俺だってガキじゃない。
別に自分の女がほかの男と遊ぶことにいちいち腹を立てたりはしねえ。
まして相手は幼馴染だ。
あの野郎はあいつのことを好きらしいが、俺はあいつを信じてる。だから変な心配はしない。
……心配は、しないが。
「じゃ、さ。あんたが代わりに払ってくれるよな?平和島静雄くんよぉ?」
5月5日、昼頃。
美尋からあの六条とかっていう幼馴染と遊びに行くという連絡を受けて数時間後、いつも通り仕事をしている時のことだった。
古めかしいアパート、借金の取り立て、渋る延滞者、トムさんの事務的な対応、仕事が長引く原因である延滞者への苛立ち。
そんなあまりにも変わらない日常に大きな欠伸をした時、それは起きた。
「いやぁ、あんたの弟有名人らしいじゃんよぉ。バーテン服っていうからすぐにわかったよぉ」
「あぁ…?」
いつもと同じように取り立てを行っている時、トムさんの目の前にいる若い男が下卑た笑みを浮かべて俺の名前を呼んだ。
かと思えば、幽のことであろう『弟』『有名人』というワードを口にする。
トムさんは「知り合いか?」なんて聞いてきたが、こんな奴と俺が知り合いなわけもなく、当然だが否定した。
…けど、だとすれば、どうして手前が幽のことを口にする?
無意識に眉間に皺が寄るのを感じながらも黙っていれば、トムさんはわずかに俺たちから距離を取り、それに反して目の前の男はわずかな余裕すら感じさせる口調で言う。
「あんたさあ、羽島幽平の兄貴なんだってぇ?」
「……っ!」
「ほぉ……で、俺があいつの兄貴だったら、どうだってんだ?」
「あんたの弟って超金持ちなんだろ?アンタもお裾分けぐらいもらってるだろうから、あぶく銭を持ってるわけじゃん」
何か嫌な予感でも感じたのだろうか。
息を呑んだトムさんが階段を下りていくのを横目に眺めながら言えば、男は相変わらずの自信ありげな笑みを浮かべる。
「それにさぁ、あんた女いるんだろ?こんな仕事してるチンピラと付き合うくらいだから水商売とかだろうし、結構稼いでんじゃないの?」
「……ああ?」
おそらく美尋のことであろう言葉に、ただでさえ眉間に刻まれていた皺がもう一本増えたような気がした。
幽のことだけでも苛ついてたってのに――…こいつ、よっぽど死にたいのか。
確かに俺は、美尋があいつと遊びに行くことを了承した。
それは信頼の証であり、美尋に対して疑いの気持ちなんて1ミリたりともねえからだ。
けどな、
「弟のことを考えたら、あんたみたいなのが兄貴だって雑誌とかにバラされちゃ困るだろ?だからよ、俺の代わりに金を――…あ、それかあんたの女を俺に抱かせ、」
これっぽっちも悪い気がしないとは、一言も言ってねえ。
男の言葉を聞いた瞬間、これまでの我慢や忍耐なんて忘れちまったかのように、俺の苛立ちが爆発するのを感じた。
そうして無意識のうちに伸ばしていた右手は男の顎を掴み、直後“ガコリ”という音があたりに響く。
「……で、金と女がなんだって?」
ただでさえいい気分じゃなかったところにあいつらの名前を出すとは、こいつは何度死にてえんだ?
そう思いながら手を放したと同時にぶらりと下顎が垂れ、ゆらゆらと揺れる口の下半分を触る男は、まだ自分の身に何が起きたのか理解できていないらしい。
「あ、あががが?あが?」
「…まあ、もういいや。その汚ぇ口を閉じろ」
「あ、あがー、あがががが!」
閉じたくても閉じれない?
そんなこと、俺は知ったこっちゃない。
「……いいから……閉じろっつってんだろうがよお!」
加わったもうひとつの苛立ちに任せて伸びた拳は、男の体をしっかりととらえた。
そうして一瞬のうちに部屋の奥へと吹き飛んだ男は、その体をもって窓を割り――……
「……………はー…」
何か少し、スッキリしたかもしんねえ。
窓の下に落ちたであろう男と言葉を交わすトムさんの声を聞きながら、俺は煙草に火をつけた。