「今日はお疲れ様でした」
1人ベランダに立ち煙草を吸う背中に言えば、彼は目を見開いた直後、その表情を和らげた。
「…寝れねえのか?」
「新羅さんのお家に泊まるのは久々だから、何だかそわそわしちゃって」
「そういや久しぶりだな」
もうどれくらいぶりだろう。
そんなことを思いながら、『好きに飲み食いしていいから』という新羅さんの言葉に全力で甘えた結果のココアを静雄さんに渡す。
「早く良くなるといいですね、あの子」
「あー…そうだな、さっさと体調良くなってもらわねえと話も聞けやしないし」
「とにもかくにも、体調が最優先ですからね」
「ん」
何だかいろんなことがあった一日だったけど、それがまるで嘘のようにまったりとしてるなあ。
静雄さんココアをすする音を聞きながらそんなことを思っていると、すぐ横から視線を感じた。
「…どうかしました?」
「…いや、」
「?」
「なんつーか、悪いな」
「え、何がですか」
何に対して謝ってるの。
あれか、ココアを淹れたことについてかな。なんて、その時は純粋に思ったのだけど。
「お前のこと巻き込んじまって。…本当だったら、こういうこととか面倒ごとにはお前のこと巻き込みたくないんだけどよ」
わずかに眉間に皺を寄せた静雄さんが、小さな声でつぶやいた。
…なんていうか、どうしてそんなことを言うのかなあ。
いや、静雄さんがわたしのことをすごく大切に思ってくれてるっていうのはよくわかってるから、わたしも歯がゆい気持ちにはなるんだけど。
「…いいんですよ、そんなの」
「でも、」
「いいんですよ、静雄さん」
まるでそれ以上言わせないと言わんばかりに、あなたが何と言おうと関係ないと言わんばかりに。
だって静雄さんがどう思っていようと、巻き込まれて嫌だとか面倒だとか、そんなことわたしは思ったりしないから。
「確かに今回は物騒だからひやひやしましたけど…わたしだって、今回以上に物騒なことに静雄さんのこと巻き込んだじゃないですか」
「…?」
「斬り裂き魔のことです」
チャットのことを考えると、静雄さんも当事者っていうかむしろ静雄さん目当てで斬り裂き魔は動いたりしてたところあるからアレだけど…多分静雄さんはそこのところ知らないし、わざわざ言うまでもないだろう。
そう自分に言い聞かせて静雄さんの方をちらりと見れば、何だか苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「…とにかく、大丈夫ですよ。たとえ大変なことに巻き込まれても、静雄さんに一人で抱えられるよりは全然ましだし…それに、静雄さんと一緒なんですもん。美尋は無敵です」
「は、」
どうにか理解してほしくて、罪悪感なんて抱いてほしくなくて口から出た言葉は、どこまでも本心だった。
けれど静雄さんは一瞬驚いたように声をあげて、その表情は、驚きからすぐに笑顔に変わって。
「…馬鹿だな、お前」
「な、なんですかっ。不満ですか」
「なわけねえだろ」
嬉しそうに抱き締めてくる静雄さんの腕に包まれて、少しだけ苦しいと思った。
それでも手加減はしてくれているのだろうし、この苦しさも、静雄さんの感情と連動しているのかな、なんて思うと、嬉しくてたまらなくて。
「…ふふー」
「……何だよ」
「わたしすごく幸せです」
少し間をあけて聞こえてきた、「俺も」という言葉に、何だか涙が溢れそうになる。
そしてまるで決まりごとのように自然に合わさる唇に、春の夜風に、どうしようもない心地よさと幸福を感じた。