「あー…薄いな」
「薄いですねー…」
つい数十分、いや数時間前までは、正直言って美尋に対して苛立ちみたいなもんも感じていた。
けど仕方ねえだろ。
感謝の気持ちだとか何だとか、自分ばっかり伝えてこようとしてくるくせに、こいつはいつだってその逆を拒む。
俺だってこいつに対しては感謝とか……まあ、そういうもんもあるっつーのによ。
けど今目の前にいる美尋は、まるで小さな子供のようにガラスに手を当てて向こうにいる魚たちを眺めている。
…それを見てるだけで苛立ちがスーッと消えちまったんだから、俺も大概単純だと思う。
「美尋、あっちにラッコいるってよ」
「ラッコ!」
「ちょっ…おい、1人でふらふらすんな!」
近くにいた親子の会話を聞いて言えば、美尋は一目散に歩いていく。
…迷子になってもしんねえぞ。
「わーかわいい!ぷかぷかしてる!」
「…寒そうだな」
「ほんと、寒くないんですかねー」
「でもまあ屋内だしな」
「あ、そっかー」
水に浮かぶラッコを見ながらそう言った美尋の顔は、言葉に反してきらきらと輝いていた。
…今までこういうとこに連れてきたことはないわけだからまあおかしいことはないんだが。
何つーか…調子狂うな。
「…あ?」
ボーっとしていたのに気付いて、ハッと美尋の方を見た時だった。
つい数秒前までそこにいた、美尋の姿がない。
「ったく…」
また1人でどっか行こうとしやがって、迷子になったらどうすんだよ。
そんなことを考えて振り返るも、美尋がどこにも見当たらない。
「…マジか」
たくさんの人の中から見慣れた姿を探そうと目を凝らす。
……おい、マジで迷子かよ。言ったそばからなんて奴だ。
「…はぁ」
ため息を吐いて携帯を取り出し、美尋の名前を呼び出す。
思ったよりもすぐにつながった電話の向こうからは、焦ったようなあいつの声が聞こえてきた。
『し、静雄さん…』
「…1人でふらふらすんなって言ったばっかだよなあ、俺」
『す…すいません…』
「…はあ」
二度目のため息を吐けば、電話口からは再び謝罪の言葉が聞こえる。
…まああいつもはしゃいでたわけだしな、大目に見てやるか。
「今どこだ?」
『えーっと…あ、ペンギンの手前です』
「ペンギン?」
何かすごい生臭いです、とか言う言葉は無視して、近くにあった館内の案内図を見る。
…今の一瞬で何でそんなとこまで行けんだよ。
「…すぐ行くからそこで待ってろ」
『すいません…』
あいつ瞬間移動でも使えんのか、なんて考えながら歩き出せばそれは案外近く、5分も歩くことなくたどりついた。
…ったく、そんな泣きそうな顔すんじゃねぇよ。
「1人でどっか行くなっつったろ」
「…すいません」
「ンな顔するくらいなら勝手に動くな」
「……」
はい、と小さく呟いて、美尋が俺の手に軽く触れる。
…何でいつまでも泣きそうな顔してんだよ。
別に俺がもう怒ってねぇことくらい、お前だったらわかるだろ?
「…1人になっちゃうかと思いました」
「…自分でどっか行ったんだろ」
「そうですけど、…もう会えないんじゃ、ないかって」
携帯だってあるし、つながらなければ先に帰ってりゃ済む話だ。
けどうつむく美尋の表情は、そんな表面上のことを憂いてるようには見えない。
「…大丈夫だっただろ。ちゃんと来たじゃねぇか」
「…はい」
「わかったらもう勝手に1人でふらふらすんなよ」
いつまでも辛気臭い顔をしている美尋の額を本当に軽く小突けば、驚いた様子で俺を見る。
普段だって俺なりに手加減はしてるからそこまで痛くはないんだろうが、小突かれたのにも関わらず、まったく痛みを感じないことに驚いているらしい。
「ほら。ペンギン見るんだろ」
「え?」
「お前目ぇ離したらすぐどっか行くから。離すなよ」
「…はいっ」
やわやわと俺の手に触れていた美尋のそれを軽く握れば、美尋にとって全力であろう力で握り返される。
これっぽっちも強くないその力に、心の中で小さく笑った。