あの後すぐにセルティに連絡して、迎えに来てくれた彼女の胸で少しだけ泣いた。
送ったと思ったらすぐに呼ばれるだなんて何が起きたのかと思っただろうけど、わたしの目にたまった涙を見てセルティはすべてを察したらしい。

それでも話し始めたわたしの思いを聞いたセルティは、ただわたしを抱き締めて、《よく頑張ったね》という言葉をくれた。
そしてそんなセルティが落ち着きを取り戻したわたしにかけたのは、《呼んでくれてありがとう。甘えてもらえたみたいで嬉しいよ》という言葉だったから、また泣けてしまったのはわたしだけの秘密。


「よし、っと…」


所変わって平和島宅。
少なすぎる荷物の整理を終えたわたしは、窓の外にかけられたままだった静雄さんの洗濯物をたたんで小さく息を吐いた。

時刻はまだ午後7時。
未だ静雄さんの職業を知らないながらも、終業時刻が不定期ということだけはわかっているので、とりあえず【諸事情によりこれから帰ります。何か食べたいものはありますか?】とメールを送っておいた。
ちなみに投げられたにも関わらず携帯は壊れていませんでした。
そして返事はまだきていない。


「作れるものあるかなー…」


返事が来ていないとはいえ、メニューを考えておいて損はないだろう。
失礼ながら冷蔵庫の中を確認して驚いた。
…ちょ、飲み物とチョコしか入ってないじゃないですか。
もう冬なんだから冷蔵庫に入れたりしなくても溶けないですよ。


「……食料品買いに行こうかな」


自分のお財布の中に入ってる金額を思い出して、まあ何も買えないことはないか、と立ち上がる。
携帯、お財布、鍵。
全部持ったしさあ行こう、と玄関に立った時、突如開いたドアが顔面に直撃した。


「うぐぐ…!」

「…ん?お、おい美尋」

「うう…」

「悪い、こんなとこいると思わなかった。大丈夫か?」

「だ、大丈夫です…」


突然訪れた痛みにずきずきと疼くおでこを押さえ、落とした鍵や携帯を広い立ち上がる。
しかしどうしてこんな早くに帰ってきたんだ。


「静雄さんお仕事は?」

「言ってなかったか、今日休日出勤だったんだよ」

「あら」

「それと、トムさんにお前のこと話したら早く帰ってやれって言われてな」


それよりお前、どっか行くとこだったのか?
携帯と財布、さらに鍵を持ったわたしを静雄さんは不思議そうに見てそう言った。


「食料品買いに行こうと思って」

「あー…そっか、冷蔵庫ん中なんもねぇな」

「静雄さんは家いていいですよ、疲れてるでしょうし」

「いいよ。お前1人じゃ荷物大変だろうし、迷子になっても困るしな」


………。
反論したいのに出来ない悔しさで軽く睨んだけど、静雄さんにはまったく効果がないらしい。
はあ、とため息を吐きながら玄関を一歩出れば、静雄さんが鍵をかけて歩き出す。


「何食べたいですか?」

「引っ越ししたんだから蕎麦食った方がいいんじゃね?」

「え、引っ越し蕎麦ってご近所さんに挨拶で渡すんじゃないんですか?」

「そうなのか?」

「いや、何かもうわかんないです」


確か引っ越し蕎麦って、“おそばにきましたよー”っていう挨拶としてご近所さんに配るもの、だったような気がしたんだけどなあ。
でもわたしより長く生きてる静雄さんが言うんだから、そっちの方が正しいのかもしれない。
まあどっちにしても静雄さんのおそばに来ました的な意味で通用する気がするけど。


「よし、じゃあ今日はお蕎麦にしましょう!」

「そうするか」

「食料品たくさん買いますから覚悟しててくださいよー」

「任せろ」


とっても頼もしい静雄さんの言葉に、何だか頬がゆるんでくる。
いいなあ、何かすごく楽しい。
これから待ち受ける新しい毎日に期待して、スーパーに向かった。



******



「重くないですか?」

「こんくらい余裕だ」

「おおお…」


大量の食料品が入った袋をぶら下げ、美尋と歩く帰り道。
あたりからはカレーや焼き魚のような香りが漂ってきて、腹が減ったと改めて思った。


「そういやお前、何で今日早く帰ってきたんだ?」

「…ふふふ。それはですねー」

「…何だよ」


トイレットペーパーと洗剤の入った袋を前後に揺らしながら、何だか機嫌の良さそうな美尋がもったいぶる。
何だこいつ。


「バイト辞めたからです!」

「……は?」

「だから、バイト辞めたんです」

「いや、それは聞こえてっけど…」

「…あ、そうだ。新しいバイトはすぐ探すつもりなので安心してください」


俺より数歩前を歩く美尋の表情は見えないが、やけに明るい声が気になった。
いつものこいつなら、こういう時はもう少し真面目なトーンで話して、その後照れ隠しに茶化すような話し方をするはずだ。
なのに今は違和感を覚えてしまうほど楽しげに、まるで俺に心配をかけさせたくないかのように、明るい声で美尋は話す。


「…そんなんは別にいいけどよ。俺のこと何か言われたんじゃねえのか」

「わたしに関しては、被害者だから気にしなくていいって。静雄さんのことは…詳しくは聞いてないからわかんないですけど、先輩があることないこと言ってたみたいです」

「……」

「みんなもそれを鵜呑みにしてたんです。その瞬間何か嫌になっちゃって、未練とかなくなりました」


あることないことっつーのが、本当にでたらめなことだったのかはわからない。
いや、いくつかは本当のことだろう。けど美尋は、俺に有無を言わさないとばかりに話を続ける。


「わたしが、自分の意思で辞めるって言ったんです」

「……」

「実際先輩がいたお店で働きたくはないし、静雄さんに心配かけたくないし…それに、店長への不信感もありましたから」

「お前はそれでいいのか?」


どこか諦めたように笑う美尋に言えば、少し悲しそうな顔をした後、はい、と呟いた。
俺はこんなの望んじゃいなかった。こいつの居場所を奪いたいなんて、思っちゃいなかったのに。


「俺と知り合う前までのお前の居場所、どんどんなくなってんじゃねぇか」


家、バイト先、学校。
家を失って、俺と一緒に住むことになって、バイトを辞めて。
これで高校を卒業したら、俺と出会うまでの美尋が帰れる場所は、本当にどこにもなくなる。


「…そんなの、時間が経つにつれてなくなっていくものですよ」

「いや、そうかもしんねえけどよ、」

「それに、」


数歩前を歩いていた美尋が立ち止まったのと同時に、俺も足の動きを止める。
少しだけ緊張したように見上げた美尋の顔は、


「静雄さんの家じゃ、だめなんですか?」

「俺の家って、」

「静雄さんや新羅さんのところがわたしの帰る場所じゃ、いけませんか?」


小さな声でそう言った美尋は、さっきよりもはるかに悲しそうな表情で俺を見る。

…俺は何してんだ、何でこんな顔させてんだ。
ああもう、情けねえ。


「…ンなわけねえだろ」

「…ふふ、ありがとうございます」

「つーか、これからはお前ん家でもあるわけだからな」

「えへへ。はーい」


数十分ぶりに見た美尋の本当の笑顔に安心した時、ちょうど家に着いて美尋が鍵を開ける。
まだぎこちないその動きを見ながら開かれたドアを抜け玄関に入れば、俺より先に中に入った美尋が声をあげた。


「そうだ。さっき言い忘れてました」

「ん?」

「おかえりなさい」


俺の下ろした荷物を持ってそう言った美尋は、少し恥ずかしそうで、でも嬉しそうで。


「…おう、ただいま」


美尋もおかえり。
頭にぽん、と手を乗せて重たそうなその袋を奪えば、ただいま、という大きな声が聞こえた。


 



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