「静雄さん、静雄さん」
「…ん、」
「もう夜ですよ。ご飯にしましょう?」
膝の上で眠る静雄さんの頭を撫でながら声をかけるも、まだ眠いのか、わたしの手を握りながらぱちぱち瞬きを繰り返す。
くそう…いつも格好いいのに、どうしてこんなにかわいいんだ…っ!
「…ねみぃ」
「……ふふ、かわいい」
「…うっせ」
本当にかわいい。いや、かわいすぎる。
うう。わたしだってまだ寝顔を見ていたいけど、もうそろそろご飯の時間だし、これ以上は足が痺れちゃいそうなんだよね。
「起きれますか?」
「…今何時」
「えーっと…8時ちょっと前です」
「…ん、起きる」
まだ眠そうな静雄さんは、わたしの首元に手を伸ばして引き寄せる。
いつもと違う体勢でのちゅー、は、何だかすごく恥ずかしい。
「あ、ああ、あのっ」
「どうした?」
「夜ご飯っ、作りますっ!」
「ん」
よいしょ、と体を起こした静雄さんは、わたしの頭を撫でながら台所に向かう。
…ああもうっ、何でわたしだけがこんなに恥ずかしがっちゃってるんだよっ。
「…じゃあ、もう作っちゃいます、ね」
「おう」
「あ、飲み物飲むなら、」
はい、と先日買ったおそろいのグラスを渡せば、満足げな静雄さんが頭を撫でる。
今日は機嫌がいいな、なんて思いながら、お鍋とハンバーグを置いたフライパンを火にかける。
「…これ何だ?」
「クラムチャウダーです。牛乳買いすぎちゃって、賞味期限切れそうだったから使っちゃいました」
片手にグラス、もう片手をわたしの頭の上に乗せた静雄さんは、ぐつぐつと音を立て始めたお鍋を見ながら呟く。
ここ最近の静雄さんは、わたしが料理をしている間は、なぜか台所にいてくれる。
わたしが1人で暇だろうからってことなのかもしれないけど、同じ空間にいられるのは単純に嬉しいので、わたしにも異論はない。
……どころか、なんて平和で静かで幸せな時間だろうと、つい頬が緩んでしまう。
「クラ…あ、あれか。何か貝とか入ってる」
「そうそう、それです」
湯気の立ち始めたクラムチャウダーをくるくるとかき混ぜながら、少しだけお玉にすくう。
…熱いけど大丈夫かな。
「静雄さん、味見してください」
「ん」
「熱いから気をつけてくださいね」
ふーふーと息をかけたお玉を静雄さんに渡せば、わたしの声が聞こえていなかったのか聞いてなかったのか聞く気がなかったのか、特に息もかけずに口に運ぶ。
…あ、あれ?
「熱くないんですか?」
「おう」
「え、うそ」
火を止めたとは言えお鍋からは相当の湯気が出てるし、熱くないってことは、ないと思うんだけど。
そんなことを思いながらも、自分でも確かめるべくクラムチャウダーを口に含む。
「あちっ、!」
「ちょ、お前馬鹿か!」
「あああああ…」
熱い、すごく熱い。そして痛い。
口内に突如として訪れた痛みは、一瞬でわたしの視界を滲ませる。
「静雄さ、あああ…」
「お前なあ…俺が大丈夫だからって自分でもやんなよ」
「あつい…やけどひた……」
「ほら、舌出してみろ」
「ああう……」
屈んだ静雄さんに向けてちらっと舌を出してみれば、「完全に火傷だな」と言いながら眉間に皺を寄せる。
な、何ですかその反応は。
そう聞く前に体勢を戻した静雄さんは、冷凍庫の扉に手をかけ口を開く。
「冷たいもん…氷はねえし、とりあえずこれ飲んどけ」
「はい……」
渡された青いグラスを口元に持って行き、淵が舌に触れないよう注意しながらごくごくと飲む。
それでも潤うのは喉だけで、未だに熱を持ったような舌先はじんじんと痛む。
「いひゃい…」
「そりゃすぐには治んねえよ」
「静雄さんのばか…」
「何でだよ」
だってわたし、静雄さんの口の中が金属で出来てるなんて知らなかったもん。
そう思うものの、痛くてそんな長ったらしい言葉を話す気にもなれない。
「飯はもう少し経ってからにするか。熱い状態じゃ食えないだろ」
「や、静雄さん先に食べてくらさい」
「別にいいよ、腹減って死にそうってわけでもねえし」
うう、申し訳ない。
今日に限って肉汁で再び火傷する可能性が高いハンバーグまであるし…
せっかくだから出来立てを食べて欲しいのに、わたしはなんて愚かなことをしてしまったんだろう。
「いひゃいよ静雄さーん」
「…………」
「…静雄さん?」
静雄さんの手首に触れながら言えば、彼は無言で目線を逸らす。
それどころか顔までも背けられてしまって、何かしてしまっただろうかと少し不安になったん、だけど。
「…お前かわいすぎる」
「は?」
「あー…何だよその喋り方…」
わたしの体を抱き締めながら、小さな声で静雄さんが呟いた。
何をどうかわいいと思ってくれたのかはわからないけれど、それでも心臓はきゅんとときめくわけで。
「…あう」
「……何だよ」
「…すきっ」
背中に手を回して言えば、わたしを包む静雄さんの手の力がわずかに強くなった気がした。
そう思った瞬間にゆるんだ腕と、近づいてくる静雄さんの顔と、わたしを見つめる瞳は恥ずかしいのに、顔を背けることなんて出来なくて。
「ん、う」
恋愛に疎いわたしでも、そういう雰囲気だったというのはわかっていた。
だからちゅーをすることは、何も不思議じゃ、なかったんだけど…っ!
「!!!!!」
「…何だよ」
「べ、べろっ…!」
「火傷したから消毒だ」
「何だその理由は!」
生々しい表現は控えたいけど、ぬる、とした舌の感触に背中が粟立った。
初めてのベロチューに顔が熱くなって、静雄さんの顔なんてとてもじゃないけど見られない。
「っていうか痛かった…」
「…美尋、」
「……なん、ですか」
「もう一回していいか?」
「今痛いって言いましたよね!?」
静雄さんのお耳はどうかしてしまったのかな?
そう言おうにも、こういう時に限って強引にしてこず、わたしに是非を委ねる静雄さんはずるいと思う。
…ああ、もう。恥ずかしくて恥ずかしくて、でも、すごく幸せでくすぐったい。
「で、いいのか?」
「…あんまり痛くないように、してくれるなら」
「任せろ」
任せても大丈夫なのかなあ、と思いながらも訪れた唇は、さっきとは比べ物にならないくらいに優しい。
そう思った直後訪れた舌先への痛みに、ぎこちないながらも、静雄さんの舌を追いかけたことを後悔した。
******
「で、バイトなければ来てくれってよ」
「…お、おおう…」
「明日明後日は入ってんのか?」
「いや、休みです、けど」
…まさか、実現するだなんてなあ。
そんなことを考えながらすするクラムチャウダーはぬるく、静雄さんへの罪悪感でいっぱいになった。
「事務っつっても難しいことするわけじゃねえし、俺らも一緒だから心配すんな」
「え、わたしがいる間2人とも一緒にいてくれるんですか?」
「俺らが教えなきゃ何も出来ねえだろ」
「いや、一通り教えたら回収に行っちゃうのかと、思ってました」
「ああ、」
ハンバーグを口に含んだ静雄さんは、「そういうことか」と納得した様子でわずかにうなづいた。
頼まれてのお手伝いとは言え、2人にだって仕事がある。
だから、一通り教えたらわたしは1人になってしまうと、思ったんだけど。
「昼と夜は回収行くから、多分頼むとしたら夕方だな」
「じゃあ連絡もらったら行けばいい感じですか?」
「ん。場所わかんねえだろうから途中まで迎え行く」
「ありがとうございます」
と、いうことは。
明日は日中は家事やったりして、静雄さんから連絡が来次第家を出て、静雄さんの仕事場でお手伝い、って感じか。
さっきの話を聞く限り静雄さんもトムさんもずっと一緒にいてくれるみたいだし、そういうことなら、まあ多少は緊張もほぐれそうだ。
「じゃあ明日は、よろしくお願いします」
「おう」
「…本当に、よろしくお願いしますっ」
ご迷惑をおかけすると思いますが、という言葉は言わないでおこう。