「…で、これはどういうことだ」
テーブルいっぱいのプリンを見て、静雄さんはそう呟いた。
「美尋ちゃんが作ったんだよ」
「…美尋が?」
《ああ、静雄のために1人で作ったんだ》
「ちょっセルティ!」
不思議そうな顔をした静雄さんが、プリンと私を交互に見る。
うう、恥ずかしい。もっとさらっと、“いつもお世話になってるので”って感じで伝えようと思ってたのに…
「俺のためって…何でだ?」
「…それ聞きますか?」
「いや、だってわかんねえし」
案の定といえば案の定、静雄さんは何もわかってないらしい。
ああもう、改めて言うなんて恥ずかしいのに!
「とにかくっ、何でもいいから食べてくださいッ」
「何でお前怒ってんだよ」
「怒ってないですからはやくー!」
《照れてるな、美尋ちゃん》
「うん、完全にね」
セルティと新羅さんがなにかやりとりしてるけど、そっちに気がいくわけもなく。
恥ずかしさから少し乱暴になった口調で静雄さんにそう言えば、不思議そうな顔のまま、適当にとったプリンを口に含む。
「…どうですか?」
「ん、うん。うまい」
「本当ですか!」
うまい、と一言言ったきり無言で食べ続ける静雄さんの反応は、誰がどう見ても薄かった。
けれど静雄さんは決して器用な人じゃない。
それがわかってきた私にとって、無言で食べ続けてくれるというのは何よりも嬉しいことだった。
「うん、これもうまい」
「…へへ、どんどん食べてくださいね!」
「おう」
静雄さんの反応が嬉しくて新羅さんたちを見れば、新羅さんは笑い、セルティは《喜んでくれてよかったね》と打ち込んだPDAを見せてくる。
2人の協力がなかったら出来なかったことだし、本当に感謝してもしきれない。
「あっ、そうだ。新羅さん、セルティ」
「何?」
《どうした?》
「はい、どうぞ!」
ふと思い出して、かばんの横に置いていた紙袋を手渡す。
ふふ、2人とも不思議そうな顔してる。喜んでくれるといいんだけど。
《これは?》
「2人にもお礼したいなって思ってて、こっそり用意してたんだ。新羅さんには手首も診てもらってるし、…けど、流石に現金で渡すのは生々しいと思って」
苦笑しながら言えば、意味がわかったらしい2人は嬉しそうに中を覗き込み、セルティが《見てもいい?》と書かれたPDAを向けてくる。
いいよ、と返せば、表情がないからわからなかったけど相当わくわくしてくれていたようで、新羅さんの腕を急かすように引っ張っていた。
「わあ、見てよセルティ!パジャマだよ!」
《かわいい…こんな良いものもらっていいの?》
「うん、もちろんだよっ。2人への感謝の気持ちと、これからもよろしくお願いしますってことで」
《……美尋ちゃんっ!》
ぎゅっと抱きついてきたセルティを抱きとめれば、2人が喜んでくれていることがわかって私まで嬉しくなる。
へへ、喜んでもらえてよかった。
「本当はカップとかにしようと思ったんだけどね、セルティは食事がアレかもしれないと思ってたから、着られる物にしたんだ」
《ありがとうありがとう、本当に嬉しいよ!》
「うん、ありがとう美尋ちゃん」
喜ぶ2人にいえいえ、と返しながら、ちらりと静雄さんを見てみる。
相変わらず黙々とプリン食べてるけど、…あ、笑ってくれた。
******
「それじゃあお邪魔しました」
《パジャマありがとう、大切に使わせてもらうね》
「何か気を遣わせちゃったみたいでごめんね」
「いえいえ、とんでもないですっ」
「まあ大きな反応が見られなかったのは残念だけど…美尋ちゃん、続報待ってるからね!」
「あはは…」
薄かった静雄さんの反応に納得がいっていないらしい新羅さんがそう言って笑う。
当の静雄さんというと、そんな新羅さんの言動に対しても無反応で。
…うん、最近気付いたけど、静雄さんってちょっと天然入ってるみたい。
「じゃあ行くか」
「はい」
《美尋ちゃんも静雄もまたね》
「おう」
「気をつけてね」
2人のそんな言葉を背に乗り込んだエレベーターで、ゆっくりゆっくり下っていく。
静雄さんの右手には、新羅さんの家に来た時にはなかったトムさんへの分も含めたプリンの入った紙袋。
「静雄さん、びっくりしました?」
「ん?ああ、プリンのことか」
「はい。あんないっぱいのプリン見たの初めてでしょう?」
そりゃあな、と静雄さんが笑う。
私自身30個もの…というか、まずプリンを作ったのだって初めてだったのに、初プリン作りがあの数にまで及ぶとは思わなかった。
「で、結局あれ何だったんだ?」
「え?」
「セルティが言ってた、俺のためとか何とかってやつ」
「あ、あー…」
言うべきか否か、迷っていたといえば迷っていた。
これだけ大量のプリンに加えあのセルティの言葉を聞いたんだから、静雄さんだって何もないとは思っていないだろう。
けど今になって言うとなると、それはそれで緊張してしまうもので。
「えーっとですね…何ていうか」
「何だよ」
「…感謝の、気持ちなんですっ」
勢いに任せて言えば思ったより大きな声が出ていたらしく、静かで乾いた住宅街に私の声だけが響いた。
ああもう恥ずかしい。改めて言ったのもそうだけど、大きい声出しちゃったのが恥ずかしい。
「…感謝って何だ?」
「…は?」
「いや、だから何に感謝してこうなったんだよ」
「え、まじで言ってます?」
右手に持った袋を少し上げて、静雄さんは本当にわからないといった顔でそう言った。
まじですか、そこまで自覚なかったんですか。
「…静雄さんには、いっぱいお世話になってるって思ってるんです」
「世話?何かしたか俺」
「今だってそうじゃないですか。家まで送ってくれてて、これだって初めてのことじゃないし」
「あー…でもこんなん当たり前だろ、お前女なんだし」
「その静雄さんにとっての当たり前で、私は安心して、寂しい思いも怖い思いもせずに帰れるんですよ」
まさか当たり前という一言で片付けられるとは思わなかった。
いや、静雄さんだったらそれも不思議じゃない。けど、もしこれを当たり前としてしまったら、私が静雄さんに感謝していることのすべてが当たり前になってしまうわけで。
「ご飯連れて行ってくれたり、こうやって送ってくれたり、心配してくれたり…本当に感謝してるんです」
「…そうか」
「はい」
誰かと一緒にご飯を食べることはゼロと言っていいくらいになった。
毎日のようにバイトをしてるせいで、誰かと一緒に帰ることはなくなった。
綾ちゃん以外に心配されることもなくなっていた。
それはすべてあの日が原因で、でもそのおかげで今があるなら、失ったものの代わりに得るものもあったと、思っていたりして。
お父さんとお母さんには申し訳ないけど、苦しいことも多かったけど、ほんの少しだけ、こんな今が得られて良かったと思っている自分もいて。
「あー…その、何だ」
「はい?」
「俺は別に、こういうことをしてもらいたくて、お前と関わってきたわけじゃねえんだ」
「…はい」
「いや、別にこれが悪いって言ってんじゃねえ。その…まあ、嬉しかったしな」
空いている方の手で頭をかいて、言葉を探しながら静雄さんは話す。
言いたいことは大体わかります。けど、
「多分私、寂しくて」
「……」
「だからってわけじゃないですけど、静雄さんと出会えて、本当に嬉しいって思うんです」
お父さんとお母さんが亡くなって以来、…いや、その少し後から、私は1人だった。
でも、それも仕方ないと思っていた。
悲しんだところで現実は変わらないし、つらいと叫んだところで死ぬ意思がなければ生きていくしかない。
あの日2人が亡くならなかったとしても順番的に私は置いていかれるわけだし、それは数十年早まってしまっただけ、ただそれだけだと言い聞かせてた。
「静雄さんの中に、私への同情もあると思います」
「…………」
「あ、それが悪いって言ってるんじゃないですよ。それが普通だと思いますから」
でも、それでも、あなたが私と関わろうとしてくれて嬉しかった。
関わろうとしてくれたのがあなたで、本当によかった。
その手にあるプリンと、そのプリンにかけた時間は、お金は、すべて私の気持ちで出来ているんですよ。
「…俺は、な。まあ、難しいことはわかんねえ」
「ふふ、はい」
「同情はした。だってお前まだ高校生だし、同情するなって方が無理だろ。苦労だって、その年でするには早すぎると思ってる」
「そうですね」
「でも、…あー、そうだな。今は同情とか、そういうのなしで俺はお前に関わってるよ」
それってどういう意味だろう、と少しだけ考えた。
けど街頭の光に照らされた静雄さんの顔がすごく優しかったから、言おうとした言葉も飲み込まれてしまう。
「俺は損得でお前と関わってねえ。だからもう、こういうことはしなくてもいいぞ」
「はい」
「…それに、俺だってお前には感謝してる」
「…え?」
突然小さくなった声に、空耳かと思ってしまった。
でも見上げた静雄さんは「あー…」ってうなってるし、多分空耳ではないんだろう、けど。
「どうしてですか?」
「…聞くな」
「知りたいです」
少しだけ恥ずかしそうな静雄さんがまた頭を掻く。
何を考えてるのかなんて当然ながらわからないけど、ほんのちょっと、期待しちゃったりなんかして。
「…俺のこと怖がんないでくれて、ありがとな」
「…、」
「あとこれも、さっきはああ言っちまったけど…すげえ嬉しかった」
ぽん、と頭に手が乗って、やわやわと髪がこすれるのがわかる。
怖がるとかっていうのはいまいちわからないけど、静雄さんと出会って私の日々が変化して、私に出会って、静雄さんの心が少し変化して。ほんのちょっとでも喜びを感じてくれて。
それが少しだけくすぐったくて、でもその何倍も嬉しい。
「…お、着いたか」
「あ、ほんとだ。静雄さんすいません、送ってくれてありがとうございました」
「おう。じゃあまたな」
静雄さんの背中を見ながら、心の中でもう一度お礼を言う。
“また”というたった2文字がこんなにも心を満たすものだと教えてくれたのは、多分静雄さんだと思った。