「…学校行かないの?」
「行かんけど」
「なんで」
「芽衣子熱あるもん」
「……………」
午前7時、朝練開始の時刻。
私がベッドを占領したまま寝落ちしてしまったせいで、床で寝る羽目になったまーくんと向き合った私は、どうしたもんかと頭を掻いた。
「起きてから熱計った?」
「…計った」
「何度?」
「36度ちょい」
「嘘吐け」
熱がないって言ったら学校行ってくれるかな…と思ってはみたものの、すぐに見抜かれた。
まあこんな嘘が通用するとも思っちゃいなかったけど……本当、どうしたものだろう。
正直、授業に出ろとかは思ってない。
受験生とはいえまーくんだって頭悪いわけじゃないんだから出たくないなら出なくていいと思うし、事実一緒にいてくれた方が心強い。…けど、
「え、芽衣子誰に電話してるん」
「幸村」
「なんでじゃ」
『もしもし?』
「…あ、もしもし幸村?」
せめて部活には行って欲しいんだよな。
そう思いながら幸村を呼び出せば、すぐにつながる彼への電話。
視線を合わせたまま、質問に答えることもなく幸村に呼びかける私を見てまーくんが不満げに眉をひそめた。
『おはよう芽衣子、相変わらず死にそうな声してるね。具合はどう?』
「うん、まあ、大丈夫。生きてる。あとおはよう」
『熱はあるけど元気、って昨日LINEで言ってたのはあながち嘘でもなさそうだね』
「高くなっちゃえば割と平気なの、微熱くらいが一番だるいし死んでるよ」
『へえ、じゃあ昨日の帰り際とかよりはマシになった?相当死んでたって蓮二から聞いたけど』
「今の方がまだ楽かな」
『そう、なら良かった』
それで、どうしたの?
彼の声に電話の目的を思い出し、ハッとした。
「あの、なんかまーくんが学校行かないとか言ってて」
『うん』
「…うんって、」
『だって芽衣子熱あるだろ?』
「あるけど、でも、」
私のせいで部活を休ませたくない。
そんな言葉はひしひしと感じるまーくんからの視線に飲み込まれて言えなかったけど、それでもやっぱり。
『一緒にいさせてあげなよ』
「………え、」
『だから、今日は部活も学校も休ませてあげなって』
あげなよ、なんて。
そんなのまるで、単純な心配や仕方なさじゃなく、まーくんがそれを望んでるみたいに言って。
幸村はまーくんのそんな思いに気付いてるみたいだ、なんて思った。
「………………」
『それに俺は、昨日からそのつもりだったよ』
「……そのつもりって?」
『仁王から芽衣子は休ませるって聞いた時、仁王も休むもんだと思ってた。もし今普通に学校来てたらなんと言おうと帰すつもりだったよ』
…いや、なんで幸村がそこまでするの。
私だってまだ大人じゃないってだけで子供ではないし、心細さもあるにはあるけど、耐えられないものじゃない。耐えなくちゃいけないものだとさえ、思う。
なのに、幸村は。
『芽衣子は本当に、仁王を部活に行かせたいの?』
「………」
私の心を揺さぶるような言葉を簡単に言うもんだから、つい黙り込んでしまう。
本当は行って欲しくない。心細いし、寂しいし、一緒にいて欲しい。学校なんて行かないでほしい。
でも今の私は、テニス部のマネージャーでもあるんだ。
自分にそう言い聞かせて口を開こうとした瞬間、私の心を読んだかのように「マネージャーってことは抜きにしてね」と幸村が言う。
「……抜きにしたら、」
『うん』
「………や、だ」
そんなこと言われたら、もう学校に行って欲しいだなんて嘘でも言えない。
その事実に、私は自分が思っていた以上に弱っているのだと思い知らされたような気がする。
『なら決まりだね。先生に伝えとけってブン太に言っておくから』
「…わかった」
『部活終わったらお見舞い行くから、今のうちにゆっくりしておきなよ』
それじゃ、また後で。
そう言って切られた電話を手にしたまま目の前に目を向ければ、まーくんが緩んだ顔を隠すこともなくにやけていた。
「…聞こえてた?」
「うん、全部聞こえとった」
「…………」
携帯を枕元に置き、もう一度ベッドにもぐりこんでシーツを頭まで被る。
そうしてまーくんに背中を向ければ、え、という声に続いて「どうしたん」と肩に手をかけられた。
「出てって」
「なんで?」
「恥ずかしいから出てって」
「ここ本来俺の部屋なんじゃけど」
「………………」
なら私が出てく、とばかりにシーツを剥いで体を起こせば、相変わらず笑うまーくんがいた。
……なに、その嬉しそうな顔。
「芽衣子、俺に学校行って欲しくないん?」
「…そんなこと、「あるじゃろ?」
「…………」
「なん、行ってもええんか」
「…え、」
「なら準備始めるかのう」
そう言ったまーくんは、私に背を向けて腰を上げる。
え、ちょっと待って、行くの?
そんな簡単な言葉を口にするよりも早く、彼の服の裾を掴む。
「なん?」
「……………」
「ちゃんと言わなきゃわからんぜよ」
嘘吐き、全部わかってるくせに。
そう思いながらまーくんを睨めば、さっきまでの緩んだ顔はどこへやら、余裕そうな笑みをたたえていた。
「どうしたん?」
「………意地悪」
「ほー、ならそんな意地悪まーくんは一緒におらん方が、「やだ」
まーくんの言葉を遮って言ったと同時に、彼の服の裾を掴む手が一層強くなる。
そして、
「………行かない で、」
小さな声で言えば、一瞬で表情の緩んだまーくんがわたしの頭をやわやわと撫でる。
そのまーくんの目に、私は少し、熱が上がったような気がした。