「美尋っちー!」

「あ、狩沢さん!」


学校までの道のりもなんとか覚え、静雄さんと60階通りを歩いている時。
目の前から聞こえた声にすぐ気付いて手を振り返せば、狩沢さんは何だかすごく驚いたような顔をした。


「こんにちはー」

「何々、デート中?」

「いやー隅に置けないっすね〜」

「違いますって。買い物付き合ってもらってるんですよー」


わざわざ報告することでもないけど隠すことでもないか。
静雄さんとの同居についてのそんな考えは、この2人に会った瞬間に打ち砕かれた。
……うん、話すとしたらちゃんと相手を選ぼう。
そんなことを心に強く誓った時、缶ジュースを持って向こうから歩いてきた門田さんと目が合った。何だかとてもお久しぶりな感じがする。


「よう、この前ぶりだな」

「あん時は迷惑かけたな」

「静雄さん何か迷惑かけたんですか?」

「お前のことだよ馬鹿」


軽く小突かれた程度だったはずなのに、頭がずきずきと痛むのはなぜだろう。
何だ、あん時ってわたしが静雄さんから逃げ出した時のことだったんですか。
そうならそうと言ってくれればいいのに。


「買い物か?」

「おう、こいつの日用品買いにな」

「へー、何買ったの?」

「スリッパですよー」


ハンズの袋を掲げて狩沢さんにそう言えば、なぁんだ、とあからさまにつまらなそうな顔をされた。
わたしがオタグッズとか買うとでも思っていたのだろうか。


「ちゃんと仲直りしたんだな」

「うへへ、はい」

「…お前外いる時はうへへとか言うなよ」


またしても静雄さんに頭を小突かれ、おさまりかけた痛みが再発する。
とは言え今のは確かにわたしが悪いし、とりあえず黙っておこう。


「何か今の会話意味深!」

「意味深っすね〜」

「…こら、お前らあんま余計なこと言うなよ」


何が意味深で何が余計なことなのかはよくわからないけど、よくわからないからこそ聞かないでおくことにする。
この人たちに関してはそれが1番なのだ。


「そうだ狩沢さん」

「んー?」

「何かいいバイト知りません?」

「え、バイト?居酒屋は?」

「ちょっといろいろあって辞めたんです」


最初こそ驚いた顔をしたものの、あの出来事を知らない狩沢さんたちにとっては、へえそうなんだ、という程度のものらしい。
あの時は勢いもあって辞めてしまったけど、実際このままではいられない。
少しでも早くバイトを探してお金を得て、静雄さんにかけてしまう負担を減らしたい。


「別に急がなくてもいいっつっただろ」

「貯金は極力崩したくないし、お金がなきゃ自分の物も買えないじゃないですか」

「年開けとか4月になってからでもいいだろ、それまでは俺が買えば済むし」

「そういうわけにはいきませんよ。それに静雄さん帰ってくるまで暇ですし」

「TVでも見てろよ」

「毎日そんな風に過ごすわけにはいかないんですー」


まだ心配なのか、気を遣わせないようにしてるのか、あるいはその両方か。
真意こそわからないものの、静雄さんはわたしが急いでバイトを探すことをあまり快く思っていないらしい。


「あのさ、もしかしてなんだけど」

「何ですか?」

「2人って、一緒に住んでるの?」


狩沢さんのその言葉に、自分の思考が停止する。
…あ、ああああ!!


「ばれちゃったじゃないですか!」

「俺のせいかよ。つか隠してたのかよ」

「門田さんはまだしも、狩沢さんとゆまっちさんには黙っとこうと思ってたんです!」

「何それひどーい!」

「門田さんだけ良くて何で俺らはだめなんですか!」


ぎゃいぎゃいと騒ぎ始めたわたしたちの中で、ただ1人門田さんだけが口を閉じたまま立ち尽くしている。
おお、門田さんがこんなに驚いてる顔見られるなんてレアだな。門田さんってポーカーフェイスだし。


「付き合ってるの?」

「…いや、居候です」

「なぁーんだ、つまんないの」


つまんないって何ですか、そうそう面白い展開になったりなんかしませんよ。
…いや、あの人的にはこの時点で十分面白い展開なんだろうけど、静雄さんがいるこの場で考えることじゃないね。


「で、何で一緒に住んでるの?」

「あー…えっとですね…」

「おい狩沢、あんま詮索してやるなよ」

「何よー、ドタチンだって気になってるくせにー」


ヒートアップする前に、と言わんばかりに注意した門田さんだけど、気になってるという点については否定しない。
まあそうだよね、門田さんは静雄さんと高校時代からの知り合いなわけだし。


「…まあ、あれだ。この前こいつストーカーに遭ってな」

「ストーカー?もう大丈夫なのか?」

「あ、はい。色々ありましたけど、とりあえず解決した感じです」

「んで、こいつ1人暮らししてたから、危ねえしってことで俺ん家に住ませることにした」


住ませることにした、って。
お願いしたのはわたしなのに、静雄さんはまるで自分の意思だけで強引にそうしたかのような話し方をする。
こんな言い方して誤解されたりしないといいけど。


「まあ確かに美尋ちゃんは危なっかしいところありますから、その方が安心っすね」

「ああ、そうだな」

「…わたしそんなに危なっかしいですかね?」

「そりゃあもう!」


わたしの言葉にうなづく3人を見て静雄さんに視線をやれば、お前は危なっかしいよ、と何も言ってないのに言われてしまった。
否定してほしかったのに。


「ストーカーがバイト先の先輩だったんで、辞めることにしたんです」

「あーなるほど、それでバイト探してるんだね」

「そうなんですよー」

「んー、そうだなあ…」


出来れば時給が良くて、安全で、長く続けられる、夜9時くらいまでの仕事がいいですね!
ちょっと要求しすぎな気もしないでもないけど、それが1番の理想というだけで、最悪時給はちょっと安くても構わない。自分のものを買い控えればいいんだしね。


「美尋っち、ちょっといい?」

「何ですか?」

「いいバイトがあるんだけどね〜」


何か思いついた様子の狩沢さんに手招きをされ、みんなから少し離れたところにやってきた。
何でわざわざここまで来させたんだろう。


「あそこに立ってる女の子見える?」

「あそこ…どの人ですか?」

「ピンクのふりふりの服着てる人ー」


わたしの目線までかがんでくれた狩沢さんが指をさし、ピンクの服を着ている人を探す。
ピンク…ピンク…あ、いた。


「あの人がどうしたんですか?」

「ふふん。あのバイトはどう?」

「…え?」


あれって俗に言う、メイドさん?
わたしの家にはTVがなかったからよくは知らないけど、ご主人様だとかお帰りなさいませだとか言う、あのメイドさん?


「いやいやいやいやいやいや!」

「えー、美尋っちかわいいし清純っぽいし似合うと思うよー」

「似合う似合わないの問題じゃないです!」


ぶーぶーと不満を言う狩沢さんだけど、あんなの無理無理、恥ずかしすぎる。
ただでさえ知り合いの多くなった池袋であんな女の子らしさ満点の制服に身を包みバイトに勤しむなんて無理です、本当に無理です。


「どうした?」

「…何でもないです」


一刻も早く静雄さんのところに戻りたい。
そんな思いで彼らのところへ戻れば、不思議そうな顔をする静雄さんに反しゆまっちさんは意味がわかったかのように笑い、門田さんは呆れたように頭を抱えている。
…やっぱり静雄さんの言ってた通り、急がずじっくり探した方がいいのかもしれない。
と、思った時。


「あ」


聞こえてきたそれは本当に短くて、決して大きいとは言えない声で。
日曜日の夕方、人の多いこの60階通りにおいて、簡単にかき消すことの出来てしまう音だった。
実際その人が声をあげた瞬間隣をすれ違った人間がその声に気付いたかどうか、わからないほどの、音。

正確に言えば、わたしの耳にその音は届かなかった。
ではなぜ音の正体に気付いたのか。
それはわたしのすぐ横に、その音が大嫌いな人がいるからだ。


「…いーざーやーくーん」


わざと間延びさせた声に、わたしたちは震えた。
そんなまさか、ここにいるわけがない。
そのまさかに祈りを込めて振り返れば、わたしの祈りは簡単に打ち砕かれた。


「やあ美尋ちゃん、久しぶりだね」

「……」

「…え、何してんのシズちゃん」

「お前の声聞かせたらこいつの耳腐るだろうが、臨也くんよぉ」


わたしだけに向けられた臨也さんの声を無視しようと思った瞬間、おそらく静雄さんの手によってわたしの耳がふさがれる。
急速にふさがれた耳には痛みだけがじんじんと広がり、2人の会話はうまく聞き取れない。

その代わりにと周囲を見渡してみれば、おそらく彼らを知っているのであろう人々の多くが足早に去り、そのうちの一部と彼らを知らない人のうちの好奇心旺盛な人々が立ち止まり、無関心な多くの人間はこの険悪な空気にも気付かずに歩き去る。
ちなみにわたしは、足早に去りたいのに去ることの出来ない彼らの知り合いである。


「おわっ」


手が離れた瞬間はっきりと聞こえてきた周囲の音に驚いて声をあげれば、視界の端で静雄さんが動き出すのがわかった。
どうやら走っていく臨也さんを追いかけるらしい。


「…おい大槻、放っといていいのか」

「あー…いいです。多分ストレス発散させた方がいいと思うので」

「ストレス発散?」

「はい」


わたしが止めたことで、気が済むまで先輩を殴ることの出来なかった静雄さんを思い出す。
うん、相手が臨也さんなら大丈夫だろうし、臨也さんだからいいや。


「それじゃ、わたし帰りますねー」

「え、シズちゃん待たなくていいの?」

「多分お腹空くと思うんで、先に帰ってご飯作ってます」

「…お前って意外とマイペースなんだな」

「あの2人のアレに慣れてきたんですよ。あ、もし静雄さんがここに戻ってきたら、先に帰ったって伝えてください」


それじゃあまた、と軽く頭を下げ、献立を考えながら歩き出す。
今日日曜で人も多いし、暴れて物投げるのはいいけど誰かに怪我とかはさせないといいなあ。


「…美尋ちゃん、なんかすごい子っすね」

「だね。お腹空かせて帰ってくるからって…」

「…でもま、あれくらいが静雄には合ってるのかもな」


スタミナ回復を狙ってしょうが焼きにしようか、手早く食べられる丼物にしようか。
そんなことを考えながら歩くわたしの耳には、狩沢さんたちの声は届かなかった。


 



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