またあの日の夢を見た。
お父さんとお母さんと、久しぶりに3人で出掛けたある秋の夕暮れ時。
他愛のない話をするわたしを、愛おしげに見る2人の眼差し。
「それでね、××ちゃんが―…」
親友の名前を上げた時のことだった。
目の前から迫ってくるトラック、微笑む運転席と助手席の両親、見開かれるわたしの目。
「 あ、」
何かを言う間もなく、考える間もなく、わたしの体に衝撃が走っていた。
轟音と痛み、圧迫感に支配された脳内には状況を理解することも出来ずに―…
「大丈夫?」
「…………」
「今回は本当に……」
気がついた時には、病院のベッドの上だった。
体から伸びる細い管、動かない手足、全身に広がる痛み。
そしてわたしのすぐそばに立った男の人や看護婦さんは、同情の眼差しを向けていた。
「君だけでも無事でよかった、」
「お父さんとお母さんは、」
「これからは親戚の方のところに、」
すべてを悟った瞬間からの記憶はない。
その次に意識が戻った時には、益々同情の色を濃くした大人たちの視線と、受け入れられない事実と、現実味のなさに包まれていた。
「…っ」
パチ。
目を開いても辺りには暗闇が広がっていて、まだ夜が明けていないことがわかる。
もう季節は冬になるというのに、体中にじんわりとかいた汗が不快だった。
「……また死んじゃった」
助けられなかった。
危ないと声を上げることが、2人を守ることが、何もかもが出来なかった。
悔しさからか悲しさからか、溢れる涙が伝うのを感じながら開いた携帯には、あの日の日付が表示されている。
「…ごめんね、」
今年も助けてあげられなかったよ。
お父さんたちが亡くなって今年で2年、命日の日には、毎回同じ夢を見た。
そのたびにわたしは2人を助けることも出来ずに、同じ結末を繰り返す。
「……………………」
けど今年は、そこで終わりだった。
その後わたしの身に起きたことは、夢に見なかった。
いつもだったらそこで場面が切り替わって、学校の景色になって―…
「……ん、?」
そこまで考えた時、手に持ったままだった携帯が震えているのに気がついた。
開いたそこには数時間前まで一緒にいたあの人の名前が表示されていて、一抹の違和感を覚える。
「…なんだろ」
まさかこんな時間にかけてくる人だとは思わなかった。
いや、1時前だから遅くないと言えば遅くないんだけど、一般的には遅いと言われる微妙な時間帯。
わたしはまったく気にしないけど、そんな時にかけてくる人だとはちょっと意外だったな、と考えながら通話ボタンに手を伸ばす。
「もしもし、静雄さん?」
『遅くに悪いな。寝てたか?』
「いえ、ちょっと前に目が覚めちゃったところでした」
『あー…やっぱ寝てたか』
「電話で起きたわけじゃないから大丈夫ですよ」
申し訳なさそうに話す静雄さんにそう言えば、『ならいいけどよ』とまだ申し訳なさの残る声で返された。
あーもう、声聞いただけで何か安心しちゃってるって、一体どういうことなの。
そんなことを考えながら用件を問おうとしたところで、電話の向こうから聞こえてきた声に息を呑む。
『つーか、お前声どうした?』
「え、」
『何か鼻声っぽいけど。風邪でも引いたか?』
「…っ」
『さっきはそんな声してなかったよな?』
駄目だ、ばれちゃいけない。心配をかけたり迷惑をかけちゃいけない。
そう思って深く息を吐き、口を開く。
「風邪引いたのかも、しれないです」
『寒くなんのはこれからなんだから気をつけろよ』
「はい、そうですね」
うまく誤魔化せただろうか。
静雄さんにはこれまでいっぱい迷惑をかけてきたし、今だって、不本意ではあるけれど迷惑をかけている最中だと言える。
だから、絶対に知られちゃいけない、のに。
『…美尋?』
「っあ、はい、っ」
『お前泣いてんのか?』
そう言われた瞬間どくんと心臓が跳ねて、うまく呼吸が出来なくなった。
否定しなきゃ。違うって言わなきゃ。
そう思いながらうるさい心臓を押さえてみても、数時間前に新羅さんに言われた言葉と、再びこぼれだした涙が邪魔をする。
『おい、美尋?』
「…っだいじょ、ぶ…で、」
『待ってろ、すぐ行く』
その言葉を最後に切られた電話は、耳元で無機質な音を立てる。
ああ、駄目だって思ったのに。いけないってわかってるのに。
今日もわたしは、迷惑をかけてしまうらしい。
******
「美尋、大丈夫か?」
「……すいません」
「何で謝んだよ」
あれから数分、本当にすぐ来てくれた静雄さんは、わたしの頭をくしゃりと撫でて苦笑した。
「ストーカーに何かされたか?」
「…大丈夫、です」
「そっか」
その言葉に続いて聞こえてきたため息は、安堵のそれなのだろうか。
真っ赤に腫れた目を見られたくないから、静雄さんの顔を見れないから、その正体はわからないんだけど。
「…何があった?」
「……大したことじゃ、ないですよ」
「目ぇ腫らして言われても説得力ねぇよ」
屈んでわたしと視線を合わせようとした静雄さんから、パッと顔を逸らしてしまった。
…あ、まずい。視界の隅っこからしか判断できなかったけど、多分眉間に皺寄った。
「…すいません、あの、本当に大したことじゃなくて」
「……………」
「…ちょっと、怖い夢見たんです」
嘘は吐いていない。
というより本当のことを言ったのに、じわじわと広がる罪悪感は何だろう。
「…本当か?」
「…はい」
本当は、罪悪感の正体なんてわかってる。
静雄さんが知りたいのはその一歩先で、わたしが泣くほどの、夢の内容なんだろう。
けど、
「すいません、遅くに来てもらっちゃって。早く言えば良かったですね」
「別にそれはいいけどよ…」
「静雄さんもお仕事の後で疲れてるのに、本当、ごめんなさい」
けど、言えない。言いたくない。
今までは1人でもどうにか出来たんだから、今年だって、静雄さんにこれ以上の迷惑をかけずともいられるはずだ。
何よりせっかく仲良くなれたのに嫌われたくないし、わたしの弱いところとか、醜いところとか、そういうの全部、これ以上見られたくない。
「わたしは大丈夫ですよ」
「………」
「…あ、すいません、何かあったかいもの淹れますね」
「いや、」
ドアの前に立ち尽くしたままだったことを今更ながらに思い出し、きびすを返した時だった。
いつもより低い静雄さんの声が背後から聞こえてきて、無意識のうちに肩が震える。
「…静雄さん?」
「……ああ、悪い。今日は帰るわ」
「…そう、ですか」
「じゃあな。早く寝ろよ」
そのままノブを掴んだ静雄さんは、わたしの別れの言葉も聞かずにドアの向こうへと消えていく。
よかった。見られたくないものを見られずに済んだ。聞かれたくないことを聞かれずに済んだ。
だからこれでよかった。はず、なのに。
「 静雄、さん」
名前を呼んでもこたえてくれないのは、本当のことを話せずにいたわたしへの報いなのだから、当然のことなのに。
これで良かったはずなのに、少しだけ寂しいと思うのは、わたしが悪くて、でも静雄さんのせいで。
「…静雄さん、」
ねえ静雄さん、知ってますか。
わたしは、
(「幸せになっちゃいけない」らしいですよ)