すみません。
誰かこの状況について、わたしに教えてくれませんか?
「突然ごめんね。驚いたでしょ?」
「あ、いえ…」
「別に取って食おうなんて気はないから、楽にしていいよ」
就業中にも関わらず、なぜか見知らぬお客さんと狭い個室で2人きり。
しかもそれには店長も一枚噛んでるらしいという難解な状況に、わたしの頭はパンク寸前です。
「“どうしてこんなことになってるんだろう”」
「…え?」
「そう思ってるんでしょ?」
「…いえ、あの…」
「隠さなくてもいいよ。見てればわかるし、当然の反応だ」
自分でこの状況を作っておきながら、その人は楽しそうに笑う。
そもそもこの人が誰なのか、何を目的にわたしをここにいさせているのか、店長とはどんな関係なのか、何もかもがわからない。
「今日はね、君に会いにきたんだ」
「…わたしに?」
「そう、君にだよ」
美尋ちゃん。
そう呼ばれた瞬間、背中につめたいものが走った。
わたしの左胸のネームプレートには、苗字しか書いてない。
店長はわたしのことを大槻ちゃんと呼ぶし、お店に戻ってきてから1度も、わたしは誰かに名前で呼ばれてはいないのに。
なのにどうして、わたしの名前を。
「大槻美尋」
「…え、」
「埼玉県出身。両親の死後、県内の高校から池袋の女子高に進学先を変更するのとともに池袋に引っ越し、現在は、お世辞にも年頃の女の子が1人で暮らすのに適してるとは言えない家賃4万円のアパートで1人暮らし中」
「……っ、」
「ああ、君のことは何でも知ってるけど、ストーカーとかじゃないから安心して」
その言葉に、もしかしたらどこかで会ったことがあるのかもしれないと必死に頭をめぐらせるけど、記憶のどこにもこの人の顔はない。
どうしてどうして、そんな恐怖だけがわたしの頭を支配する中、目の前の人はおかしそうに笑う。
「怖い?そうだよね、突然現れた男が自分と2人で話したがって、加えて自分の名前や素性を知ってるんだから。そんなの怖くて当然だよねえ」
「…あ、の…」
「何?」
「どうして、」
どうしてわたしのことを、と聞こうとして、鋭いその目に射抜かれる。
あなたは誰?どうしてわたしのことを知ってるの?
聞きたいことはたくさんあるのに、それを許さないのは、この理解不能な状況と、この人の醸し出す怪しげな雰囲気と、すべてを見透かすような目。
「君さ、最近シズちゃんと仲良いんでしょ?」
「シズちゃん…?」
「…平和島静雄、って言ったらわかるかな?」
聞き慣れた名前が聞こえて、強張っていた身体から力が抜けていくのがわかった。
なるほど、確かにこの人はわたしより年上で、ちょうど静雄さんや新羅さんと同い年くらいの外見だ。
自分でも馬鹿みたいだって思う。静雄さんの名前が出た途端、こんなに安心するなんて。
「静雄さんのお友達ですか?」
「うーん…友達っていうのとはちょっと違うかな」
「違うんですか?」
「そんなかわいいもんじゃないよ」
かわいいもんじゃない、と言う割にはずいぶんと親しみを込めた呼び方をするんだな、なんてすっかり安心しきった頭で考える。
狩沢さんもシズシズとかって親しげに呼んでたけど、この人は狩沢さんとは系統違うだろうし…まったく意味がわからない。
「美尋ちゃんも見たことあるでしょ?あの怪力」
「え、ああ…まあ」
「あれはもう化け物だよねぇ」
「…は?」
あれ、今何か変な言葉が聞こえた気がしたけどわたしの聞き間違い?
そんなことを思いながら目の前の人を見るも、楽しそうににこにこと笑うばかり。
…うん、やっぱりわたしの聞き間違いだったようです。
「君はシズちゃん好き?」
「まあ、優しい方ですから…」
「優しい?シズちゃんが?」
「え、はい…」
わたしがそう言った途端本当におかしそうに笑い出したその人の声が、狭い個室に響きわたる。
な、何だこの人。ちょっと怖い。さっきのとは別の意味で怖い。
「あーおかしい…ああごめんね、あまりにも予想通りでさ」
「…何がですか?」
「君のシズちゃんへの印象と、シズちゃんの君への接し方だよ」
「ちょっと意味が…」
「じゃあはっきり言ってあげよう。俺はシズちゃんが大嫌いだ。殺したいくらいにね」
そんなこと、わたしに言ってどうしたいんだろう。
それが、その言葉を聞いた最初の印象だった。
「……静雄さんを嫌ってる方が、わたしに何のご用ですか?」
「用なんてないよ。ただ興味があってね」
「興味?」
「そう。あんな化け物じみた…っていうか、ただの化け物なシズちゃんと仲が良い女子高生なんて面白いじゃない?」
どうしてわたしに同意を求めるような言い方をしてくるんだろう。
わたしは静雄さんを化け物だなんて思ってなければ、静雄さんと仲の良い自分を面白いだなんて、当然ながら思ってないのに。
「…静雄さんが嫌いだって、」
「ん?」
「静雄さんのことが嫌いだって、化け物だって。そんなことを言いにきたんですか?」
わざわざわたしをここにいさせて、食べるわけでもない料理を頼んで。
それもこれも、自分がいかにあの人を嫌っているか教えるためだったって言うの?
「それもあるね」
「…他にも何かあるんですか?」
「さっきも言ったでしょ、君に興味があるって」
一瞬でも肩の力を抜いた少し前の自分が恨めしい。
初対面の人にこんな感情を抱くのは良くないってわかってるけど、それでも、わたしはこの人を好きになれそうにはない。
「美尋ちゃんは純粋なんだね」
「純粋って…」
「自分が見たものを事実だって思ってるんでしょ?」
平和島静雄は優しい人間だって、そう思ってるんでしょ?
確かめるようにそう言ったこの人が何を言いたいのかわからない。
いや、もしかしたらわかりたくないのかもしれない。
わたしにとって静雄さんはとても優しい人で、だけどそれが本当の姿じゃなかったら。
わたしにとっての静雄さんが、本当の静雄さんじゃなかったら?
「混乱してるんだね。実に愉快だよ美尋ちゃん」
「………」
「俺はね、人間が好きなんだ。何を思いどう動くのか、それを見ているだけでわくわくする」
「…そう、ですか」
「だからね、大槻美尋ちゃん」
俺の大嫌いなシズちゃんと仲の良い君が、どんな人間なのか知りたいんだよ。
頬杖をつきながらそう言ったこの人は、相変わらず怪しげな笑みを浮かべてわたしを見る。
「まあ、退屈はしないで済みそうだよ」
「…どういう意味ですか?」
「そのままの意味さ。君は今まで通り、シズちゃんと仲良しこよししてたらいい」
「……」
「そのうち、シズちゃんがどういう人間なのか嫌でもわかるからさ」
うつむくわたしの顔をのぞきこむようにして、その人がそうささやいた。
もしかしなくても、わたしはとんでもない人に出会ってしまったのかもしれない。
「俺は折原臨也。主に新宿で活動してる情報屋だけど、池袋にも頻繁に行くから、何か知りたいことがあったら言ってね。安くするよ」
「…どうも」
この人に、折原さんに出会ったわたしは、これからどうなっていくんだろう。
静かな音楽とわずかな人の声が聞こえる店内で、日常になりつつある毎日が壊れてしまう予感がした。