…私、うまくできたかな。
そう考えながら試合のスコア表を眺めれば、ちょうど部活終了を告げる幸村の声がした。
「…あ、真田くん。お疲れ様」
「ああ、谷岡か」
視界の隅にこっちへ向かってくる真田くんが見えて、手を軽く振りながら声をかければ彼が足を止めた。
部室に戻るところなのかな。
「もうやるべきことは終わったのか?」
「うん、一通りは。あとはみんなが着替えてる間のボール拾いと部誌。って、さっき幸村が言ってた」
「……………」
「……真田くん?」
スコア表をペラペラとめくりながら言えば、突然黙った真田くん。
どうしたんだろういきなり。そう思って顔を上げた私は、少しだけ驚いた。
「お前は本当によくやっているな」
真田くんが、少しだけ笑っていた。
笑っていると言っても、本当に、本当に少しだけだった。
真田くんを知らない人が見たら笑ってないと思ってもおかしくないくらい、本当に、わずかに浮かべた笑みだった。
けれど転校してきて1ヶ月とはいえ、それなりに密度の濃い時を共に過ごしてきた私には、それが何となく感じ取れてしまって。
驚き半分、少し恥ずかしくなる。
「……まだ、初日だよ」
「初日だからこそ言っているんだ。もちろん合宿に裏付けされたものではあるだろうが、合宿と部活では色々と勝手も違う。すぐに把握することは容易ではないだろうに、初日とは思えないほどによくやってくれているぞ」
「…そうかな」
難しいことはよくわからない。
なんせマネージャーはずっといなかったらしいし、となれば幸村とか真田くんとか柳くんに聞くしかない気もしたけど、3人だって部活があるわけだから、私に構ってる余裕なんてないはず。
そう思うと、
「頑張ろうって、思えた」
静かな声で言えば、真田くんは不思議そうな顔で私を眺める。
やっぱり意味、わかんないよね。
「…私、運動部に所属してたことって今まで一度もないんだ」
「ずっと文化部だったのか?」
「ううん、そもそも部活に入ってたことがなかった」
別に熱くなるのが恥ずかしいとか、そんな思いは微塵もない。
確かにそういう雰囲気は苦手ではあるし私には向いていない気がするけれど、それ以上に、この持ち前の面倒くさがりを前に、朝夕や時には休みの日に学校に来なきゃいけないようなことに励もうだなんて気はさらさら起きなかった。
「だから、サポート頼まれた時は驚いたけど嬉しかった」
「…そうだったのか?」
「うん。…事実面倒くさいとは思ってたけど、運動部が毎日どんな風に部活に励んでるかとか、どうサポートしたらいいのかとか…何も知らない私に頼んでくれたのが、不安もあったけど本当はすごく嬉しかった」
知識も経験もない私なのに、一緒に来て欲しいって思ってくれたことが嬉しかった。必要とされていることが、単純に嬉しかった。
私が知らないだけで、もしかしたらは反対した人もいたのかもしれない。嫌がった人もいたかもしれない。
それでも私に声をかけて、手を引いてくれたことが嬉しかった。
「だからね。その分期待を裏切らないように…って言ったら違うかもしれないけど、『こいつに頼んで良かった』って思ってもらえる自分になりたかったの」
「……………」
「何もわからない分、努力するしかないって思ったの。教えられたことはすぐ覚えるようにして、みんなのことよく観察して。どうしたらみんなが練習に集中できるかなって、合宿中も考えてた」
言われたことをやるだけなら誰にだってできるけど、それじゃ私を選んでくれたみんなに申し訳がない。
私は自分自身に、何か付加価値が欲しかった。
「その結果言われた『一緒に青春したい』って言葉が、思いの外突き刺さったんだ」
うまくやれている自信はなかった。
みんなどこかで、知識も経験もないから仕方がないって妥協してくれてるんだと思ってた。
うまくやれてたとしても、“初心者の割に”という言葉が必ず付いて回っているんだと思って疑わなかった。
「お前はすごいな」
「…何が?」
「そこまで他人のことを深く考えられることは、人として素晴らしいと、純粋に俺は思う」
突然褒められた。どうしたのいきなり。
真田くんに評価されることは珍しく……は、最近はなくなってきたけど、改めてこう、しっかりした言葉で褒められると照れる。しかも相手は真面目な真田くんだし。
そう思いつつわずかに視線を逸らすも、真田くんは私を解放してくれる気はないらしい。
「正直なことを言うと、俺はお前のことがよくわからなかった」
「…ん?」
「授業をサボっているかと思えば成績は悪くないようだし、嫌がっていた割には真面目にサポートにも取り組んでいただろう。後者に関しては今の話で合点がいったが、真面目なのか不真面目なのか、俺にはよくわからなかった」
「…あー…」
…これ、怒られてるのかな。
何かどっちなのかはっきりしろ!って言われてる気分になる。
そう思うと、ついさっきまで微塵も感じなかった居心地の悪さを覚えて、少しだけ憂鬱になったんだけ、ど。
「だがお前は、俺たちのためだからこそ頑張ってくれてたんだな」
少し困ったように笑った真田くんは、私の頭に軽く手を乗せた。
事実それは、みんなが私に対し行う“頭を撫でる”という行為に他ならない。
けれど今真田くんがしたそれは、私にとって、認めてもらえているということの証のように思えて。
嬉しいというか、感動した。
「…サボるのは確かに良くない。が、お前のその切り替えには感服する」
「…真田くんの方が、すごいよ。文武両道でなんにでも全力じゃん」
「当然だ」
…あれ、本当に感服してんのかな。
何にでも全力投球が当然だと思ってる人はそこに対して評価するのおかしいと思うけど――…あ、もしかしていとこつながりってことでまーくんと比較されてるのかな。
まーくんテニスは好きだけど、練習はものによって嫌いみたいだし。
「……………」
「む、どうした?」
「…真田くんさ、」
もしかしたら、まーくんのことを考えたタイミングでこれを言うのは失礼かもしれない。けど、
「真田くんがそれが良いと思ってたり、それが自分にとってのベストな状態なら、それに越したことはないから私は何も言わないけどさ」
「…?」
「何にでも全力で頑張るのは、案外疲れるものだよ」
本当、ものによってはすさまじくサボり魔になる私に言われたくはないだろうけどさ。
でもこれは、そんなONとOFFが激しい人間だからこそ言えるアドバイス、ってことで。
「気付いた時にはボロボロとか、そういうのやめてね。糸切れちゃってからじゃ、結ぶことはできても前とまったく同じ一本の糸には戻せないんだよ」
そう言って苦笑すれば、真田くんは目を丸くして私を見る。
ちょうどそのタイミングで呼ばれて駆け出した私は、真田くんが笑っていたことなんて、知るわけもない。