「さて」
トムさんという人は、関われば関わるほどに、良い人だと思い知らされる。
ちーくんの話が終わった直後のよどんだ空気を良い意味で壊してくれたのだってトムさんだったし、その壊し方だって、「それにしても、あいつって昔から女好きなの?」なんて風に、ごく自然なものだった。
そこからの話の発展だって、静雄さんの高校時代の女の子事情に持って行かれたわけで…過去に嫉妬しないわたし(というか、嫉妬するような過去のない高校生活だったらしい)にとっては、非常にありがたい話の転換だった。
うん、やっぱりトムさんは、本当にできた人だ。
「昼飯はロッテだったからよ、夜はバランスとってマックに…」
「…? トムさん?」
「どうしたんすか?」
全員の食事が終わり、さあ事務所に向かおうとしていた時。
途中まで言いかけて止めたトムさんに違和感を覚えたわたしと静雄さんは、頭の上にクエスチョンマークを浮かべて彼を見る。
「いや、後ろ」
「後ろ?」
「?」
後ろって…わたしと静雄さんが並んで座るここの背後には、60階通りに面した大きなガラスしかないはずだけど。
そう思いながら後ろを振り返って、驚いた。
「後ろがどう…」
「…わっ、」
ぺったり。
そんな音が聞こえてきそうなくらいにガラスと密着し、こちらを見ている1人の少女。
10歳になるかならないかくらいのその子は、手元の紙と静雄さんの顔を見比べて、目を輝かせた。
「かわいい子ですね」
誰に言うわけでもなくそう呟いた瞬間、少女はガラスからわずかに距離をとり、くるくると回り始めた。
それはまるで、目当てだったおもちゃを見つけ、買ってもらえることになった時のような嬉しそうな笑顔で。
「……ありゃ静雄の親戚とかか?」
「……いや、心当たりはないすけど」
「でも、お前の服が珍しいから見てたって感じじゃねえぞ」
「ですよねえ。ちょっと出てみます」
「えっ」
そう言った静雄さんは、ガタリと音を立てて席を立つ。
トレーを手にしてるってことは…きっとこのままお店を出るんだろうけど。
「おいおい、行くのかよ。突然『パパ!』だの『ダーリン!』だの言われたらどうすんだ?」
「…………」
「有り得ないっすよ。…お前も、そんなこと絶対有り得ねえからンな顔すんな」
「…はい、」
あ、と申し訳なさそうな顔をしたトムさんに続き、くしゃりとわたしの頭を撫でた静雄さん。
ま、まあね。うん、有り得ないよねそんなこと。
一瞬跳ねたような気のする心臓を落ち着かせるように息を吐いて、彼らに続き外に出る。
そして直接見たその少女は、見れば見るほどにかわいらしい女の子だった。
けど、どうしてあんなに嬉しそうに静雄さんを見ていたのだろう。
今だって、お店を出る直前と同じように、笑顔を浮かべてくるくると回っているし―…
これがきっと、ただ見かけただけだとしたら、何か嬉しいことがあったのだろうと微笑ましく見られるだろう。
でも今は違う。ある種異様とも言えるこの光景に、わたしは少しずつ不安が広がるのを感じながら、
「しずお、さん」
彼の袖口に手を伸ばし、やんわりと掴んだ瞬間。
楽しげに回っていた少女はこちらへと走り寄ってきて、呟いた。
「死んじゃえ」
そしてその子が手にしたものを、静雄さんの腹部に押し当てた時。
あたりには、何かが爆ぜる音が響いた。