私は、世の中には知らなくていいことも存在していると思う。
誰にだって知られたくないことの一つや二つあると思うし、それがその人にとってとても大切なことだったり、やましいことだったり、悲しいことだったり、…あるいはそう、知ることで自分とその人との関係性が変わってしまうようなことならば、私はそれをわざわざ知ろうとしなくてもいいと思う。
話したくないなら、話さなくていい。
話したいけど今は難しいなら、待っていようと思う。
そういう割り切りのようなものが、人間関係を円滑に進めるためには必要だと、私は思う。
とか、それっぽいことはいくらでも言えるけど。
「っていうかお腹空かない?」
一言で言うと、どうでもいい。
そんな独り言は胸にしまったまま口を開けば、珍しいことに柳くんが目を見開いた。
「……わざわざ口にするのもなんだが、今この場に流れていた空気は比較的重苦しいものだったと思うぞ」
「うん、私も思う」
「の割にはお前ぶっこんできたな」
「ああ、俺も驚いたぞ」
「だってもう疲れちゃったんだもん、ああいう空気苦手なんだよ」
あまりにも深刻そうだったから私もつい雰囲気に呑まれちゃってたけど、よく考えてみたら、あの2人がどういう関係だとか、過去にどんなことがあっただとかどうでもいい。
だってもし仮に三宅さんとの間に何かある、あるいはあったとしても、まーくんはその上でまーくんだったんだもんね。
私の知らないところでどんな風に過ごしていようと、まーくんがまーくんならそれでいい。割と。
「別にさっきのこと知りたいとか思ってないから気ぃ遣わなくてもいいよ。ここは涼しいから、まーくんどうこう関係なく出るつもりないけど」
「……お前、自分のいとこのことすらどうでもいいのかよ…」
「変な言い方しないでよ、別に悪い意味じゃないんだから」
「…そうだな。いい意味で無関心なんだな、お前は」
それって褒めてるのか褒めてないのかよくわかんないんだけど、なんて思いながら目の前の柳くんを見れば、彼は困ったように笑いながら私の頭を撫でた。
いい意味とは言ってくれたけど、この人は皮肉とか言いそうな顔してるから油断ならない。いや、私にはそういうの言ってこないと思うけどさ。
「谷岡」
「ん?」
「お前はそのままでいてくれよ」
「は、――…ッ」
それってどういう意味?
そう聞こうとした瞬間、ブン太が私の頭をぺしんと叩いた。
「いきなり何すんのッ」
「終わったんだよ、髪」
「はあ?」
だからって何で叩くんだよ馬鹿。
そんな思いを込めて正面を向いたままひじ打ちすれば、声にならない声がすぐ後ろから聞こえる。
「ってーな…」
「自業自得。てか鏡ちょうだい、そっちにポーチあるでしょ」
「…ほら」
薄暗い倉庫の中で鏡を出せば、なんとまあかわいい髪の毛。
これはあれだね、さながら、私が今住む神奈川と同じ関東某県にある、夢の国のメインキャラクターの耳を模したようだね。
「すごいブン太、超かわいいッ」
「だろ?結構な自信作だぜこれ」
これならうつ伏せ仰向け両方に対応してるぜ、と自慢げにブン太が言う。
わー、本当すごいなこれ、写メ撮りたい。
「ねね、これ写メ撮って」
「俺が撮ろうか」
「じゃあ俺もうっつるー」
「え、それなら柳くんも一緒に入ろうよ」
「いや、俺は「いーいーかーらー」
せっかくブン太も写るなら柳くんも一緒の方がいいよね。
断ろうとする柳くんの腕を引っ張って横に座らせれば、仕方ないな、と言いたげに眉尻を下げて彼が笑う。
「はい、じゃあ撮るよー」
カシャッ。
薄暗い倉庫内に一瞬光が弾けて眩しくなったけど、実際の写真の方はどうだろうか。
一応暗所モード的なやつ使って撮ったけど……おっ。
「うん、よく撮れてる」
「お前化粧落ちかけてるけどな」
「柳くんなんて最早目ないじゃん、それと比べたら――…痛い痛い痛いッ」
「………」
「ご、ごめッ冗談ですごめんなさいッ」
あれ、こめかみぐりぐりされるのってどれくらいぶりだっけ。
何か月か前にされた記憶があるけど、そんなことすら考えられないくらいに痛い。マジで勘弁してほしい。
「いったー……」
「自業自得だ」
「柳くん最近短気になってない?大丈夫?」
「わざわざ怒るようなことを言うからだろう」
「え、柳おこなの?」
「おこだ」
おこって若干古い気がするけどまだいけるかな、いけるか。
流行りものはいち早く取り入れるブン太が言ってるんだもんね、まあそれ私が勝手に作り出したイメージだけど。
「2人ともこの画像いる?」
「いるー」
「ではせっかくだから送ってもらおうか」
「じゃあ送るねー」
手にしたままだった携帯をいじり、柳くんとブン太に画像を送る。
…あ、そうだせっかくだから待ち受けにしよ。最新だし。
「みてみて、待ち受けにした」
「あ、じゃあ俺もしよー」
「…柳くんはしないんですか」
「…してほしいのか?」
「この場にいる2人がしといて柳くんだけしないっていうのはねー、どう思いますブン太くん」
「いやー有り得ないっしょ、仲間意識薄いわー俺すげー傷つくわー」
「私も傷つくわー萎えるわー」
「……わかったから、その馬鹿みたいな話し方をやめろ」
呆れたようにため息を吐いた柳くんは、ポケットから携帯を取り出し操作する。
ふふー、おそろいだ。
「待ち受け変えるのとか何ヶ月ぶりだろ」
「あー、ずっとあの写メだったんだろ?俺も俺も」
「あの写メ?」
「ほら、合宿終わってちょっとしてから、私とブン太とまーくん3人で撮った写メ全員に一斉送信したじゃん。あれあれ」
「ああ、あれか」
ってことは…大体2ヶ月ぶりか。
この調子だと、この先も私の携帯の待ち受けには常にテニス部の誰かが写ってることになりそうだな。
けど悪い気しないからむかつく、なんて思いながら携帯をしまうと。
「それなら、仁王に悪いことをしたな」
「え、何で?」
「別にそんなことなくね?」
「…まったく、お前たちは」
??
ハテナを頭の上に浮かべる私とブン太には、柳くんの言っていることの意味がいまいちわからないんだけど…これってまーくんがかわいそうなのかな。
「えっと、これをまーくんにも送ればいいってこと?」
「…お前は天然か」
ペチン。
またしても呆れたような顔をした柳くんは、私のおでこをやわく叩いた。