“ここにいな”
…臨也さんにそう言われ、どうすることも出来ずに待つこと数分。
少しずつ人の減っていく街を眺めているわたしの耳に届いたのは、馬の嘶き。そして、
《大丈夫?》
目の前に、焦った様子のセルティが現れた。
《臨也から美尋ちゃんが斬り裂き魔に遭ったって連絡があったんだ。怪我は?》
「大丈、夫」
頷くセルティを見れば、臨也さんの言葉と電話のシーンがつながった。
あの時臨也さんが電話をかけていたのはセルティで、セルティは話せないから、あんなに早く話が終わったのだろう。
《無事でよかったよ》
「…うん。臨也さんのおかげ」
《え、臨也?》
不思議そうに、というよりは若干怪訝そうに問いかけてきたセルティに、わたしも1つの疑問が生まれる。
…確かに、電話の内容は聞こえなかったけど。
「臨也さんは、自分が助けたって言わなかったの?」
《ああ、ただ美尋ちゃんが斬り裂き魔に襲われたみたいだから迎えに来いとだけで…だからわたしは、逃げたところで臨也に会ったんだと思ってたんだけど》
PDAの文字に首を横に振れば、彼女はわずかに首をかしげながらわたしを見る。
臨也さんは、どうしてセルティに自分が助けたことを言わなかったんだろう。
いや、もしかしたら意味なんてなかったのかもしれない、けど。
《とりあえず帰ろう、静雄にはわたしから連絡する》
「…え、」
《大丈夫、臨也に助けてもらったってことは黙っておくよ》
「ちょ、っと。待って、セルティ」
わたしの声に《どうしたの?》とPDAを向けてきたセルティは、それと同時に首を傾げる。
静雄さんに、連絡するって。
「お願い、言わないで」
《何を?》
「静雄さんに、わたしが斬り裂き魔に遭ったって、言わないで」
変質者にあったとでも言っておくから。
言いながら苦笑したわたしを見たセルティは、その言葉を聞いてどう思ったんだろう。
数秒固まった彼女はわずかに困惑したような様子で、何かをPDAに打ち込んだ。
《どうして、静雄がどれだけ美尋ちゃんを、》
「…?」
《…ごめん、何でもない。けど、どうして静雄に知られたくないの?》
「…静雄さんは確かに強い、けど。でも、何かあったら嫌だから…」
わたしが襲われかけたと知ったら、きっと静雄さんは斬り裂き魔の元へ行ってしまうだろう。
これは自惚れでも何でもない。静雄さんはそういう人なんだと、1年以上一緒に暮らしてきたわたしにはわかる。
けれど、もしチャットで聞いたことが本当だったら?
あの刀が本当に妖刀で、斬りつけた人の意識を乗っ取るものだとしたら?
こんな考えが馬鹿げてることくらいわかってるけど、あの赤く光る目を見たわたしには、それが完全なでたらめだとは思えない。
《けど静雄の力は美尋ちゃんもよくわかってるでしょ?わたしだってわざわざ静雄を危険にさらしたくはないけど…》
「わかってる、でも…っそういう人が怪我をすることがあることも、わたしは知ってるの、っ」
忘れたくても忘れられない、忘れてはいけない、数年前の記憶。
未だ脳裏にこびりついているあの時の光景を思い出すだけで、涙がこぼれてきそうになる。
「…もうこれ以上、わたしのせいで誰かを傷つけたくないの」
《…美尋ちゃん?》
「……っあ、ごめん…」
無意識のうちに呟いてた言葉もセルティには届いていたらしく、一瞬で思考が現実に引き戻された。
うまく取り繕えたかは、わからないけれど。
「…とにかく、静雄さんと斬り裂き魔を会わせたくないの」
《…わたしも斬り裂き魔にはやられたけど、確かにアレはおかしい》
「え、おかしいって…っていうかやられた!?」
そんな、まさかセルティも斬り裂き魔に襲われたの?
数秒前までの暗い気持ちも一瞬で消え去り、わたしの脳内は焦りでいっぱいになる。
《ああ、やられたって言っても何ともないよ。ほら、わたし人間じゃないし》
「いや、そうかもしれないけど…でも、大丈夫だったの?何か体に違和感とか、意識が変になる感じとか―…」
《…美尋ちゃん、本当に刺されたりしてないんだよね?》
「え、うん、そうだけど…」
そこまで言いかけて、自分の口を両手で覆う。
ついチャット聞いた妖刀説の特徴を口にしちゃったけど、ここまで斬り裂き魔について知ってるとなるとおかしいと思われちゃう。
…あれ、でもセルティも否定しないってことは。
っていうか、わたしに再確認してきたってことは?
「…え、やっぱり何か、違和感とかあったの?」
《……うまく説明は出来ないんだけど、体の中に変な気配が入ってきたような感じがしたんだ》
「…変な気配?」
《抽象的だし、わたしの主観だから気にしないで》
確かにわたしは刺されていないから、セルティの言う変な気配とかはわからない。
…けど、一歩確信に近づいた。やっぱり斬り裂き魔は、あの日本刀は、普通じゃない。
「…これからも気をつける。だから、静雄さんには言わないで」
《…美尋ちゃんは本当にそれでいいの?》
「うん。…静雄さんに何かあったら、絶対に嫌だから」
それに、臨也さんに助けてもらったと静雄さんに言うのは抵抗がある。
だからと言って、斬り裂き魔のことについて静雄さんが臨也さんを疑うのも嫌だ。
すべてを丸くおさめるには、静雄さんにこのことを黙っているしかないんだ。
そこまで考えて、自分の中に芽生えていた感情に気がついた。
最初に聞いた焦ったような声、呆れと怒りの混ざったような表情、いつもより刺々しい口調。
もしかしてわたしは、臨也さんを、
《じゃあ行こうか、しっかりつかまっててね》
「…うん、」
セルティに渡された猫の形のヘルメットを被りながら、生まれた感情の名前を考える。
けど出会ってからのことを思い出すとそれはあまりに難しくて、わたしは考えるのをやめた。