「…あれ、」
部屋着に着替え、髪も乾かし終えたわたしは洗面所を出てリビングの扉を開く。
そこにはわたしの予想をはるかに上回る、たくさんの人がいた。
「あ、先輩おかえりっすー」
「ああ、うん…ただい、ま?」
「おう谷岡、お邪魔してるぜ」
「…うん、いらっしゃい」
「芽衣子具合悪いんでしょ?大丈夫?」
「まあ、今のところは…」
大丈夫だけど、なんでこんなたくさん。
来るとしたら柳くんともうひとりくらいだと思ってたけど、ここにいるのは真田くんと柳生くんを除いた5人。
ここまでいると2人がいないのが不思議なくらいだけど…と首を傾げれば、「風紀はまだかかりそうだったんだよね」と幸村が言った。なるほど。
……っていうか、少なくとも柳くんとブン太、それに切原くんは傘持ってなかったわけで。
それに対し、多くても2人しか傘を持ってなかったってことは……
「…ごめん、」
「? なに急に謝ってんですか?」
「…いや。幸村とジャッカルくんしか傘持ってなかったでしょ」
雨の中誰かしら窮屈な思いをしたんだとすれば、今朝1本しか傘を持たなかったことに対して後悔しかない。
そんなわたしに、笑いながらブン太が口を開く。
「俺らの心配する前に自分の方気にしろよ。まだ高くねーからいいけど、本格的に熱上がったらきついのはお前だぜ?」
「…そう、だけど。みんなまで風邪引いたりしたら申し訳ないし」
「ふふ、そしたら芽衣子が看病してよ」
頬杖をしながら言った幸村の言葉に、ふと合宿の時の湖の件を思い出した。
…そんなの、絶対にごめんだ。
「…うちにある傘全部持ってってもいいから絶対風邪引かないで」
「俺は看病してやるって言ったのに薄情だなーお前」
「まーくんならまだしも、みんなは家に親御さんいるでしょ」
わたしがやるまでもない、なんて言えば感じた視線。
それに気付いて顔を向ければ、目を丸くしていたまーくんが、わたしと視線をかち合わせた途端にへにゃっとゆるんだ笑みを浮かべる。どうしたんだろう。
「…谷岡」
「ん?」
「もし熱が出た時のために冷却シートや栄養ドリンクを買ってきておいた。熱が出たらちゃんと使うようにな」
「え、あ、うん。ごめん、ありがと」
「俺のお気に入りのゼリーとかヨーグルトも買ってきたから、それも食えよな」
「うん、ありがとう」
「それじゃ、みんなもう帰るよ。具合悪いのに長居するのも悪いし」
「すまんのう、わざわざ」
幸村の言葉にみんなが立ち上がる。
みんなにうつしちゃまずいし、外だってすごい雨だから早く帰った方がもちろんいいんだろうけど……
「なんのお構いもできなくてごめんね」
「そんなんいいっすから、さっさと治してくださいね!」
「うん、ありがとう」
向けられた笑顔にふわふわとした頭を撫でれば、湿気を帯びて少し強くなった癖が指に埋もれる。
…あ、そうだ。
「これ、持ってって」
「…タオルっすか?」
「うん。みんな一枚は持ってるだろうけど家までの間にまた濡れるだろうし」
洗面所から取り出した、5枚のフェイスタオルをみんなに渡しながら言う。
使わずに済むならそれに越したことはないけど、備えあれば憂いなしってやつだからね。
「傘は…うん、ブン太の分も切原くんの分もあるね」
「わりーな、今度は壊さないように気を付けるわ」
「壊してもいいけど、家の近くまで行ってからにしてね。風邪引かないように」
「おう、サンキュ」
ニッと笑ったブン太がわたしの頭を撫でれば、先頭を歩いていた幸村がドアノブに手をかける。
…こんな雨の中帰るだなんて可哀相に。
「それじゃあまたね」
「暖かくして寝るんだぞ」
「うん、わかった。気を付けてね」
「お邪魔しましたー」
「じゃあまたな、仁王も谷岡も」
「んー、またの」
「言ってくれればお見舞いに俺の特製ケーキ作ってきてやるからな!」
「まだそんな熱出てないって」
「縁起でもないこと言うんじゃなか」
まーくんの言葉にくすりと笑いながら低めに手を振れば、最後尾を歩いていたブン太がドアの向こうに消える。
5人もの人が突然いなくなった家の中には、途端に静寂が訪れた。
「…具合どう?」
「少し頭が痛くてぼーっとするくらい。まだあんま寒くないし、大丈夫だよ」
「熱上がるかのう」
「どうだろうね」
結んだ髪の毛を尻尾のようにぴょこぴょこ揺らしながら、まーくんがリビングの方に戻っていく。
そのあとを続いてわたしもリビングに入れば、ん、と体温計を渡された。
「みんな気が早いよね」
「なんが?」
「まるでもう熱が出てるみたいな反応だった」
「ほんっと、縁起でもなか」
眉をひそめてソファーにかけたまーくんの隣に腰を下ろし、くすりと笑う。
風邪を引いたかもしれないのに笑うだなんて、おかしいかもしれないけど。
「でも、少し楽しかった」
心配してくれたみんなやまーくんには悪いけど、こうやって気にかけてもらえるのは、やっぱり嬉しい。
まあ本格的に熱が出たりしたらそんなことも言ってられないだろうけど。
そんなことを言って笑えば、
「芽衣子が苦しいのは嫌じゃし、つらそうなとこも見とうないけど」
彼の左手がスッと上がり、わたしを見る目が細められる。
そうして、
「今は俺がいるけ、安心して熱でもなんでも出しんしゃい」
ふわりと笑う。
優しい手つきで頭を撫でる。愛おしげな目で、わたしを見る。
手のぬくもりに熱が上がった気がする。
その全部に目を奪われ、意識がじわりと支配される。
言葉を失ったわたしの代わりと言わんばかりに、体温計がピピピと鳴った。