「美尋ちゃんお疲れ様!」
「気をつけて帰ってねー」
「はい、お先に失礼しまーす」
バイト先の居酒屋を出て、薄暗い路地を歩く夜10時。
ああ疲れた、今日も元気にいっぱい働いたな。
そんなことを思いながら、お酒のせいで千鳥足になっているおじさんを横目に歩いていた時、それは起こった。
「おねーさんっ」
「こんな時間に何してんのー?」
「えっ」
ふいに聞こえた声と肩にかけられた手に、体が大きく揺れた。
もし声だけだったら無視することも出来たけど、相手はすぐ近く、というより真後ろにいながら私の肩に触れている。
うるさい心臓のまま恐る恐る振り返れば、嫌な笑顔を浮かべた3人の男が目に入った。
「…な ん、ですか」
「だーかーらぁ。こんな時間に何してんの、って」
「うわっ、高校生だぜこの子!」
「ダメじゃん、高校生がこんな遅くにフラフラしてちゃ」
にやにやと笑いながら言う男たちに、嫌悪感が湧いてくる。
…まあ、いくらここが路地とは言え少なからず人はいるし、もし大声を出せばその数は増すだろうから、そこまでの恐怖感はないけど。
だからと言って、自分の身に突如訪れた災難に対してのうのうとしていられるわけもなくて。
「俺たちが送ってあげよーか?」
「最近物騒だしさぁ、1人じゃ危ないってー」
「ちょ…離してください」
ああもう、嫌だなあ。そんなことを思ったのも束の間、肩に触れていたのとは別の男が私の手首を思い切り掴む。
あの、ちょっと普通に痛いし離して欲しいんだけど。
っていうか誰か助けなよっ、女の子が男に絡まれてるんだよ!
なんて思いであたりを見回してみるも、周りの人は助けるどころか目を逸らす始末。
え、おじさんさっきまで千鳥足だったじゃん、何で急にスタスタ歩き始めるのっ、そしてどうして何も見てないふりするの!
なるほど、みんな面倒ごとには巻き込まれたくないらしい。
これだから東京の人間は冷たいって言われちゃうんだと、今や都民になった自分を棚に上げて内心悪態を吐く。
「ほら、どんどん帰りが遅くなっちゃうよ?」
「大丈夫だって、俺ら優しいからさー」
「そうそう!変なことなんてしないから安心してよー」
安心なんてできるか!
心の中でそう叫んで振りほどこうとしても、そこは男女の力の差。
到底振りほどけるはずもなく、ただぐいぐいと腕を引いて抵抗することしかできない。
「誰か…ッ」
ガシャン!
助けて。
その言葉は、私の目の前をかすめた何かと、一瞬にして消えた男たちと、突然聞こえてきた正体不明のものすごい音にかき消された。
瞬く間に起きたいくつもの出来事に頭が混乱しながらも、音がした方に視線を向ける。
…え、自販機?
「………ゴチャゴチャうるせえんだよ」
「…は?」
反対側から聞こえてきた声に、思わず振り返り目を凝らす。
背が高くて、金髪で…バーテンさんの服を着てる、サングラスをかけた男の人。
短い時間にいろんなことが起きすぎて頭ぐちゃぐちゃだけど、多分あれだよね。
自販機投げたの、この人だよね?
「お、お前…!」
「やべぇ、平和島静雄だぞ!」
「あぁ?何か文句あんのか」
「いっ、行くぞ!」
ついさっきまで私に絡んでいたとは思えないほど真っ青な顔をした男たちが、ものすごい勢いで逃げていく。
…え、っと。何が何やらわからないけど、解放されたってことでいいのかな?
逃げる男たちの背中を眺めながら考えていると、足元にひとつ、長い影が差し込んだ。
「おい」
「…え、」
あまりのことに半ば呆然としていた私を現実に引き戻したのは、さっきよりいささか低さの消えた声だった。
振り返ったそこにはもちろんバーテンさんがいて、へたりこむ私を見下ろしている。
「怪我してないか?」
「えっ、あ…大丈夫、です…」
「気をつけろよ、時間も遅ぇんだし」
数秒前の出来事が夢だったのかと思ってしまうほど、目の前の人は穏やかに話す。
まるで何事もなかったみたいだけど、自販機投げるとかどんな怪力だ。
いや、今はその怪力に感謝しなきゃいけないわけだけど。
「立てるか?」
「え?」
「…ほら、」
「いっ…!」
ぽかんとしていた私の手首を引っ張り、バーテンさんが立ち上がらせようとした時。
鈍い痛みが走って、ついそんな言葉が漏れてしまった。
「っ、悪ぃ、大丈夫か?」
「あっ、さっきの男の人が自販機に当たった時に、引っ張られた拍子でぐにゃっとしただけなんで、」
大丈夫です、…たぶん。
ジンジンと痛む左手首を抑えながら曖昧に笑えば、バーテンさんは少し安心したように笑う。
吹き飛ばされた拍子に離れたけど、それまであの人、私の手首掴んでたわけだし…うん、多分あの時だよね。
「痛むか?」
「ちょっとジンジンして熱いだけなので大丈夫です」
「…俺の知り合いに医者がいるから、一応診てもらうか」
「は?」
あれよあれよという間に話が進んでいって、正直展開についていけない。
私大丈夫って言ったよね?え、言ったよね?
「あのっ、本当に大丈夫ですから…!」
「骨折でもしてたらどうすんだよ」
「いやいやいやっ、ほら、痛いけど動きますからっ」
「ヒビ入ってたりするかもしんねえだろ」
地面に落ちっぱなしだった私の荷物を持ち上げて、バーテンさんが歩いていく。
カ、カバンが人質に。
「ほら、行くぞ」
…何かよくわからないけど、とりあえず行かなきゃいけないらしい。
お礼もまだ言ってないのに、と溜め息を吐いて、ずいぶん前を歩くバーテンさんを追った。