「…はあ」
言ってはいけないことを言っちまったのかもしれない、という自覚は少なからずあった。
言い訳じゃねえが、俺は機嫌が悪かった。そしてそれは美尋も気付いていただろう。
「何かあったんですか」なんて、わかってなきゃ聞いてこねぇ。
けど俺はそれに答えなかった。思い出したくもなかったからだ。
「…あー、イライラする」
もちろん美尋のことじゃねえ。
正しくは、仕事中に起きたことと、それが原因で起きたこの状況に対してだ。
理由もわからないまま美尋に早く帰って来いと言われたが、そう言うからには何かあるんだろうとは思っていた。
だから俺は早く帰ろうとしていたし、そのためと思えば仕事にだって力が入った。
けどそんな時に限ってうまくいかないもので、どこでどう聞きつけたのか、滞納者の中に美尋の存在をほのめかした奴がいた。
「物好きな女」だとか「お前みたいな奴と」だとか、まあ色々言ってたけど覚えてねえ。
案の定俺の触れちゃいけない部分に触れたそいつのことは、すぐどっかにぶん投げちまったけど、まあ出来もしねえ手加減はしたつもりだから死んじゃいないだろ。
「……はあ」
問題はその後だ。
ただでさえイライラしてたとこにその男のことがあって、それはもう、トムさんが話しかけてこないどころか少し距離をとって歩く程度に、俺は苛立っていた。
そんな時に現れたあいつが、うぜえことを言ってきやがった。
わかってるだろうがノミ蟲だ。
あいつも何かあってイライラしてたのか、そんなことは知らねえし興味もねえ。俺には関係ないからな。
けどそれが俺を苛立たせるには一番だと思ったのか、あいつまでもが美尋のことを口に出してきた。
「本当に必要とされてるとでも思ってる?」
「あの子がシズちゃんといるのは寂しいからだよ」
「孤独じゃなければ、君なんかと一緒にいるわけがない」
「家族ごっこも今のうちだよ」
決して美尋のことを貶める言葉じゃねえ。
それにその言葉のほとんどは事実だと思ったから、腹は立ったが我慢しようと思えた。
もちろん普段だったらすぐに殺しにかかってるが、早く帰ってこいと言いながらいまだ帰れない俺を、ひとりで待つ美尋が頭をよぎったからだ。
だから俺は、あいつを無視して帰ってきた。
「…わかってんだよ」
俺は何度目かわからないため息を吐き、同時に煙草の煙を吐き出した。
棘棘しい言い方をして美尋を傷つけた自覚はある。
けどノミ蟲に言われた言葉が、自分でもその通りだと思うのになぜだか無性に腹立たしくて、その感情のままあいつに接してしまった。
「…っつーかこんな時間に外行くなよ」
自分が原因と言うことも棚に上げ、ぽつりとつぶやいて美尋の携帯に電話をかける。
…出ねえどころか、部屋のどこかからバイブの音が聞こえてきた。
多分学校のかばんの中だ。
「…新羅んとこか?」
あいつには行き場がない。
携帯を持ってかなかったってことは多分財布も持ってかなかっただろうし、それならあいつが行きそうな所は新羅の家以外に考えられねぇ。
ぼうっとする頭で結論付けて新羅に電話をかければ、それはすぐに出た。
『もしもし、どうしたの?』
「…そっちに美尋行ってねえか」
『来てないけど…まだ学校から帰ってないの?』
「あー…帰ってないわけじゃねえんだけど、」
『え、喧嘩でもしたの?』
予想が外れたことに対する驚きはあったが、それ以上に驚いたのは新羅の“喧嘩”という言葉だった。
俺にとって喧嘩ってのは互いに暴力を働くことで、まさかこれが“喧嘩”だなんて、思いもしなかったんだ。
『ちょっと、何があったの?今日君の誕生日だろ?どうして喧嘩なんか―…』
「…色々あってな」
『その色々を―……いや、今はそんなことより美尋ちゃんを見つけるのが先だね』
まだ見つからないの?携帯に電話はした?
電話の向こうから聞こえてくる、いつになく真剣な新羅の声に静かにつぶやく。
「携帯は持ってってねえ。家ん中で鳴ってた」
『家の中でって…ねえ、周りがいやに静かだけど、君まさか家にいたりしないよね?』
「……」
何も言わずに煙草の煙を吐き出せば、珍しく怒りをこめたような新羅の声が聞こえてくる。
『馬鹿、何してるんだよ!早く探しに行けよ!』
「…わかってんだよ、そんなこと」
『わかってないからまだ家なんかにいるんだろ!』
わかってる。いや、わかってるつもりだった。
暗くなる前には帰れ、1人でも帰り道は気をつけろ。うるさいくらいあいつにそう言っていた俺だ、そんなことはわかってるはずだった。
けど今は、わからなくなっていた。
悔しいし認めたくねえけど、臨也の言葉が原因だった。
「…ノミ蟲に言われたんだよ。美尋は寂しいから俺といるだけで、孤独じゃなければ俺なんかといねえって」
『…は?』
「わかってっからむかついたんだよ。だから美尋に、」
『君は正真正銘の馬鹿だよ。いや、大馬鹿だ』
「…ああ?」
いつもの新羅だったら絶対に言わない言葉に、つい眉間に皺が寄る。
けれど奴は話すのを止めず、俺に向かって語りかけた。
『美尋ちゃんがいつそんなこと言った?君は、美尋ちゃんより大嫌いな臨也の言葉を信じるのかい?』
「それは、」
『美尋ちゃんはひとりだった。でも今は俺もセルティも、門田くんたちもいる』
「……」
『けどあの子に何かあった時、いつも一番に動くのは君だった』
新羅の言葉は何ひとつ間違っちゃいなかった。
けどそれは臨也の言葉を否定できるだけの材料にはならない、ただの俺の自己満足なんだ。
『君は何を望んでるの?美尋ちゃんが君の代わりに臨也のナイフに刺されでもしないとわからないのかい?』
「てめ…っ縁起でもねえこと言うなよ!」
『言わせてるのは静雄だろ!』
新羅にそう言われて、言い返す言葉が見つからなかった。
そうだ。美尋の気持ちも考えずに勝手に思い込んで、こいつにこんなことを言わせたのは、みんな俺だ。
『両親を失ったあの子の家族は、君しかいないってことに気付けよ』
「…はあ」
『…ようやく行く気になった?』
こいつにここまで言われねえと動けないなんて、無意識にしろノミ蟲の言葉が相当キていたらしい。
ああ情けねえ、格好悪ぃ。
「…行ってくるわ」
『僕らも探しに行きたいところだけど、生憎今から仕事なんだ』
「構わねえよ。お前らに先に見つけられんのも癪だ」
『…とにかく、仕事が終わったら連絡する。その時にまだ見つかってなかったら僕らも協力するから』
その言葉を最後に切られた電話は、むなしく俺の手の中におさまっている。
いつもだったらあんなこと言われた瞬間ぶん殴ってるが、今日のところはあいつに感謝してもいいかもしれない。
「…まじか」
ふと目についたあいつの上着を見て、口から無意識に声が漏れる。
ったく、上着も持たずに出て風邪引きでもしたらどうすんだよ。
そんな思いで床に置いてあった美尋の上着を手にした時、そのすぐ下にある何かに気付く。
「…なんだ、これ」
それは決して大きくはない、見慣れたハンズの紙袋だった。
持ってみるとそこまで重くもなく、こんな時だってのに好奇心のままに中身をちらっと覗いてみる。
「……」
そこにあったのは、黄色いリボンの巻かれた白い箱だった。
本来は勝手に見るもんじゃねえし、いつもの俺だったらここまでで袋の中に戻してたんだが、今日はなぜか違う。
気がついた時にはリボンをほどき蓋を開けていて、
「“HAPPY BIRTHDAY”…」
蓋を開けた拍子に落ちたカードには、確かにそう書かれていた。
そのカードを持ったまま箱の中身に目を向けると、そこにはライターがあり、よく見れば“S”の一文字が刻印されている。
「……馬鹿」
美尋に対して言ったように思えるが、実際そのほとんどは自分に向けたもんだった。
どうして俺は新羅の言うとおり、あいつを信じてやらなかった?
俺が帰ってくると嬉しそうに笑い、怪我をすれば少し怒りながら手当てをしてくるあいつより、どうして臨也の言葉を信じたんだ。
「…行くか」
その理由はわかってる。嫌になるくらいに、自分でもわかってた。
だからこそ俺はあいつに謝らなきゃいけねえし、礼を言わなきゃいけねえ。
元通りとは言わないまでも、出来るだけ最初に見た時のそれと近い状態に戻して立ち上がれば、自分の口元が弧を描くのがわかった。