「ほら赤也、動き悪いよ!」
「っはいッ!」
午後練が始まってどれくらい経っただろう。
暑い日差しの下、汗ひとつかかずにボールを打ち込む幸村と、息を切らす切原くんを眺めながら私は乾いた笑いを零す。
「大変そー……」
切原くんも一応ついていけてるとは言え、幸村ってばめっちゃ前後左右に揺さぶりかけてるし、そろそろ足もつれて転んだりしちゃうんじゃなかろうか。
ハラハラしながら見ているうちに無意識に漏れた独り言は、
「だが楽しそうだろう?」
「わッ」
柳くんの耳に届いていたらしい。
すぐ後ろに立っていた彼は、驚きに目を見開く私なんて知らんぷりで、赤也が気になるかと呟いた。
「…そりゃあ、まあね」
「あいつが無理をしていると?」
「そこまでは思ってないよ。…思ってないけど、おそらくここ数日間頭を悩ませていた思いが、たった数十分程度の会話で消えたとは思えてないだけ」
未だ思いを押し殺してるだとか、納得したふりをしているだとか、彼がそんな“いい子”を演じているとは思わない。
けれどそれと同じくらい、私の言葉に、切原くんの気持ちを楽にできるだけの力があるとは考えられないだけだ。
そう、私は思っていたのに。
「『先輩が来てくれて良かった』」
「…え、」
「お前たちが席を外している時、赤也が言っていたぞ」
え、そうだったの?
言葉は発さずに切原くんを眺めれば、すぐ横で柳くんが笑ったような気がした。
「悲しみを消す必要なんてないんじゃないか」
「………」
「離れることが苦痛だからと逃げたあいつが、たった数十分で、寂しさを抱えながらも向き合おうと思えたんだ。その思いは、きっとあいつの原動力になる」
逃げたままで過ごせば後悔すると、あいつは思うことができたのだろう。
切原くんを眺めながら言う柳くんの声は、とても優しかった。
「時に谷岡」
「ん?」
「今度の日曜、祭りがあるのは知っているか?」
「え、どこで?」
「駅前にある神社だ」
「…ふうん?知らないや」
突然話がぶっ飛んだから何かと思ったけれど、確かに今は夏だし、っていうか夏休みだし、まあお祭りの時期ではあるだろう。
けどどうしていきなりそんなことを。
「精市がみんなで行こうと言っていたぞ」
「え、私も行くの?」
「なぜ行かないという発想になる?」
「だって人いっぱいでしょ、疲れそうだし嫌だ」
「たくさん思い出を作ろうと赤也に言ったんじゃなかったのか?」
「……………」
…何でこのタイミングでそういうこと言うんだ。っていうか切原くんも話さないでよ恥ずかしい。
そうため息を吐きたくなりつつ軽く睨めば、柳くんは意地悪気に笑う。
「…それ言えば私が断らないと思ってるでしょ」
「ああ」
「………………」
まあ、断らないけど。正確には断れないけど。
…けど、これからその言葉を利用してあれこれ参加させられるのかな、と思うと少し憂鬱かもしれない。身から出た錆というやつか。いや、悪行は犯していないけれど。
「浴衣は持っているか?」
「…持ってないけど」
「せっかくだ、着るといい。俺の家のものを貸そう」
「え、えええ…」
貸してくれるというなら借りたい気もするけれど、長いこと着てないし自分じゃ着つけられないからなあ。
そう思い、どうしようと口にすれば、着つけてやるから心配するなと柳くんが言った。
「…というか、人様のものをお借りするだなんて汚したらと思うと怖いしいいよ。別に見せたい相手がいるわけでもないし」
「見たいと言う輩はいくらでもいるからな。紅一点だ、需要に応えてやれ」
「どこの輩がそんなことを…」
とか思ったけど、まーくんとかブン太とか幸村とか切原くんあたりはそう思ってるんだろうな。
水着の時の感じ的にもあのメンツはそういうことを考えそうだ。浴衣姿とはいえ、着ているのが私である以上華なんてないだろうに。
「髪は丸井に整えてもらうといい。ということで、今度の日曜の部活後は俺の家に来るように」
「…あれ、日曜って部活だっけ」
「全国の決勝前日だからレギュラーだけ集まって軽く、と夏休みに入る前のミーティングで話しただろう」
「そうだっけ、忘れた」
前日だから夕飯はまーくんの好物ばっかり作ってあげようと思ってたけど、この感じじゃそれも難しそうだな。
でもまあ仕方ないか、と納得しつつとりあえず了解の言葉を口にした私は、お祭りの日に待ち受けている出来事なんて知る由もなかった。