その時の芽衣子といえば、まさしく泣きそうな顔をしとった。
机に突っ伏したままどこかに視線を向けた芽衣子は、黒く長い睫を震わせ、眉をひそめて薄い唇を噛む。開かれた瞳には、透明な液体がわずかに溜まる。
芽衣子がそんな表情をしとるのは、俺のせいであり、俺のせいではない。
理由は俺だとしても原因は俺ではない、そんなよくわからないものだったが、確かにそこには俺が関わっとった。
そのせいなのかはわからない。それでも、泣きそうな芽衣子が可哀相で、俺の心には罪悪感が募った。
つらそうな姿なんて、見とうなかった。
「ごめん なさい、」
だから俺は目を閉じて、見ないようにした。
もうええ、と芽衣子の手を取りこのやりとりをここで終わらせることもできたが、それはやめておいた。
そうしなければ、芽衣子の心の突っかかりのようなものがとれないのだろうと思ったから。
俺たちが先に進むには、これは避けられないことなんじゃろうと思ったから。
だから俺は、
「…俺、寝とるけ。思っとること全部言いんしゃい」
俺からの一方通行でもなく、芽衣子からの一方通行でもなく。
これは俺たち2人のためだと、頭の上に乗せられていた芽衣子の手をおろし、その小さな右手をそっと握った。
そうすれば芽衣子はきゅっと俺の手を握り返して、そのまま本格的に突っ伏してしまう。
これで、つい数秒前まで見えとった芽衣子の顔が全く見えなくなった。
けど、仕方ないんじゃろう。
「…本当は、ね」
「……………」
「三宅さんと付き合ってたって聞いて。…ほんとは いやだった、」
寂しくて、まーくんが取られちゃった気がして、遠くに行っちゃったような感じがして、過去のことってわかってても嫌だったし全然大丈夫じゃなかった。
きっと顔を隠しでもしないと、芽衣子は自分の思いを伝えられなかったんじゃろう。
くぐもりつつも小さくはないその声を聞きながら、俺は思う。
「聞く前までは、今までそういう話をしてこなかっただけで、過去に彼女がいたとしてもそれは当然だと思ってた。けど実際聞いたら、…嫌だった」
「………」
「本当はこれっぽっちも大丈夫じゃなくて、理由はわからなかったけど、つらくて苦しかった」
だから逃げてしまったのだと、静かな声で芽衣子が言った。
「それでね、…柳くんに話したの。寂しかったし嫌だったけど、まーくんには言えなかったってことも、みんな話した。…少しだけど、泣いたりもした」
「…………」
「…結局、どうしてそんな気持ちになったのかはわからないままだけど。でも、そういう風に思うのは悪いことじゃないって、柳くんは言ってた」
柳くん、柳くん、柳くん。
芽衣子の口からあいつの名前が出るたびに俺の胸がわずかに苦しくなって、でも少しだけ、安心もしとった。
芽衣子があいつを慕っているのはわかってる。けどあいつは、俺が芽衣子を好いてることを知っとる。
だから大丈夫だと、嫉妬しながらも安心しとった。
そして俺はわずかに、芽衣子が俺のことで悩んで泣きまでしたことに、高揚感を覚えた。
「…まーくん、もう起きてよ」
「……………」
「一人じゃないのに独り言を言うのは嫌だよ」
どんな顔して芽衣子を見たらいいんじゃ。
俺がそんなことを考えている間に放たれた芽衣子の声は、さっきよりもはるかに明るかった。
まるで、心の中のもやがなくなったかのような、晴れやかな声だったように思える。
それに安心してわずかに顔をあげれば、それだけで芽衣子が笑ったような気がした。
「…おはよ」
「うん、おはよ」
目だけを開いて芽衣子の顔色をうかがえば、子供を見る母親のようなまなざしで俺を見る。
仕方ないな、まーくんは。芽衣子の表情は、そう言いたげなそれだった。
「…芽衣子、」
「ん?」
「今、どんな気持ち?」
俺がそう問えば、芽衣子は一瞬目を見開いた。
「俺があいつと付き合っとったって知って、それについて今の芽衣子はどう思っとる?」
その言葉に眉をひそめ、苦々しい顔をする芽衣子。
さっきまでの弱々しい姿からは想像もつかんな、と内心笑えば、芽衣子はフンと声をあげる。
「生意気」
「は、?」
「だから、生意気」
依然として眉をひそめたまま、何やら不満げな顔で言われた。
……生意気っちゅーのは、一体全体どういう意味なんじゃ。そう問おうとした俺に、
「まーくんのくせに女の子と付き合うとか、生意気だよ」
「…ずいぶんな言い方じゃのう」
「そりゃそうでしょ」
そんなの当たり前だよ。
何がどう当たり前なのかは知らんが、芽衣子が言うには、どうやら俺には女と付き合う資格はないらしい。
…これでも結構モテるんじゃけど、という言葉は、きっと今は言わん方がええんじゃろうな。
そう苦笑交じりのため息を吐こうとした時、
「まーくんは私のなんだから」
他の女の子と付き合うだなんて、100年早い。
自信ありげに言った芽衣子の笑顔に、俺の目は奪われた。
そういうことだったのか、と芽衣子の言葉に納得したと同時に、俺の体内を温かい気持ちが駆け巡る。
きっとこれを、幸せって言うんじゃろう。
「…そう、じゃな」
「ん?」
「俺は芽衣子のもんじゃ」
芽衣子が俺のものなのかはわからん。
…いや、こいつは俺のもんじゃない。きっと芽衣子は誰のものでもなく、芽衣子自身のもんなんじゃろう。
それでも、俺が芽衣子のものであるというだけで、こんなにも満たされるなんて知らなかった。
こいつが悲しまずに済むのなら、喜んで俺は芽衣子のものであろうと思う。むしろ、そうありたいとさえ思った。
…こんな俺を昔の自分が見たらどう思うのか。一瞬考えたが、すぐに答えは出た。
「 帰るか、芽衣子」
きっと笑いながらも、俺の思いを正しいと言ってくれるんじゃろうな。
そう考えながら立ち上がれば、芽衣子が「うん」と笑う。
つながれた俺たちの手は、まだ離れない。