「頑張って紀田くん!君の強運を見せて!」
「いけっ」
「おおー!」
池袋のとあるゲームセンター。
わたしたちが熱中してるのは、なんてことはないクレーンゲーム。
「すごいね紀田くん!」
「フッ、これくらい当然っすよ!」
6回目の挑戦でやっと手に入れることが出来たぬいぐるみを誇らしげに掲げる紀田くんは、やっぱり男の子なんだなあ、と改めて思った。
ほら、男の人って狩猟本能が備わってるって言うでしょ?
「んじゃ、これは美尋さんにプレゼント〜」
「え、いいの?」
「俺が持ってたってしょうがないっしょ!こういうのはかわいい女の子が持ってた方がいいんすよ」
600円かけて手に入れたピンクのうさぎのぬいぐるみが、戸惑うわたしの腕におさまる。さっきチュッパチャップスも取ってもらっちゃったのにいいのかなあ。
「そろそろどこか移動しません?」
「そうだね、少しお腹空いてきたし」
「美尋さん食べたいものあります?」
「うーん、何だろうなあ」
食べるものも特に決まらず、あてもなく歩く60階通り。
綾ちゃんは部活で忙しいし、こうやって放課後に遊ぶのも久しぶりだなあ。
なんて、考えていた時。
「やあ美尋ちゃん」
「…うあ、」
突然かけられた声に肩が震える。
その瞬間に紀田くんの目が鋭くなったように見えたのは、気のせいだろうか。
「………」
「え、無視?それはさすがの俺も予想外だったよ」
「人違いじゃないですか」
「何言ってるのさ。大槻美尋ちゃん、俺が君のこと間違えるわけがないだろ?」
先日の紀田くんの言葉を忘れていない以上、ここで臨也さんと話すわけにはいかない。
そう思ってさっさと歩き出した。のに、
「…離してください」
「俺のこと知ってるって認めたら離すよ」
「………ああもうわかりました!認めますから!」
にやにや笑いながら言う臨也さんの目に負けて、ついに折れてしまった。
紀田くんがどんな表情をしているかわからない。けど、振り返るのが怖いのはなぜだろう。
「やあ紀田くん、久しぶりだね」
「…どうも」
「…え、知り合いだったんですか?」
「うん、ちょっとね」
何だか不穏な空気が流れてるけど、この場はどう切り抜けよう。
そう思うもどうしたらいいのかなんかわからず、ひとまず臨也さんの腕をつかんで少しだけその場から離れてみる。
「何?」
「…あの、臨也さん今日はどうしたんですか?」
「仕事で来る用事があってね。それが済んだからぶらぶらしてただけだよ」
「この辺うろついてると静雄さんに見つかりますよっ」
紀田くんと臨也さんの関係がわからない以上、紀田くんに言われたことを伝えるわけにはいかないので、とりあえず静雄さんの名前を出してみた。
静雄さんすいません!
「臨也ああああ!!!」
「あああ…!」
数メートル後ろから聞こえてきた声に、恐れていたことが起きてしまったと血の気が引くのがわかった。
ああもう来ちゃったじゃないですか!
「やあシズちゃん」
「っ…美尋?」
「あはは…す、すいません!」
「何で謝ってるのさ。別に君は何も悪くないじゃん」
「むしろあなたが謝ってください!さっさと帰らないからこんなことになっちゃったんですよー!」
「え、俺が悪いの?」
当然です!
そう言ったはいいけど、この状況って結構やばいんじゃない?
「…おい美尋、ずいぶんノミ蟲と仲良さそうじゃねぇか」
「…あ」
「あーあ、俺知らないよ」
ぴりぴりとしていた空気が凍りつく。
やばいやばいやばい。
臨也さんがいるせいで、ただでさえ不機嫌だった静雄さんの苛立ちが限界に達してるのを肌で感じるけど、ここで臨也さんの後ろに隠れようものなら自分の身まで危なくなる。
だからと言って今静雄さんの元に行くのはさすがに怖いし、こうなってしまった以上紀田くんのとこに行くのも…ああああああどうしよう!
「すっ、すいません!さようなら!」
「っおい美尋!」
「じゃあね美尋ちゃん、また今度〜」
額に青筋を浮かべた静雄さんと口をぽかんと開ける紀田くん、そして憎たらしい笑みを浮かべる臨也さん。
心の中でごめんなさいと謝りながらも、動き出した足は止まらない。
背後から聞こえてきた轟音に肩を震わせながら走るわたしに、行ける場所なんて存在しなかった。
******
「ん、あれ美尋っちじゃない?」
「ほんとっすね〜」
「…何か焦ってるみたいだな」
いつもの駐車場に車を止め、その脇で何をするわけでもなく立っている時だった。
走ってくる1人の女子高生に気付いた狩沢が声をあげ、それに同調するように2人が口を開く。
「おーい美尋っちー!」
「っ、狩沢さんっ!」
「おわっ!え、どうしたの?」
「助けてください!!」
狩沢に抱きついた大槻は泣きそうな顔でそう言って、俺たちに助けを求めた。
******
「すいません、本当に助かりました…」
「…何があったんだ?」
60階通りを駅方面に爆走して十数秒、狩沢さんの声に足を止めれば、見慣れた人たちが不思議そうな顔でわたしを見ていた。
そうしてわたしは今ワゴンの中にいるわけなんですが、…うん、あの状況で助けてだなんて何事だと思いますよね。
あ。すいません門田さん、ココアありがとうございます。
「…紀田くんと遊んでたら、知り合いに声をかけられたんです」
「知り合い?」
「はい。その人は静雄さんが大っ嫌いな人なんですけど…」
「ああ、臨也か」
え、門田さん臨也さんのこと知ってるの?
そんなことを思いながら目を丸くして門田さんを見れば、高校の同窓生だと言われた。
へえなるほど…って、え、同窓生?ってことは、静雄さんと門田さんと、新羅さんと、臨也さんは。
みんなみんな、高校時代同級生だったってこと?
「えええええええ」
「あはは、美尋っちびっくりしてる!」
「びっくりもしますよ!」
ちょっと待って、今すごい混乱してる。
臨也さんはそんなこと言って…いや、別に言う必要はなかったっちゃなかったけど、こうも点と点がつながって線になるなんて思わなかったよ。
「で、臨也がどうした?」
「ああえっと…わたし、あいつには気をつけろって静雄さんに言われてて。だから、静雄さんが来る前にどうにかしようと思ったんですけど、」
「…ちょっと待って、そもそも美尋っちはどうしてイザイザと知り合いなの?」
そういえばそのこと言ってなかったなあ、っていうかイザイザって。
心の中でそんな突っ込みをしながら、狩沢さんの質問に答えるべく口を開く。
「…臨也さん、前わたしのバイト先に来たんです。静雄さんと仲良い女子高生っていうのに興味があるって」
「あらー」
「けど話すタイミングなくて、わたしそのこと静雄さんに言ってなかったんです」
「…なるほどな」
そこまで話して納得したらしい門田さんは、腕を組んだまま深いため息を吐いた。
あ、ゆまっちさんさっきから話してないけど、ちゃんとこの場にいるからね。
渡草さんはわたしが車に乗り込んだ時点でもう寝てました。
「つまり、面倒なことになる前にさっさと帰ろうとしたら静雄に見つかっちまったってことか」
「はい…」
「面倒なことを回避しようとしたら余計面倒なことになっちゃったんすね〜」
「美尋っちも運が悪いねー」
まったくその通りだと思います。
そもそもわたしがちゃんと静雄さんに話してたらもう少し状況は違ってたんだろうけど、ほんと見事にタイミングがなかったんですよ。
「今頃お前のこと探してるだろうな、静雄」
「う…」
「嫉妬の炎に狂う男から逃げる少女!」
「黙ってろ遊馬崎」
さっきから震えるポケットの中の携帯が、それをはっきり示していた。
もう何回鳴ったかわからないそれに応答する勇気は、今のわたしにはまだ存在しない。
わたしが門田さんたちに助けを求めたのは、新羅さんのところ以外わたしには逃げ場がなかったからだった。
自分の家に帰ったとしても静雄さんは場所を知ってるし、1対1で静雄さんから逃げられるわけがない。
かと言って新羅さんの家に言っても、きっと静雄さんは勘を頼るなり新羅さんに連絡するなりしてわたしの居場所を突き止めただろう。
「お前はどうしたいんだ」
「どうしたいって、」
「臨也のことをずっと静雄に黙ったままでいるのか?」
もう臨也とお前が無関係じゃないって、静雄は知ってるのに。
門田さんの声が重く響く。
わたしだって言わなきゃいけないってことくらいわかってる、今までだって何度も言おうとしてきたんだもん。
「…ちゃんと言わなきゃいけないって、わかってるんです」
「…勇気が出ないか?」
「今までだって何回も言おうとして、でもその度に何かに邪魔されて言えなくて。そうしてるうちに、気付かれなければわざわざ言わなくてもいいのかな、って思ったんです」
わざわざ苛立たせることもない、わざわざ心配させることもない。
そんな思いがありながらも、罪悪感が渦巻いていたのも確かな事実で。
「臨也と関わったことで、静雄はお前を怒ったりしない」
「…そうですかね」
「まあ怒るとしたらずっと言わなかったことだな」
「うあああ…」
もうやだ、そんなの絶対怒られるじゃん。
ずっと黙ってたんだから怒られてむしろ当然なんだろうけど、でも、うあああ。
「俺はしょっちゅうお前らと会うわけじゃねぇし、よくわかんないけどよ」
「はい…」
「それでも、お前は静雄のことを大切に思ってるんだろ?」
「……はい」
射抜くような、でも優しい門田さんの視線に目の奥が熱くなる。
怒られたくない。けどそれ以上に、静雄さんに嘘をつきたくない。
「ならちゃんと話して、怒られてこい」
「……」
「怒られて、謝って、それでまた一緒に飯でも食えばいい」
頭を少し乱暴に撫でられて、心にわずかだけど余裕が出来た気がする。
いつまでも逃げてるわけにはいかない。静雄さんと、今までみたいに仲良くしたいから。
「わたし、…ちゃんと話します」
「よし、頑張れよ」
「はい」
「じゃあ俺ちょっと電話するところあるから、少し待ってろよ」
そう言って車を降りていった門田さんはやっぱり兄貴だ。
すっかり冷たくなったココアを一口飲み込めば、冷たいはずなのに心がぽっとあったかくなった。