「……何かもう、マジですいません」

「…いや、別にいいけど」

「朝から思ってもないこと言って先輩に嫌な思いさせて…あああああああもう」

「や、本当大丈夫だから。平気だから」


私がひとしきり思いを吐露した途端、朝からついさっきまでの態度なんて忘れてしまったかのようにいつもの切原くんになった。
…まあ、いつもの――と言う割には自己嫌悪に苛まれ過ぎているけれど。


「それよりも、部活に来るのを嫌がった理由の方が気になる」

「…絶対笑わないって、約束してくれますか」


そう呟いた切原くんは、真剣さと後ろめたさが混じったような目で私を見た。
…笑わないでほしいってことは、よっぽど恥ずかしい何かがあったのだろうか、とは思うものの、とにもかくにも聞かないと始まらない。
そう思った私は黙ったまま頷いて、切原くんは、ゆっくりと口を開いて。


「先輩たちに置いてかれんのが、嫌なんですよ」


静かな声で切原くんがそう言った瞬間こそ、私は意味が分からなかった。
けれどそのつらそうな表情と苦しげな声に、彼の言っていることの意味、そして私が今日言われた色々な言葉の意味を理解した。

そうか、そうだったのか。
切原くんはきっと、恐れていたんだ。


「全国が終わったら、本当に最後になっちまうんですよ」

「…うん、」

「中学の時は高校に上がればまたみんなでテニスができるって思ってたし、高校に上がったら上がったで、来年もあるからって思ってたけど」

「……うん」

「大学に入ったら、きっとまた毎日みんなで馬鹿なことしたりとかできるんだろうとは思いますけど。…でもそうやって毎日過ごしたらあっという間に時間が経って、そのうち先輩たちは卒業して、みんなバラバラになるんすよ」


そういう未来を考えたら、もう何か嫌になって。
俯きながら言った切原くんの声は今にも泣きそうで、私まで胸が締め付けられるような気持ちになった。


「…こんなことしても意味ないのは、自分でもわかってんですよ。意味ないどころか迷惑かけて先輩たちを呆れさせるだけなんだってのは、ちゃんとわかってます」

「………」

「それでも、時間が止まればいいのにって思ったりするんですよ」


発するごとに小さくなるその声は、まるで助けを求める子供のようだった。
弱弱しくて必死で、だから胸が揺さぶられる。どうにかしてあげたいと思ってしまう。
抑えつけていたつもりなんて微塵もない感情が、瞬く間に溢れ出ていくのを感じる。

そうして溢れた感情に従った私は、無意識のうちに彼の頬へ手を伸ばしていて。


「それなら、ちゃんと言いなさい」


彼の頬の温かさを手の平に感じたと同時に、自分の手が思っていたよりも冷たいことに気が付いた。
私は自分が思っていた以上に緊張していたのかもしれないし、今もなおその緊張は解けていない可能性だってある。
けれどまっすぐにとらえた彼の瞳が助けを求めているように見えたから、緊張している暇なんてないのかもしれない、なんて。


「申し訳ないけど、私には切原くんの気持ちを完全に理解することはできない。…私は、切原くんじゃないから」

「…はい」

「私は切原くんが言うところの“置いていく”立場だから、100%同じ感情を抱くことはできないし、まったく同じ苦しみやつらさを味わうことはできない」


そしてそれは私だけじゃなく、みんなだって同じことだ。
寂しいのだと、つらいのだと察することはできたとしても、同じ感情を抱きそのつらさを共有することはできない。

けれど、ひとつだけはっきりと言えることがある。


「それでも絶対に、寂しいのは、切原くんだけじゃない」


私も寂しいし、幸村や柳くん、真田くんだって。
ブン太だってまーくんだって柳生くんだってジャッカルくんだって、全員寂しいんだよ。


「だから我慢しろ、なんてことは言わないよ。寂しいのは同じとはいえ、寂しい理由は違うんだもんね」

「…そうっすよ」

「でもね、私たちは先輩だからさ。寂しいって言う切原くんに対して、自分たちも寂しいって言うわけにはいかないの」


私たちまで寂しいって言ったら、話は平行線にしかならない。
どちらかが“仕方がない”と納得したふりをするしかなくて、実際どれだけ嫌がったとしてもその時は必ず訪れる。
運命なんてものよりももっと強力な、絶対に逃れることのできない事実なのだ。


「私たちだってね、切原くんを置いていきたくなんてないんだよ」

「……………」

「少なくとも私は、切原くんと同じように時間が止まればいいと思ってるし、無理だと知ってても、同じ学年だったら良かったのにって思う。…もしかしたら、それって先輩としては間違ってるかもしれないけどね」


切原くんだけを置き去りにするなんて寂しい未来は嫌だ、そんな可哀想なことしたくない。
できることなら切原くんも一緒に、足並みを揃えて前に進みたいと思ってしまう。

けれどいくら拒もうと、生まれ落ちた瞬間に決まってしまった事実が変わるわけでもなく、抗えるわけでもない。
だから、仕方がないことなのだと言い聞かせて思いを封じ込めるしかないのだ。


「ごめんね、切原くん」

「…先輩、」

「置いていくことになっちゃって、ごめんね」


私がそう言った瞬間、それまで泣き出しそうな顔をしていた切原くんの瞳に、とうとう透明な液体が浮かんでしまった。
後輩、それも男の子を泣かせてしまうだなんて、私は本当に駄目な先輩だ。

けれど、教えなくてはいけない。
切原くんだってわかっていることだけど、それでも認めたくない事実を、ちゃんと突きつけなくてはならない。
それはひどく残酷なことにも思えるけれど、きっと切原くんが今の段階から一歩前に進むためには必要なことなのだと思うから。


「 …せん、ぱい」

「…………」

「置いてかないで、くださいよ…ッ」


何で俺だけ、何で一人だけ。
そう涙声で言った切原くんに触発されたのか、私の鼻の奥もツンと痛んだ。
でも泣いてはいけない、こらえなくてはいけない。
いくらつらかろうと、私たちは、切原くんが泣きつける場所でなくてはならないのだ。

切原くんのぶつけてきた思いを受け止めて、そして。


「ごめ ん、」

「…先輩、?」

「ごめんね、切原くん、っ」


受け止めて、そして背中を押してあげなきゃいけないはずなのに、まだ私にはできないのだろうか。
頬を伝う涙の熱さに気付く間もなく彼を抱き締めれば、驚いたような切原くんの声が聞こえる。


「…何で 先輩が泣くんだよ、」

「だって嫌なんだもん、切原くんがいないと思うと寂しいし、一人ぼっちになんてさせたくないんだもんッ」

「…っあんたがそんなこと言ったら、」


俺はどうしたらいい、俺は泣けなくなる。
言葉の続きこそなかったけれど、きっと彼はそう言いたかったのだろう。

でもごめんね、今だけは許してね。
この涙が止まる頃には、正しい先輩の背中を見せられるように頑張るから。
そんな思いで彼を抱き締める腕に力を込めれば、彼の手が私の服をギュッと握った気がした。


「寂しい思いさせてごめんね、でも、部活にも顔出すから」

「…はい」

「いつでも私たちの家に遊びに来てくれていいし、みんなでいっぱい集まろう」


そうやって切原くんが嫌になるくらいに、たくさんたくさん構ってやるんだ。
その言葉は胸にしまったまま、腕の力を解いて切原くんの顔を見る。


「だから今は、今しかできないことでたくさんの思い出を作ろうよ」

「 はい、」

「高校生の時にしかできないことをして、大学生になったら、またいっぱい楽しい思い出を作ろう」

「はい、っ」


大丈夫。つらいことのあとには、楽しいことばかりが待っているから。
真っ赤になった鼻をキュッとつまんで言えば、切原くんは照れくさそうに笑った。



  


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