「…芽衣子まだ帰ってこんの」
「もう昼だし、そろそろ帰ってくんじゃね」
「あー…芽衣子が足りん……」
「何だよそれ」
灼熱の太陽のもと、何やら暑苦しいことを言い出した仁王が地面にしゃがみ込んだ。
芽衣子が学校を出たであろう頃や俺たちが芽衣子と赤也に連絡をした頃と比べて、ずいぶんと暑さが増したような気がする。
あーもう、こんな暑い中で何でこいつはこんなに暑苦しいことが言えんだよ。
眉をひそめながらそんなことを思い仁王を見下ろしていると、奴は不満気な顔で俺を見た。
「…なんじゃ」
「…別に?」
「呆れた、って顔しとった」
「そりゃあまあ、呆れてないっつったら嘘になるしな」
それ以上に慣れたって気持ちが強いけど、というのは心のうちだけでとどめておいた。
言ったところで変わるわけでもないだろうし、特に変わってほしいとも思っていない。
いや、むしろ俺としては――…というところまで考えた時、視界の隅に見慣れた女の姿が映った。
「…あ、三宅」
「……は、」
「おっ、仁王と丸井じゃん。暑い中お疲れー」
「おー」
お前もお疲れ。
そう笑顔を浮かべながらも、俺の心がちくりと痛む。
俺が一番に気付いて声をかけたのに、しゃがんでる仁王よりも俺の方がすぐ目についたはずなのに、それでもお前はまず最初に“仁王”と言うのか。
そんな醜い心を隠すため、俺は馬鹿みたいにただ笑う。
「お前も部活?」
「…いや、私はこの前の試合で負けたからもう引退。今日は部室に置いてた荷物取りに来たんだよ」
「あー……何かごめんな」
「別に謝ることじゃないでしょ、負けたのは私の実力不足なんだから」
カラカラと笑いながら言った三宅は、俺と言葉を交わしておきながら、視界の隅で相変わらずしゃがむ仁王に視線を向けていた。
中等部から数えて6年の時間を注いだ陸上のことは“実力不足”と言えるのに、たった1ヶ月半しか付き合ってなかったこいつのことは、まだその言葉で片付けられないのか。
それを言えないのは優しさなのか弱さなのか、俺にはわからない。
「…で。それ、どうしたの?」
「これ?」
「それ」
はにかみながら仁王を指差した三宅はまさしく恋をしている女の顔で、また俺の胸がちくりと痛む。
けれどそんな思いには気付かないふりをして、そうしてまた、自分とこいつを苦しめるのだ。
「芽衣子が今おつかい…っつーのかな、まあそんな感じでいねーんだけど、それで落ち込んでんだよ。まだ帰ってこないって」
「…ああ、なるほどねー」
そんなに谷岡さんに依存してどうするの。
眉尻を下げながら三宅が言えば、それまでずっと黙っていた仁王がやっと顔を上げる。
そしてそれは、ちょうどその時だった。
「仁王ー、芽衣子戻ったよー」
「えッ」
まるで飼い主の帰宅に気付いた犬のように、一瞬にして振り返った仁王は俺たちのことなんてお構いなしで駆けて行く。
そうして連れられてきた赤也の頭を軽く殴った後、両手で芽衣子の頬を包み込んだ仁王は、本当に幸せそうな顔をしていた。
「……あーあ、あっという間に行っちゃったね」
「…まあ、ここ数十分あいつが帰ってこないってずっとテンション落ちてたしな」
「…ふうん、そうだったんだ」
そう言って仁王を見つめる三宅の視線に、俺はただ黙り込む。
あいつの思い、三宅の思い、俺の思い。
複雑に交錯するいくつもの感情が俺の心を蝕んで、夏の熱さでじくじくと膿んでいくのを感じた。