「うわああもうやだあああ」

「あはは、あっち楽しそうだね」

「若干仁王の顔色が悪いな」

「幸村、俺が漕ごう」

「ああ、頼む。俺アレ撮りたいし」

「任せてくれ」

「ちょっと助けてよ!」


こっちが必死になってボートにしがみついてたら、ピロリン、という音が少し離れた場所から聞こえた。
本当つらいってのに幸村はなに動画撮ってんのふざけんなよ。
ボートってあれじゃないの?もっとまったりしてるもんじゃないの?これじゃまるでアトラクションだよ。


「え、ねえまーくん大丈夫?」

「駄目…まーくん死んじゃう…」

「ちょっとあんたらまーくんもう駄目だって、死んじゃうって!普通に漕いであげて!」

「普通に漕いでるっつの!」


普通っていうのは幸村たちのボートのことを言うんだよ!
テンポもばらばらで最低な乗り心地は、もはや嫌がらせとしか思えないほどだった。

あれか、これは普段まーくんがしてるいたずらの仕返しなのか。
それならまーくんの自業自得だから無関係なわたしはどうか助けて欲しいけど、まーくんの顔色まじで悪いし、そろそろ勘弁してやってほしい。


「わかった、普通はもう求めない。だから漕ぐのやめて」

「え、やめていいんすか?」

「お願いだからやめてください」


時折吹く強い風に押し流されるボートは、ゆっくりと穏やかに湖を進む。

そう、わたしが求めてたのはこれだよ。
幸村たちのボートとはずいぶん離れちゃったけど、こんな風にゆったり進んでくれるならなんの問題もない。


「はあ、やっと落ち着いたね」

「いやーなかなか手強いっすねこの湖」

「お前の漕ぎ方がセンスねーだけだろ」

「ブン太もセンスないよ」


びゅうっと強く吹く風はさっきより勢いを増す。
鬱陶しいほどばさばさとなびく髪に眼を閉じようとした瞬間、白いなにかがわたしの横を通った。


「あ」

「…あ、」

「なに…あ」


切原くんとブン太の声に目を開ければ、彼らの視線の先には白いタオル。
どうやら今の強風にあおられて飛んでしまったらしい、少し急になった湖の流れに身を任せたタオルは、少しずつ離れていく。


「これ誰の?」

「俺の」

「…届くかな」


タオルの持ち主はブン太だった。
次第に水を吸って重さを増していっているようにも見えるそれは、いつ沈んでしまうかわからない。
ちょうどわたしのすぐ後ろに落下したそれを取ろうと体を伸ばすけど、ギリギリのところで届かない。悔しい。


「先輩危ないっすよ、俺取ります」

「大丈夫、移動したら波できてタオル遠く行っちゃいそうだし」

「わりーな、そっち寄せるか?」

「ううん、このまま頑張る」


あと少し、あと数センチ。もう少しで届きそうなのに、逃げるように離れていくタオルに自然と身も乗り出してしまう。


「もう…ちょっ……あ、」

「せんぱああああい!」

「ッ芽衣子!」


あ、落ちる。
そう思った次の瞬間には、バシャンという大きな音と共に、冷たい水が体包んだ。
急いで水面から顔を出したけど、風にさらされて非常に寒い。


「…つめっ…た、」

「芽衣子大丈夫か?」

「…え、まーくん?」


声に横を見れば、わたしと同様びしょびしょになったまーくんがいた。
湖に落ちたのはわたし一人だと思ってたけど、どうやらわたしを助けようとして間に合わなかったまーくんも落ちてしまったらしい。

そういえば落ちる直前に聞こえた名前を呼ぶ声もまーくんのだったし、たぶん落ちまいとジャージを引っ張ってくれたのも彼だったんだろう。隣の切原くんはオールつかんでたもんね。


「わ、ごめん、大丈夫?」

「俺は平気じゃけど、芽衣子風邪引くかもしれんし早く上がりんしゃい」

「う、うん」


ごめん、マジごめん。
本当に申し訳なさそうに謝るブン太が差し伸べた手を取って、ボートに上がる。
わたしとしてはいたずら半分でその腕引っ張って湖に引きずりこんでやりたいけど、申し訳なさそうな顔だし、なにより選手に風邪引かせらんないもんね。
まーくんも寒そうだし、いたずらはまた今度にしよう。


「ちょっと、すごい音した…けど…」

「……」

「…え、落ちたの?」

「…落ちちゃった」


まーくんがボートに上がったと同時に、騒ぎに気付いた幸村たちがやってきた。
まさか本当に落ちるだなんて思わないよね、わたしもびっくりしたよ。


「え、なにお前ら馬鹿なの?」

「なんて言い草だよ」

「あああああ谷岡!!だ、大丈夫か!」

「とりあえず戻るぞ、風邪を引く」


幸村の言葉にいらっとしたけど、すごい焦ってる真田くんを見たらそんな気持ちもどっかに行った。
真田くん、心配してくれるのはありがたいけどまーくんの方気にかけてあげて。
落ちる直前まで具合悪そうに膝の間に頭埋め込んでたんだよこの人。たぶん今すごい気分悪いよ。


「…っくしゅ」

「仁王先輩大丈夫っすか?」

「仁王もまじでごめん」

「…ん、へーき。芽衣子は?」

「あ、うん…大丈夫」


なら良かった、と言ったまーくんは、冷たい手でわたしの頭を撫でた。
わたしはブン太から、まーくんは切原くんから借りたジャージを羽織って、少しだけでも体を暖めようと試みる。
…人のジャージを濡らすだけ濡らしといてアレだけど、保温効果は皆無である。


「うわっ、どうしたんだよお前ら」

「仁王くんに谷岡さん!まさかあなたたち…!」

「俺のせいで落ちた」

「ちょっとブン太、」


ゆったりとボートを漕いでもらって最初の場所までなんとか戻ると、目を見開いた柳生くんとジャッカルくんが近付いてきた。
柳生くんもブン太も、選手のまーくんはともかくとして、そんな気にすることじゃないのに。


「わたしはまーくんが風邪とか引いてなければそれでいいよ」

「引いとらん」

「今の時点で断言するんすか…」

「わざとじゃないんだし、わたしが勝手にやってまーくんを巻き込んだだけなんだから気にしないでよ」

「あー…あー…」


なにブン太、カオナシなの?
自己嫌悪にさいなまれているらしいブン太は、うなだれて言葉にならない声を上げる。


「ほら、早く戻らないと風邪引くよ」

「あ、うん」


幸村に呼ばれて小走りすれば、さっきまでは涼しく感じられていた空気がとても冷たく感じて身震いする。
ペンション戻ったらシャワー浴びよう。


「芽衣子、仁王、マジでごめんな」

「大丈夫だよ。ね、まーくん」

「ん。気にせんでええ」

「ってことで、ブン太くんには戦利品のプレゼントです」

「俺の大切な大切な芽衣子ちゃんが体張って取ったんじゃから、大事に使いんしゃい」


ぎゅっと絞ったタオルを真っ赤な頭に乗せれば、ブン太は目を丸くした。
ふふ、わたしたちが落っこちたことに気をとられて、タオルのことなんか忘れてたらしい。


「…もし、」

「ん?なに?」

「もしおまえらが風邪引いたら、俺が看病してやるから」


風邪引くなら、安心して引け!
頭のタオルをおさえてニッと笑ったブン太に心なしか安堵して、わたしはひとつくしゃみした。



  


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