すっかり忘れてた、なんて言ったら、君は怒るでしょうか?





「今日は何にしようかなー」


学校からの帰り道。
ここ最近で自分が作れる限りの料理を作り切ってしまい、レパートリーの少なさに絶望しながら60階通りを歩いている時だった。


「おっ、久しぶり美尋ちゃん」

「あ、トムさん!」


ファストフード店の近くで壁に寄りかかるトムさんは、そう言って軽く手を上げた。
最近は寄り道もしないで帰ってたから、会うのは2週間ぶりくらいかな。


「1人ですか?」

「いや、今静雄がコーヒー買いに行ってくれてんだ」

「あーなるほど」


トムさんは近くのお店を指差してそう言ったけど、まだ静雄さんが出てくる気配はない。
平日の夕方だし、時間帯的にも混んでるんだろう。


「静雄とはどうだ?ちゃんと仲良くやってる?」

「はい、おかげさまで」

「そっか、そりゃ何よりだ」


おかげさまっていうのは、実は社交辞令でも何でもなかった。
わたしが静雄さんの家で暮らしはじめてから、トムさんはわたしを1人で待たせるのは可哀想だから、とたびたび静雄さんを早く帰してくれているらしい。
そしてわたしがそういうのを気にすると知っているからこそ、トムさんはそれを毎日ではなく週に1・2度という程度にしてくれているのだ。


「美尋?」

「あ、静雄さん」

「今帰りか」

「そうですよー」


コーヒーを2つ手に持ってわたしに声をかけた静雄さんは、そのうちの1つをトムさんに渡す。
開けた飲み口からもくもくと上がる湯気がすごく熱そう。


「そうだ。今日夜ご飯何がいいですか?」

「あー…あったまるもんがいいな」

「じゃあお鍋とかにします?」

「おう、何の鍋かは任せるわ」


お鍋か。それなら買った食材を明日以降も使えるしいいかもしれない。
水炊きかキムチ鍋かどっちかがいいなあ、なんて考えていると、わたしたちを見つめるトムさんの視線に気付いた。


「どうしたんすか?」

「いやー…何かうらやましいと思ってよ」

「うらやましい?」

「ほら、家帰ったら待ってる人がいて、飯用意されてるとか最高だろ」


…それが彼女とかだったらそうでしょうけど、わたしただの同居人ですよ。
そう言おうとして言葉を飲み込んだのは、トムさんの表情が本当に寂しげだったからで。


「トムさんさえ良かったらうち来てくださいよ。こいつの飯結構うまいんで」

「マジで?」

「どうぞどうぞ、是非来てくださいよー」


一緒に食べる人が多いほどおいしくなりますから!
わたしが笑ってそう言えば、トムさんも「ありがとな」と笑った。
これも社交辞令とかじゃないから、本当に来てくれたら嬉しいなあ。


「…美尋さん?」

「え?」


ちょうどその時、すぐ近くから聞こえてきたわたしを呼ぶ声に気付いた。
そこにいたのは、あの日この60階通りで別れたきり一度も会っていなかった、紀田くん。


「友達か?」

「え、あ…はい。前に話した、来良の学園祭で知り合った男の子です」

「ああ、誘拐の話した時のか」

「そ、それは静雄さんが勝手に言ったんじゃないですか!」


小さな声でそう抗議すれば、紀田くんが少しだけ目を丸くしたのに気がついた。
ううどうしよう。
色々あって連絡するタイミングが失われたところに先輩のことが起きたから…正直忘れちゃってたけど、どうしたらいいんだろう。


「んじゃそろそろ行くか」

「はい」


そうトムさんが言ったのをきっかけに、それじゃあ、とわたしは歩き出した。
…のに、なぜか進めない。
なぜかじゃないですね。静雄さんがわたしの襟つかんでるからですね。


「待て。これ持ってけ」

「はい?」

「さみぃだろ。俺は何か適当に買うから、これ飲みながら帰れよ」


そう言いながら静雄さんが渡してきたのは飲みかけのカップで、いまだ湯気がもくもくと上がっている。
ちょ、これ中身コーヒーじゃないんですか。


「わたしコーヒー飲めないです」

「カフェオレだよ。飲めんだろ?」

「あ、カフェオレなら大丈夫です。ありがとうございます」


頷きながら言えば静雄さんは満足したように笑い、煙草を1本取り出した。
わたしが静雄さんとこんな風に、いつも通り話してるのは、紀田くんがいなくなったからじゃない。
いまだわたしのそばに立っている彼には、この前の時点でわたしたちが赤の他人じゃないことは気付かれてるんだから、誤魔化そうとするだけ無駄だと判断したためだ。


「寄り道すんのはいいけど暗くなる前に帰れよ」

「はい」

「仕事終わったら一回連絡入れるから、そしたら鍋の準備頼むわ」


そう言って静雄さんとトムさんは去っていき、その場にはわたしと紀田くんだけが取り残される。
手の中のカフェオレはあたたかいのに、このあと紀田くんに何を言われるのか考えると背筋に冷たいものが走った気がした。


「知り合いだったんすね」


静雄さんのことか、臨也さんのことか、どちらのことを言われたのかはわからない。
けどそのどちらだとしてもわたしは否定なんか出来なくて、だからわたしはうなづくしかなくて。


「…そんな急に元気なくさないでくださいよ!」

「だ、だって」

「たしかに俺は気をつけろって言いましたけど、俺が言うより前に知り合いだったんならどうしようもないじゃないっすかー」


言いながら笑う紀田くんに、ほっと胸を撫でおろす。
そうだよね。わたしが静雄さんと知り合ったのは紀田くんたちと出会うより前のことだし、第一気をつけろと言われた理由だってわからないんだから。


「しかし、まさか美尋さんがあの池袋最強と付き合ってるとは思わなかったっすよ!」

「いや、付き合ってないよ?」

「え、そうなんすか?」

「そうなんです」


みんなそう思うのか、とちょっと前の狩沢さんたちを思い出す。
あの人たちはちょっと想像力がたくましすぎるからだと思ってたけど、やっぱ紀田くんもそう思うのか。


「…あの、さ」

「んー?何すか?」

「どうして紀田くんは、静雄さんと臨也さんに気をつけろって言ったの?」


そう言った瞬間、紀田くんの表情に影が落ちたような気がした。
その表情はなんだか門田さんたちと話している時に似てて、少しだけ不安になる。


「あの人は単純に馬鹿力だから。女には手ぇ出さないだろうけど、一応ってことっす」

「…臨也さんは?」

「………」


臨也さんと過去に何かあったのだろう。
そうとしか思えない表情でうつむいた紀田くんが、何を考えているのかわからない。


「…気をつけてください」

「え?」

「もしかしたら俺が知らないだけでもう何か起きてんのかもしんねえ。けど、これからも気をつけてください」


ああそうか。
紀田くんはきっと、わたしと出会うよりずっと前に、あの人の手によって何か壊されたんだ。
その表情はわたしがそう察するに十分なくらいつらそうで、同時に自分の未来が少し怖くなる。


「平和島静雄と仲が良いってのは、それだけで対象になりますから」

「…うん、わかった」


紀田くんは決してはっきりと言わなかったけど、自分の知る折原臨也という人と、彼の見せた表情で十分だった。
これから何が起きるのか、起きてしまうのか。それを考えると不安でたまらないけど、静雄さんに心配をかけたくはない。


「…なーんちゃって!」

「え?」

「美尋さんみたいなかわいい女の子にこんな顔するなんて俺ダメダメっすね!」


いつもの笑顔でそう言った紀田くんは、戸惑うわたしの手をつかんで歩き出す。
えっ、ちょっと紀田くん?


「送りますよ、そろそろ暗くなってくるし」

「いやっ、大丈夫だよ!」

「だめですって。静雄が心配しますよー」


え、何でそんなこと。
紀田くんの考えてることがわからなくて、ただされるがままに引っ張られていってる。


「どういう事情かわかんないっすけど、さっきの会話から察するに」

「ん?」

「今日静雄が家に来るんでしょ?」

「………あー、」


言えない。
一緒に住んでるだなんて、わたしの家が静雄さんの家だなんて、絶対に言えない。
小さくため息を吐きながら、少し冷めたカフェオレをごくりと飲んだ。


 



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