「あ」


グラウンドの脇、依然として抱き締められたままだったわたしの視界に、不自然な影が差した。
日の陰りとも違うそれに顔を上げれば、


「静雄さん、」


さっき視界の隅に見えた気がした静雄さんが、複雑そうな顔をして立っていた。


「おかえりなさい」

「あー…ただいま」

「あの後大丈夫でしたか?」

「色々あったけど、とりあえずはな」


わたしの呼んだ名前に、会話に反応したちーくんが、わずかに腕の力を弱める。
そうして後ろを振り返ったちーくんに見上げられる静雄さんは、少しだけ眉間に皺を寄せて。


「…なんだよ」

「いや、別に?あんたが美尋の彼氏なんだ、って改めて思ってな」


ちょ、何言ってんのちーくん。
そんな挑発するような言い方したら、一触即は、


「…さっきは、状況が状況だったから止めなかったけどよ」

「いッ!」

「いい加減、離れろ」


ちーくんの頭を掴み、強引にわたしたちを引き離した静雄さん。
…ど、どうやら、一触即発的なのは避けられたらしい。


「あ、あの、」

「ん?」

「もう大丈夫なんですか?」


粟楠会のこととか。
その言葉は飲み込んだけれど、静雄さんにはちゃんと伝わったらしい。


「おう。さっき新羅から電話来て、『もう疑いは晴れたから大丈夫』とか何とか言ってやがった」

「そっか…良かったです」

「悪いな、心配かけて」

「ううん、大丈夫です。でも安心しました」


言いながら笑うわたしの頭を、静雄さんが少し乱暴に撫でる。
そんなわたしたちを見るちーくんの視線が照れくさくて、何だか少しだけいたたまれない。


「もう話終わったのか?」

「はい、えっと…一応は」

「じゃあ帰るか。トムさんにも連絡しなきゃなんねえし」

「っあ、じゃあちょっと待ってください」


カバンから携帯を取り出し、座り込んだままのちーくんの膝をぽん、と叩く。


「ねえ、ちーくん」

「ん?」

「連絡先、教えて」


そう言えば、彼は一瞬目を丸くしてわたしを見た。
けれどすぐに嬉しそうな笑顔を浮かべて、「おう」と言いながら携帯を取り出す。


「…ごめんね、たくさん心配かけて。自分勝手にどっか行ったことも、本当にごめんなさい」

「もういいって。時間はかかったけど、こうやって会えたんだしな」

「……う、ん」


はい、登録完了。
わたしの電話番号とアドレスが表示されている画面を見せながら、ちーくんが笑う。

けれどその直後、徐々に笑みを薄れさせた彼は、真剣な顔でわたしを見て。


「なあ、美尋」

「ん?」

「俺、お前のこと好きだよ」


真剣な中にも穏やかさを帯びた表情で、そう言った。

静雄さんが近くにいるのに、わたしたちが付き合ってるって知ってるのに、わたしのことが好きだったから、わたしが誰を好きかなんてすぐわかったって言ったのに、どうしてもう一度。
真っ先に抱いたのはそんな思いだったけれど、彼の表情は、そんな言葉を求めているようには見えなくて。


「ありがとう、」

「………」

「でも、ごめんなさい」


少しだけ悲しい気持ちになりながら言えば、「そっか」と彼も悲しげに笑った。
本当は、嬉しい。すごくすごく嬉しくて、だから、悲しい。


「もしあの時告ってたらオッケーしてくれた?」

「うん、多分。戸惑いはしただろうけどね」

「マジかよ…」

「ふふ、3年遅かったね」


でもわたし、静雄さんが大好きだから。いくらちーくんであっても、それは変えることはできないから。
落胆する彼の様子に少しだけ笑って言えば、彼は何だか、すっきりしたような顔をしていて。


「…でも、これからさ」

「ん?」

「3年分、たくさん遊ぼう」


こんなの、もしかしたら彼氏の前で言うことじゃないのかもしれない。
でも、静雄さんなら送り出してくれるような気がして彼をチラリと見れば、


「おう、いいぞ」

「…マジで言ってんのか?俺こいつのこと好きなんだけど。取っちまうかもしんねえぞ?」

「信頼してるからな、こいつはそんな女じゃないって」


自信ありげにそう言ったのは静雄さんなのに、なぜかすごく恥ずかしくなって。
でも、それ以上に嬉しくて。


「…俺の入る隙ねえじゃん」


呟くように言ったちーくんの表情には、わずかに悔しさが滲んでいるように見えた。
それだけわたしを思ってくれていたんだなんて、もしかしたら今更かもしれないけど。


「でも、俺お前のこと諦めるつもりねえから」

「…うん、」

「だから、何かあったらいつでも言えよ」


すぐに助けに行くから。
そう言いながらもう一度わたしを抱き締める彼の腕に、安心感に、やっと叶った3年越しの“ごめんなさい”に。


「だいすきだよ、ちーくん」


わたしはやっと、心から笑えた。


 



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