お父さんとお母さんが亡くなったのは、11月の終わりのある日だった。
久々に3人で出かけられたことが嬉しくて、すごくはしゃいでたのを覚えてる。
「ちーくんも一緒の学校に行くんだよ」
「美尋はそろそろちーくんから卒業した方がいいんじゃない?」
「違うよ、ちーくんがわたしから卒業しなきゃいけないのー」
「お前たちは本当に仲が良いからなあ」
「ちーくん、わたしが放っておくと喧嘩ばっかりしてるんだもん」
わたしの言葉に笑う2人は、愛おしそうな目でわたしを見つめていた。
そしてそれから数秒経った時、
「…トラックが、前から走ってきて」
わたしたちの乗る車に正面からぶつかってきたそれは、大きな音を立ててお父さんとお母さんを潰した。
3年経った今でも、それ以外に適当な表現は見当たらない。
「嫌だ、嫌だ!ねえお父さんっお母さん!」
気がついた時には、わたしは病院のベッドの上だった。
警察の人や看護婦さん、わたしを囲む大人たちはたくさんのお悔やみの言葉を述べていったけれど、ほとんど覚えてなんかいない。
「その瞬間に、わたしは家族を亡くして1人になっちゃったんです」
保険金だとか遺族年金だとか、あとは親戚の人たちの工面もあって、何とか1人で生きていけるだけのお金はあった。
それでもわたしの心にぽかりと開いた穴が埋まることはなくて、ただ毎日涙を流して過ごしていた。
けれど、
「大丈夫だよ美尋、お前は1人じゃないから」
「わたしたちがついてるから、一緒に頑張ろう」
わたしには、幼馴染と親友という支えがあった。
いや、正確には、幼馴染と親友の2人だけが、あの頃のわたしの支えだった。
「幼馴染って、男の子なんですけどね。昔から喧嘩の強いやんちゃな子で、でもすごく優しくて、大好きだったんです」
今になって思えば、彼は静雄さんそっくりだった。
もしかしたら静雄さんが彼に似ていたのかもしれないけれど、どちらにせよ、わたしは強くて優しかった彼を、静雄さんに重ね合わせていたのだと思う。
「美尋、またあいつらに何か言われた?」
「俺がぼこぼこにしてきてやるから心配すんな!」
「美尋のことは俺が守ってやるからさ」
そんな言葉をはじめてかけられたのは、いつだっただろう。
もう思い出せないくらい昔から一緒だった彼は、いつだってわたしのことを守ってくれた。
「そんな幼馴染と親友がいたから、わたしは何とかやっていけてたんだと思うんです」
お互い中学生という思春期を迎えたにも関わらず、わたしたち幼馴染は本当に仲が良かった。
そこに親友の女の子という存在は加わったけれど、わたしたち2人の仲は永遠に変わらなくて、親友との3人での仲も、ずっとずっと続くのだと思っていた。
けれど、
「美尋はどうしてわたしの幸せをとろうとするの?」
「え?」
「美尋のせいで美尋のお父さんとお母さんは死んだのに、だからあんたがつらいのも自業自得なのに、どうして×××に励まされて笑ってるの」
わたしは気付いてなかった。
親友の抱えていた苦しみも、悲しみも、悔しさも。
「何で×××は美尋のことばっかりしか見てないの」
「何で×××は美尋のことが好きなの」
「親を殺した美尋は、幸せになっちゃいけないのに」
「あんたなんて、生まれてこなければよかったのに!!」
大粒の涙を流した彼女は、叫ぶように吐き捨てて人のいない教室を飛び出した。
そしてわたしは1人取り残され、初めて気が付いたんだ。
「親友は、わたしの幼馴染のことが好きだったみたいなんです」
心配をかけないように作っていた笑顔が、あの子の心を締め付けていた。
無理していないかと気にかけてくれる彼との登下校が、彼の母親が作ってくれた彼と同じ中身のお弁当が、休み時間のたびに声をかけてくる彼との会話が、全部、裏目に出てしまっていた。
「流石に、生きてる意味がわからなくなっちゃいました」
一緒に頑張ろうと言ってくれた親友のところにも、ずっと傍にいてくれた幼馴染のところにも、もう戻れなくなってしまった。
その時わたしは、初めて1人ぼっちになったんだと思う。
「その後のことはよく覚えてないんですけど、いつの間にか学校出てたみたいで。気付いたら、トラックがわたしの方に向かってきてたんです」
夕焼けが綺麗なその場所で、クラクションの音だけが大きく鳴り響いていた。
けれど、逃げようだなんて思えなくて。
「このまま轢かれれば、お父さんたちのところに行けるかなって思ったんです」
多分すごく痛いんだろうけど、支えを失ったわたしにはもうこの世界に望みなんてなかった。
だからぎゅっと目をつぶって、向かってくる衝撃に耐えることを選んだ。
なのに、
「美尋っ!!!」
突き飛ばされたような衝撃、跳ねられた誰かの体、周囲からの悲鳴。
名前を呼ばれたと気付いた時には何もかもがもう遅くて、わたしの顔からは血の気が引いていった。
「幼馴染も体が丈夫だったからか、事故の大きさの割に軽症で済んだんです。…それでも、骨折とかはしちゃってたんですけど」
どうしてあの時あの場所に彼がいたのか、聞きそびれてしまったせいでわたしにはわからない。
けれど、彼の腕から伸びる点滴、ギブスがついた足、顔についた大きな傷。
そのすべてがわたしのせいというのは明白で、そのすべてを、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えてる。
「何で死なせてくれないの」
「もう生きたくないんだよ」
「生きていたって、意味ないんだよ」
ずっと傍で支えてくれた彼に、怪我を負ってまでわたしを守ってくれた彼に、なんてひどいことを言ったんだろう。
今でこそそう思えるけれど、その時のわたしは本当にぼろぼろで、口からは彼を傷つける言葉しか出てこなかった。
けれど彼は、
「こんなの全然、痛くねえからさ」
「俺は大丈夫だから泣くなよ」
「死のうとなんてするなよ」
「俺、美尋には生きてて欲しいんだよ」
真っ白な病室で、ぼとぼと涙を流すわたしに彼はそう言って笑いかけた。
けれどその言葉が、その時のわたしにはつらくて、苦しくて。
「もう、色々と限界だったんです。わたしたち3人とも同じ高校に行く予定だったんですけど、それを機に別の学校を受け直して、池袋の高校に進学したんですよ」
進学先の学校に関しては、絶対に誰にも言わないでください。
先生にそう言い、逃げるようにして飛び出した埼玉を離れ3年が経ったけれど、彼らは今どうしているのだろう。
「わたしのことを知ってる人がいないところなら、今までのことも、全部なしに出来ると思ったんです。そうやってわたしは、逃げてきたんです」
「………」
「…そんなわたしでも、静雄さんは、」
好きでいてくれますか?
そう問おうとした言葉は、突然の出来事に飲み込まれる。
数分振りに濃く感じられる血の匂いが鼻について、少しだけ息がしづらい。
「1年以上一緒に暮らしてきて、何でずっと黙ってたんだよ」
苦しいくらいに力のこもった腕に包まれ、体が鈍くきしむ。
けれどその腕から抜けられないのは、ただ力が強いからというだけじゃなくて。
「…言いたくなかったんですよ。静雄さんに嫌われたくなかったから」
「俺がお前を、っ」
「静雄さんは嫌わないって思ってくれてるのかもしれないですけど、わたしはすごく怖かったんですよ」
もう1人になりたくない。
知ってしまった、静雄さんから与えられたぬくもりは、そう思わせるには十分だった。
「お前の親が死んだのは、お前のせいじゃない」
「………」
「親友のことも、お前は何も悪くねえよ」
「…そう、ですかね」
「当たり前だろ、馬鹿」
骨のきしむ音が今にも聞こえてきそうなくらいの力で、静雄さんがわたしを抱き締める。
けれどこれはきっと手加減してくれているのだろうから、静雄さんが一歩前に進んだ証なのだろうから、わたしには何も言えなくて。
「けどその幼馴染には、怪我させたこともそうだけど、それ以上に死のうとしたことをいつか謝ってやれ」
「………」
「俺は、お前が生まれてきてくれて、生きててくれてよかったよ」
耳元から聞こえたそんな声に、目の奥がじわりと熱くなる。
どうしてこの人は、こうも簡単に、わたしの背中を押してくれるのだろう。
「今までよく頑張った」
「……っ」
「お前は、幸せになっていいんだよ」
もしかしたらわたしは、ずっとその言葉を待っていたのかもしれない。
誰かに認めて欲しくて、必要とされたくて、愛されたくて。
そのすべてを与えてくれるのは、
「静雄さん、」
「……」
「わたし、幸せになっちゃいけないと思って、気付かないふりをしてたのかもしれません」
その言葉に体を離した静雄さんは、何を思っているのかわからない。
けれどじわじわと広がった思いは止まってくれそうになくて、
「わたし、静雄さんといると、ドキドキするんです」
「…ん」
「…ずっと、一緒にいたいんです」
熱くなる頬も、ドキドキする心臓も、笑いかけられると満たされる心も、一緒にいる時の安心感も。
みんなみんな、
「これが好きって、気持ちなんでしょうか」
これが恋で、そして、愛なのでしょうか。
静雄さんは悲しげな瞳のままやわらかく微笑んで、わたしはもう一度、口を開いて。
「静雄さんが、すきです」
「わたしは静雄さんを愛してるから、静雄さんも、愛してくれませんか」
まるで返事をするかのように、静雄さんはかがんで、わたしは背伸びをして。
どちらからともなく引き寄せられた唇は、まるでお互いが望んでいたみたいにきれいに合わさった。
「静雄さん、」
「…ん」
「ありがとう、ございます」
少しだけ恥ずかしそうに目を逸らした静雄さんに声をかければ、口には出さないままで、何のことだと言いたげな視線を向けられる。
「話を聞いてくれて、生まれてきてくれて、生きててくれてよかったって」
「……」
「わたしも、生まれてきて、生きててよかったって、思えました」
大好きで大好きで、ずっと一緒にいたくて、誰にも渡したくなくて。
ずっと気付かなかった感情が堰を切ったように溢れ出して、止まってくれる気配はなくて、いまいち上手に伝えられない。
なのにかすむ視界で見た静雄さんは、とても嬉しそうに笑っていて。
「美尋、愛してる」
「…はい。わたしも、」
静雄さんのこと、
その言葉は、二度目の口付けに飲み込まれた。