「六条千景、って奴なんだけどな」
トムさんの言葉に、心臓がどくどくと脈打つのを感じた。
唇と手が震えるような、心臓がぎゅっと掴まれるような、体が固まってしまうような、今朝を思い出させる感覚に体中が襲われる。
「昼間は女の取り巻きっつーか女に引きずられて歩いてるような奴なんだけどよ。まあ、一応はチームの総長って奴だからな。家に火ぃ点けたりするような奴じゃねえが、とりあえず気を付けろよ」
六条千景。
それは紛れもなくあの人の名前で、女の取り巻きだとか総長だとかっていうのは、よくわからなかったけれど。
「…昔から女の子と仲良かったし、喧嘩っ早かったからなあ…」
あれからどれだけの変化があったのかはわからない。
けれどいくら考えたところで、トムさんが口にした人物があの人なのには変わりなくて。
「美尋?どうした?」
「…っえ、あ、いや」
知ってる人なんです、なんてこの場で言っていいのかわからない。
前に話した静雄さんはまだしも、ここにはトムさんだっているわけで―…そんなことを考えているわたしの横で、静雄さんもまた、何かを考えていたらしい。
「それって、何か白いハートマークのついた革ジャン着てる奴っすか」
「? 知ってるのか?まあ、それは特攻服みてーなもんだから、夜しか着てねえけど」
「ああ、昨日来ました」
「は?」
「えっ」
どうして、何で。
不安にも似た驚きを抱きながら見れば、静雄さんは、まるで何でもないかのように、ハンバーガーを頬張っていて。
「いや……帰り道、何かバイクに乗った奴がひとりで来たんですよ」
******
「……それで、いつも通りオネンネってわけか」
話を終えた静雄さんを見るわたしの目は、どんな色をしているのだろう。
焦燥と不安が入り混じったようなわたしの耳に、トムさんの声は届かない。
「ええ。まあ、知り合いの医者んとこに運びましたけど」
「珍しいな、静雄が医者に運んでやるなんて」
「死なれても困りますし。あと、ああいう奴は嫌いでもないんで。ノミ蟲だったらトドメ刺しますけど」
「まあ、お前に一発ぶん殴られりゃ、それってトドメみてえなもんだしな……」
バニラシェイクを飲みながら言った静雄さんに向け、苦笑しながらトムさんが言う。
…そっか。大丈夫だったかな、ってすごい不安だったけど、さっきトムさんだって歩いてるところを見たって言ってたもんね。
怪我はしてるとはいえ、相変わらず丈夫みたいでよかった。
そうホッと胸を撫で下ろした時、
「四発っす」
「は?」
「俺のパンチ、四発目までは起き上がってきましたよ、あいつ」
「……マジで?」
静雄さんの発した一言に、再び血の気が引いた。
手でいじっていた砂糖の袋をトムさんが落としてしまうのも、無理はない話だった。
「よ、四発ってッ」
「っおわ、どうした?」
「…あ、す、すいません」
え、それって松葉杖とかなしで歩けるものなの?
考えてみれば、静雄さんが一対一のまともな喧嘩をしているところなんてあまり見たことがないから、静雄さんの一発×4がどの程度の威力なのかはわからない。
…けど、静雄さんだからなあ。
そう思いながら話の続きを促せば、何か思い出したような静雄さんが、わたしを見ながら口を開いた。
「そういえばそいつ、お前のこと知ってたぞ」
「え」
え。
声にならなかったその声は、わたしの代わりにトムさんの口から発せられた。
確かに、わたしは、その人のことを知っている。
知っているも何も、兄妹同然に育ってきた幼馴染だけど―…でもどうして、何で静雄さんの前で。
「美尋ちゃん、六条千景のこと知ってんのか?」
ぐるぐると考えていると、焦れたようにトムさんがそう言った。
かたく握った手にじんわりと広がる汗がひどく不快だけど、それでもこれは、
「 は、い」
いつまでも逃げていてはいけない。
神様からの、そんな言葉のように思えた。