本当に、今日はいろんなことがあった日だった。
日用品を買い忘れたことを思い出したけれど、もう外に出る気なんて起きない。
ため息を吐いたわたしはただ黙々と家の掃除を続けながら、今日のことを思い出していた。
「んー…」
それにしても、あのよくわからない人たちはなんだったのだろうか。
コスプレ…とかではないだろうし、やっぱりセルティの知り合いだったり、仲間だったり、あるいは…同じような存在だったり、するのかな。
「…っあ、」
そんなことを考えていると、玄関の方から聞き慣れた足音が聞こえてきた。
これはきっと、いや絶対に、静雄さんだ。
急いで玄関の方にパタパタと駆けたわたしは、勢いよくドアを開けて、
「おかえりなさいっ」
「ん、ただいま」
いきなりドアを開けたからか、静雄さんは一瞬驚いた顔こそしたけれど、すぐに笑顔で頭を撫でてくれる。
けれどその手元にチラリと目をやって、驚いた。
「これどうしたんですか?」
「ん?」
「袖、切られたみたいに破れてる」
「ああ、」
静雄さんの手首を掴んで言えば、空いた手で面倒くさそうに頭を掻きながら、静雄さんが口を開いた。
「何か、とら何とかっつーのに仕事中絡まれてよ」
「えええ…」
「ペンコロだとかよくわかんねえこと言ってた奴らに切られた」
ペンコロって何だろう。
聞こうと思ったけど静雄さんもきっと知らないのだろうし、そんなことより今は、幽さんにもらった大切な服が切れてしまったことの方が重要だ。
「他に切れたりしてるところはないですか?」
「多分ここだけだと思うけど、」
「じゃあ縫っちゃいますね」
忘れないうちにやりたいから、と半ば急かすように静雄さんを着替えさせる。
…うん、これくらいだったら大して縫い目も目立たないように直せそうだ。
「悪いな」
「いえいえ、大丈夫ですよー」
静雄さんには申し訳ないけど、漂白剤を買えなかった今、返り血や汚れじゃなく切れた程度で済んで本当に良かったと思ってしまう。
いや、何もないのが一番なんだけどね。
「最近の若い奴らっつーのはよくわかんねえな、1000万がどうこうとか」
「…1000万?」
「そいつらが言ってたんだよ、黒バイクだとか1000万とか」
黒バイクは多分セルティのことだろうけど、と少し不満げな顔で静雄さんが言う。
…えーっと、それってつまり。
「多分わたし、その人たちに会いました」
「…は?」
「いや、なんていうんだろう…追われたというか何というか、」
目を丸くした静雄さんは、さっきよりも更に不満げな表情でわたしを見る。
うん、まあ何事もなかったし、別に話しても大丈夫だよね。
「買い物行ってる時に知り合いに…あ、」
「?」
「あの、静雄さんが言ってた幽さんのファンの双子の女子高生って、」
どうしよう、今日のことを話す上で必要な情報というわけでもないけど、なんとなく確かめたいと思ってしまう。
けど臨也さんの名前を出すのははばかられるし…
「…っあ、えっと。クルリちゃんとマイルちゃん、っていう、子ですか」
「何でお前があいつらのこと、」
「うちのお店に来てたんですよ、お客さんとして」
また目を丸くした静雄さんは、小さな声で「マジか」とつぶやく。
本当、偶然ってすごいですよね。これはもう世間は狭いとかっていうより、池袋が狭いというかなんというか。
「あ、それでですね。今日出先で2人のこと見かけたんですけど、何か男の人に絡まれてて」
それからは簡単に、わたしたちの身に起きたことを話した。
セルティの懸賞金が目当てだった人たちに絡まれていたけど、偶然通りかかった門田さんたちに助けてもらったこと。
逃げられたと思ったら待ち伏せされていて、そこからデスレースが始まってしまったこと。
不運にもセルティが同じ場に居合わせてしまったけれど、いろいろあった末(ここはわたしにもよくわからなかったから適当に話をしておいた)に、セルティが家まで送ってくれたこと。
…うん、改めて整理して思ったけど、本当に忙しい1日だったなあ。
「…っていうことがありまして。多分同じ人たちだと思います」
「お前なあ…」
「え?」
眉間に皺を寄せた静雄さんだけど、特に何もしてこないのは、わたしが今針を持っているからだろうか。
普段ならきっと、頬なり鼻なりをつままれたりするんだろうに。
「…いや、何つーか…」
「…? 何ですか?」
「あいつらを助けようとしたことは、別に悪いことじゃねえんだけど、な」
ああ、そういうことか。
静雄さんの言いたいことは痛いほどにわかっているけど、わたしはただ黙々と、静雄さんのシャツの袖口を縫う。
その手元に彼からの視線を感じるのは、きっと気のせいなんかじゃない。
「…俺は、お前のそういうとこが、まあ…好きなんだけどよ」
「…はい」
「けどお前は女で、お前は、」
そこまで言って、静雄さんはわたしの手にそっと手を乗せる。
そうすれば自然と針を持つ手は止まるわけで、自然と、顔も上げることになって。
「お前は、俺の女だろ」
「そう、です」
「たとえ指一本でも、そういう奴らのせいでお前が怪我すんのは、嫌なんだよ」
その瞬間、まるで掴まれたように心臓がギュッと締め付けられた。
静雄さんは単純に、わたしが女だから、弱いからってだけじゃなくて。
彼女だから、嫌なわけで。
「…なんか、すごいきゅんとしました」
「……茶化すな」
「いや、本当、茶化してるとかじゃなくて」
本当に本当に、すごくときめいて、幸せを感じちゃいました。
きっと今わたしの顔は赤くて心臓も速いのだろうけど、自分の手には静雄さんのそれが乗っているから、顔を隠すことも心臓を落ち着けるために胸を撫でることもできない。
「恥ずかしい、です…」
「………俺まで恥ずかしくなってくんだろ、」
やめろ。
静かな声でそう言われたけれど、何をどうやめればいいのだろう。
だってこの気持ちを言葉にして出さなければ、きっとわたしの胸はいっぱいになっておかしくなってしまうんだ。
「あ、の。静雄さん」
「ん?」
「すぐ袖縫っちゃうので、お風呂入ってきてください」
今日は何だか、静雄さんとくっついて、まったりと過ごしたい気分だから。
顔を上げないまま言えば、小さな声で「おう」と言った静雄さんがわたしの頭をやわく撫でた。