「…え、何があったの?」

「……いいから入れろ」


涙で顔をぐしゃぐしゃにしたわたしを見て言った新羅さんに、わたしの手を握ったままで静雄さんはそう言った。


《美尋ちゃん!大丈夫?痛いところはない?》

「…うん、大丈夫だよ。ありがとねセルティ」

《ひどい…静雄、誰が美尋ちゃんにこんなことを、》

「落ち着いてセルティ。多分一番腹が立ってるのは静雄だし、僕も君と同じ気持ちだから」


セルティも新羅さんも、わたしの様子を見て何かあったとわかったんだろう。
新羅さんにそう言われてPDAをしまったセルティは、苛立ちをかすかに漂わせながらソファーに座った。


「…美尋ちゃん、まずお風呂に入っておいで」

「…お風呂…ですか?」

「うん。話は静雄から聞くから、お風呂でさっぱりしてきちゃいな」


突然の新羅さんの言葉に戸惑ったけど、それに同意したセルティが、《わたしの服を貸してあげるよ》と打ち込んだPDAを見せてわたしの腕を引く。
別に怖い思いをしたというだけで、何かされたわけじゃない。
けどそこのもっと深いところにある嫌悪感を察してくれたような、2人の優しさが嬉しかった。



******



「…で、静雄はどういう状況だったか把握してる?」

「……俺が見てない部分はあいつから聞いただけだから、解釈の違いがあるかもしんねぇけど」

《構わないよ、話してくれ》

「…相手は美尋のバイト先の奴だった。美尋を一方的に好いてたところに、誰かがあいつに成りすましてメール送ってたらしい」

「成りすまして、って…」

「…俺に付きまとわれてるだとか、助けてだとか。ま、俺らが知ってるあいつが到底言いそうにねえことだな」


いつも以上に静かな静雄は、ぽつりぽつりと口を開く。
その様子はわたしが見たことないくらい重い雰囲気のもので、美尋ちゃんがどれだけひどいことをされたのか、本人の口から聞かなくてもわかってしまうほどだ。


「それで相手の男は、両想いだって勘違いしたの?」

「みたいだな。そいつの頭ん中では、助けを求められたと思って付き合ってるつもりだったらしい」

《何から何まで美尋ちゃんの思いとは間逆だな…》


話を聞けば聞くほど苛立ちは増していった。
まだ高校生のあんなか弱い女の子にそんな怖い思いをさせるだなんて、絶対に許せない。


「…で、結局レイプされそうになったの?」

「間一髪で未遂だったけどな。中途半端に服は脱がされてるわあいつ泣いてるわで、とりあえずキレて何発か殴っといた」

《そ、その時美尋ちゃんは大丈夫だったのか?》

「…あいつがいたせいかわかんねえけど、俺も何か落ち着いててよ。いつもみたくがむしゃらに暴れるっつーよりは、あ こいつ絶対殺す、って感じだったんだけどな」


あいつずっと泣いてたくせに、やっと口開いたと思ったら俺の名前呼ぶんだよ。
苦笑しながら言った静雄の目は、優しくもありながらどこか悲しみを含んでいるように見えた。


「そん時俺、こんなことしたお前が死ぬのは可哀想って言う美尋は優しいな、ってそいつに言ったんだ」

「…それでどうしたの?」

「離せっつったからもう一発殴って、殴り殺してやるって言いかけた」

《…静雄、それは、》

「わかってる。…いや、その後わかった」


わたしの言葉を制止して自嘲的な笑みを浮かべた静雄は、そのまま続ける。


「あいつ俺の背中にしがみついて、もういいっつったんだ」

「……」

「何かそれで、スーッと血の気が引いたんだよ」

「…そっか」


静雄の言葉に小さく呟いた新羅は、どこか安心したような穏やかな笑みで目を伏せる。
遠くから聞こえてくるシャワーの音の正体に、もしかしたらあの子はすごい子なんじゃないかと、頭の隅で考えた。



******



「…ん、」


かすかな物音で目が覚めた午前3時過ぎ。
隣で眠るセルティを起こさないように注意しながら廊下に出れば、バルコニーに立つ人影が見えた。


「…静雄さん、」

「…うお、美尋か」

「煙草ですか?」


おう、という声を聞きながら寝起きのせいでまだかすむ目をこすると、暗闇の中上へ上へとのぼっていく白い煙が一本見えた。
もう、わざわざこんな寒いところで吸わなくても、新羅さん部屋の中に灰皿用意してくれてるのに。


「寒いだろ、中入ってろ」

「静雄さんだって外いるじゃないですか」

「…中入るからお前も入れ」

「はーい」


ガラガラガラ、という窓の閉まる音を背後で聞きながら、少しひんやりとするソファーに座る。
月明かりだけが部屋を照らす中わたしの目の前に座った静雄さんは、何だか浮かない顔をしていた。


「…大丈夫か?」

「はい、もう全然平気です」

「お前嘘ついてたら怒るぞ」

「嘘じゃないですよ。静雄さんが助けてくれたから、もう平気なんです」


ならまあ、いいけどよ。
ちょっと恥ずかしそうにわたしから目を逸らした静雄さんは、どうやら照れているらしい。


「あー…今日泊まれることになって、よかったな」

「あのままじゃ寝る時寒いですもんね」

「……悪い」

「いやっ、そういう意味じゃないんで謝らないでください」


どうしても避けたいと思っていたのに、結局静雄さんに責任を感じさせることになってしまった。
今回は物だから手首の時ほどじゃないけど、それでも、静雄さんは何も悪くないのに責任を感じさせているのは何だか気分が良くない。


「あと…悪かったな、怖かっただろ」

「え?」

「…キレると周り見えなくなるんだよ俺」


だからお前の気持ちとか考えられなくて、悪かった。
そう言いながら軽く頭を下げる静雄さんになんて言ったらいいのかわからなかったけど、何かちょっと違う気がした。
説明しにくいけど、わたしが感じた怖さと、静雄さんが感じさせたと思っている怖さが、一致していないような、そんな違和感。


「あんな静雄さん初めて見たから、びっくりしたし、怖かった、です」

「……」

「けど、何ていうか。わたしが本当に怖いと思ったのは、それとは別のもので」

「…別のもの?」

「難しいんですけど…静雄さんが静雄さんじゃなくなって、どっか行っちゃうんじゃないかって、思って」


この抽象的な気持ちをどうにかして伝えたいのに、それが出来ない自分が腹立たしくていらいらする。
先輩を殴ったりしてた時の、表面的な部分の静雄さんを怖いと思ったわけじゃないのに。


「わたし、あのままだったら、静雄さんが傷つくことになるって思ったんです」

「…何で俺が傷つくんだよ」


わたしが先輩のせいで怖い思いをして、その先輩に対して暴力を振るった静雄さんが傷つくだなんて普通はおかしいと思うだろう。
けどあの時のわたしは確かにそう思っていた。
だから静雄さんを止めないといけないって、思ったんだ。


「あのまま静雄さんのことを呼ばなければ、多分静雄さんは気が済むまで先輩を殴ってたと思います」

「………」

「けど落ち着いた時に、わたしに怖い思いをさせたって、ものすごく自分を責めるんだろうって」


静雄さんは優しい人だから、そしたらもう、わたしと関わってくれないかもしれない。
せっかく出会った人を失ってしまうかもしれない。
そう思ったらすごく怖くなって、だから、怖くても。

少しうつむきながら言ったせいで、静雄さんがどんな表情をしているのかはわからなかった。


「確かに先輩が死ぬのは後味が悪いし、わたしのためとは言え、静雄さんが誰かを殺しちゃうのは嫌でした」

「……」

「けどそれより、責任を感じて静雄さんが離れていくことの方が、ずっとずっと嫌でした」


この思いは静雄さんに届いているのだろうか。
わたし1人が話し続ける状況で、わずか1メートルほどの距離がもどかしい。


「それに、静雄さんはちゃんと止まってくれましたよ」

「……」

「…わたしが名前呼んだら、静雄さん殴るのやめてくれました」

「…そう、だな」


だから大丈夫。周り見えなくなってなんかいないですよ。
やっと口を開いた静雄さんに笑ってそう言えば、苦笑しながら静雄さんが煙草に火を点ける。


「…とにかく、先輩を殴った静雄さんに関しては怖いとか思ってませんから」

「…おう」

「…本当に、感謝してるんです。わたしずっと、助けて静雄さんって思ってたんです」


けど漫画みたいな奇跡は起こらないと思ってた。
なのにそれは本当に起きて、わたしは無事に今この瞬間を過ごすことが出来ている。


「だから静雄さんは、わたしのヒーローです」

「…ヒーローはドア壊したりしねぇだろ」

「困ってる人を助けるためならドアくらい余裕で壊しますよ。ウルトラマンだって足でビルとか破壊しまくってますもん!」


相変わらずドアのことを気にしているらしい静雄さんだけど、さっきよりはだいぶ声が明るい。
多少は元気を出してくれたのだろうか。


「それにしても…まじでどうすっか、あのドア」

「あー…」

「大家に修理費請求されるだろ。直るまでどれくらいかかるかもわかんねぇし、最悪追い出されるかもしんねぇな」


ちょ、恐ろしいこと言わないでくださいよ。
そう思いながらもそれを否定できないのもまた事実で、さっきまで存在していなかった不安が頭をぐるぐる駆け巡る。


「…なあ美尋、」

「はい?」

「うち来るか?」


もし追い出されて引っ越すことになったらまた敷金礼金かかるよな、どうしようかな。
そんなことを考えながら1人うんうん唸っていたとき、不意な静雄さんの言葉に、思考が一瞬にして停止する。
そしてそれと同時に脳裏をよぎったのは、数日前に言われた、新羅さんの言葉で。


「…今、なんて言いました?」

「だから…うち来るかって」

「な、なぜ」

「修理にしろなんにしろ金はかかるわけだし、お前だってあんなことあった家で暮らすのも嫌じゃねえかと思っただけだ。それに俺も、お前を1人で、暮らさせん の、は…」


最初こそいつもと同じ涼しい顔で言っていた静雄さんがの表情が、見る見るうちに真っ赤になっていく。
それに比例して歯切れの悪くなっていった言葉は、ついに最後まで言われることなく途切れてしまった。


「……いや、何でもねえ。忘れろ」

「えええ…」

「…えーって何だ、えーって」

「……お願いします、って言おうとした矢先に、忘れろって言われたので」

「………は?」


いや、は?って何ですか。
自分で言い出したことなのに何で驚くんですか静雄さん。


「お前自分が何言ってるかわかってんのか?」

「最初に言ったのは静雄さんじゃないですか」

「それはそうだけどよ…いいか美尋、お前はまだ高校生だ」

「はい」

「いろいろと考えねえのか?今日あんなことがあったばっかで、男と2人で1つ屋根の下だぞ?」

「あんちゃん!」

「茶化すな馬鹿」


何の前触れもなくいきなり真剣に話し始めた静雄さんが面白くて、つい言ってしまっただけなのに頭を叩かれた。いたい。


「…だって信じてますもん」

「は?」

「静雄さんはそういうことしない人だって、信じてるっていうか、知ってますもん」


叩かれたおでこの少し上あたりをさすりながら言えば、落ち着き始めていた静雄さんの顔がまた赤みを取り戻す。
ふん、いくら脅したってわたしわかってるんですからね。


「もしぽろっと口から出ただけなんだったら、聞かなかったことにして今まで通り普通に暮らします」

「………」

「でももう、あんな怖い思いはしたくないんです」


自分1人じゃ何も出来ないんだって思い知らされた。
そしてそれと同時に、静雄さんの強さと、大切さを知った1日だった。


「…はあ」

「…何ですか」

「もう寝ろ」

「え、いきなり?」


1人ソファーを立ち上がった静雄さんは、すれ違いざまにわたしの頭を軽く叩く。
え、もう何なんですかほんと。


「明日は忙しくなんだから、ちゃんと寝て体力つけとけ」

「……1つ聞いても、いいですか」

「…何だよ」

「その忙しさとか体力って、どういうものが原因ですか?」


わたしの言葉を聞いた瞬間、静雄さんの足がぴたりと止まる。
どくんどくんとこの時間に不釣合いな心臓の速さが不快で急かしてしまいそうになった時、静雄さんが息を呑む音がした。


「…荷物運び、とかだな」


わかったらさっさと寝ろ。
背中越しに静雄さんの表情を伺うことは出来ないけど、きっと今、ものすごい赤い顔してるんだろうなあ。


「…あー。美尋、」

「はい?」


セルティの眠る部屋に戻ろうとしたところで、低い声に呼び止められる。
半分ドアに手をかけた静雄さんの顔は相変わらず見えない、けど、


「…ありがとな」


一方的に言ってドアの向こうに消えた静雄さんに、どういたしまして、と小さく呟く。
お父さん、お母さん。2年前家族を失ったこの日、わたしには家族が1人増えることになりました。


 



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