5月5日、昼過ぎ。
「あ」
カフェを出てからどこに行くでもなく歩き続ける私がそう声を上げれば、隣でちーくんが「ん?」と呟いた。
「そういえば今日ってこどもの日だね」
「あー、5月5日だしな」
「ケーキでも買って行こうかな…」
「食わないんじゃね?」
「ああ見えて甘党だよ」
「まじかよ」
ギャップ激しいな、なんて言いながら若干眉間に皺を寄せるちーくん。
「っていうか、こどもじゃなくね?」
「こどもの日って名前なだけで男の子のお祝いの日でしょ?」
「男の子って年齢でもないだろあいつは」
「まあそうだけど…」
でも雛祭りの時とか、ケーキ買ってくれたりしてたからなあ。
甘いもの好きだから買って帰ったところで怒られたりはしないだろうし、うん、やっぱり買おう。そうしよう。
「あとでケーキ屋寄ろうかな。…あ、ちーくんにもあげるねケーキ」
「え、いいよ別に」
「遠慮しなくていいんだよ?」
「遠慮してねえんだけどなあ」
困ったように笑ってるってことは受け取るな。
懐かしい笑顔に、そんなことを思いながらクスリと笑う。
「しっかし…人多いなあ」
「GWだからねえ。まあこれくらいの時間になっちゃえば普段も人は多いけど」
それに住み始めてもう何年も経ってるから、私は結構慣れちゃってるんだよなあ。
でも私たちの地元だって別に田舎っていうわけでもないし、池袋だって比較的近いから人の多さなんて珍しいものでもないのに、突然どうしたんだろう。
「治安とかそれなりに悪いんだろ?大丈夫なのかよ」
「…暴走族の総長やってる人が言う?」
「いやいや、お前女だしさ?女の子はやっぱ安全なところに住んで、かわいいものに囲まれてのんびり茶でも飲みながらキャッキャ言って過ごすのが一番だと思うわけよ」
かわいいものに囲まれて、以降はどうでもいいから省くとして。
まあ確かに、治安は良いとは言えないし、住むなら安全なところの方がいいっていうのは至極当たり前のことだよなあ。
「ちょっと前も斬り裂き魔事件とかあったわけだろ?もう落ち着いたらしいからいいけど、お前結構危なっかしいし」
「…あー、うん、そうだね」
斬り裂き魔という言葉に1人の少女を思い出し、無意識に苦虫を噛み潰したような顔になってしまった。
…あんまりそのことは、考えたりしたくないんだけどな。
「何年か前にも通り魔とかあっただろ、確か」
「あったみたいだね。無差別ってほんとこわ、「「あーッ!メイドさーん!」
こわいよね。
そう続くはずだった言葉は、背後から聞こえてきた声に遮断された。
「マ、マイルちゃん」
「ヤッホー!何かすっごい久々だね!元気だったー?」
「久(お久しぶりです)…」
「う、うん。久しぶり」
いきなり大きい声で「メイドさん」だなんて呼ばれたもんだからびっくりしちゃったけど…やっぱりマイルちゃんだったか。
相変わらず元気だなあ。
「知り合い?」
「ああ、うん、ちょっとね。もともとはバイト先で知り合ったんだけど、今はお友達なの」
「へえ、お前顔広いんだな」
「いやいやそんなことな「っていうかあれ?今日は静雄さんと一緒じゃないの?メイドさん浮気?」
「ちがッ」
ちーくんの相手をしている間になんてことを言い出すんだこの子はッ。
ちょっ…何でちーくんもそんなニヤニヤしてるの!
「ち、違うからねマイルちゃん!クルリちゃんも誤解しないでっ、この人は幼馴染で静雄さんも知ってる人だし、今日遊ぶことは静雄さんも公認だからッ!」
「なぁんだつまんないのー」
「怒(こら)…」
と、とりあえずはわかってくれたらしい。…もう、冷や冷やさせないでよねッ。
……っていうかっ、
「マイルちゃん、メイドさんって呼ぶのやめてもらえるかな…」
「え、何で?」
「色々と誤解を受けそうというか、一応私、一部の人にしか教えてないから…」
「…お前、この子たちの住んでるとこで働いたりでもしてんの?」
「違う違う」
ほらね、こういうことになりかねないから。
そうため息を吐きながら言えば、マイルちゃんは「んー」と口元に指をあてる。
「じゃあなんて呼べばいい?」
「下の名前でいいよ。美尋だから」
「じゃあ美尋さんね!」
「解(わかりました)…」
よし、これで静雄さんにメイド喫茶でのバイトがバレた時のような事態は起こらなそうだ。
先月の件でこの子たちと帝人くんや杏里ちゃんの間に関わりができてしまったかもしれないし…あの子たちに知られたくはないからね、一応。
「…あれ、そういえばどこか行くところ?」
「うん、これからジム!で、今はその前にブラブラしてたとこ!」
「……ジム?」
マイルちゃんの口から出た言葉に、私は思わず首を傾げた。
別に太ってないどころか痩せてるのに、この子たちは何を鍛えに行くのだろう。
「格闘技やってるんだ、それでこれから稽古なの!」
「えッ格闘技?」
まさかそんなワードが出てくるとは思わなくて驚いたけど、考えてみれば、先月男に絡まれていた時の身のこなしと言えば華麗というほかなかった。
…なるほど、あの動きは格闘技の賜物だったのか。
「すごいね、だからあんなに飛んだり跳ねたり蹴ったりできてたんだ」
「え、何それ?」
「ほら、先月絡まれた時の」
「あー、あれね!」
納得したような表情を眺めながら「あの時はありがとね」と笑えば、2人は少しだけ照れくさそうに笑う。
ふふ、2人にもこういう一面もあるんだ。
「…って、あ!ごめん美尋さんッ、私たちこれからパンケーキ屋さん行くことになってたんだ!早く並ばないと食べれなくなっちゃうからもう行くね!」
「謝(ごめんなさい)……」
「あ、ごめんね長話しちゃって。2人とも気をつけて、稽古頑張ってね」
「はーい!じゃあ美尋さん、またね!」
「静(静雄さんに)……伝(よろしく)……」
パタパタと駆けて行く2つの背中を眺めながら手を振り、嵐のようにせわしなかった時間にため息をひとつ。
うん、焦りからか少しだけ疲れたような気もするけれど、やっぱり元気なのはいいことだ。
「…あ、ごめんちーくん、置いてけぼりにしちゃったね」
「そんなことより美尋」
「え?」
私の謝罪そっちのけで真剣な声を上げたちーくんは、
「メイドさんってどういうことだ」
「は、」
「お屋敷勤めじゃないってことは誰に対してのメイドさんだ?平和島静雄か?ご奉仕致しますとか言っちゃってんの?だとしたら俺はあいつを殺さなきゃならな「違う違う違うッ!!」
ああもう、この人は。
そう思いながらも、逃げ出したこの地でこの人とこんな風に過ごせる幸せを、心のどこかで感じていた。