ラリー練習のあとはちょっと休憩のはずだから、今なら話しかけても大丈夫だよねきっと。
ポケットに入れた携帯にそう思いながら彼の元まで歩いた私は、
「柳生くん」
あくびの拍子に涙が出たのだろうか、目元に指を当てている彼に声をかけた。
「…谷岡さん、どうかされましたか?」
「寝不足?あくびしてたけど」
「ああすみません、私としたことがそんな姿をお見せしてしまって。夜中に一度目が覚めてしまいまして、それからしばらく眠れなかったんです」
「そっか。疲れたらちょこちょこ休憩して、水分たくさん摂ってね」
「はい、ありがとうございます」
柳生くんがあくびしてるところなんて初めて見たから少し驚いたけど、そうだよね、柳生くんも人間だもんね。
そう思いはするけど、もし柳くんがあくびしてるところを見ても、私はまた同じことを思いそうだ。
なんて考えていると、突然柳生くんが私の背後にまわった。どうし、
「……!」
どうしたんだろうと思う間もなく、いきな、り、抱きつかれた。
え、なに柳生くん、どうしたの突然、熱でもあるの、体温計持ってこようか?
そう言おうとしたはずなのに、
「まー くん、?」
無意識に出た言葉に素早く口を覆い、それと同時に柳生くんの腕をほどく。
何やってるんだろう私、本当意味わかんない。
そう思って謝ろうとしたら、
「すぐにわかるなんて、さっすが俺の芽衣子ちゃんじゃ」
「は、?」
柳生くんから、まーくんの声がした。
「え、どういう、「仁王くんッ」
「…え、は?え?」
ものすごい勢いでこっちに向かって走ってきたまーくんが、柳生くんの頭を軽くたたいた。
え、柳生くんがまーくんの頭を叩くのは数えきれないくらい見たことがあるけど、まーくんが柳生くんにそんなことするの初めて見たよ。
っていうか、今まーくんが「仁王くん」って、
「私の姿で好き勝手するのはやめてくださいと何度言えばわかるんですか」
「痛いのう…乱暴するなんて紳士の名が廃るぜよー」
「そう仰るなら、その紳士の姿で谷岡さんに抱きつくなどといったことはやめていただきたいのですが」
待って、意味がわからない、色々と。
まーくんが敬語で、柳生くんがまーくんと同じ喋り方で、でもそれぞれの声で喋ってて……えっと、どうしたの。
あ、もしかして中身入れ替わっちゃったの?2人で頭ゴツンって、「ほら、芽衣子が混乱しとるぜよ」
「え、」
「ああすいません谷岡さん。私たちは今入れ替わっているんです」
「ごめんついていけてない」
まーくんの姿をした人が、柳生くんの声で、敬語で喋ってる。
けどもし中身が入れ替わってるんだったら声帯とかは変わらないだろうし、……あの、入れ替わったってどういうこと。
「あれ、また入れ替わってんのか?」
「ジャッカルくんッ」
助かった、何かよくわかんないけど助かった。
突然現れた仏(もはやその域である)に声をかければ、「はは、驚いてるな」と彼が笑う。
「つか仁王、その姿で谷岡に抱きついたのかよ」
「わかるんかなーって思って」
「え、え?」
「でもまだちゃんと説明してないけ、このざまじゃ」
「ああ、そういうことか」
混乱する私をよそに笑うジャッカルくんと柳生くん(?)。そして呆れたようにため息を吐くまーくん(?)。
あの、誰か、助けてくれませんか。
「まあ簡単に言うとな」
「は、はい」
「仁王と柳生はたまにこうやってお互いに変装してるんだ」
「へん…そう、?」
「芽衣子、芽衣子」
ジャッカルくんの言葉にたくさんのクエスチョンマークが浮かぶ中、まーくんの声をした柳生くんが、私の肩をとんとんと叩く。
そして彼を見れば、
「伊達眼鏡じゃ。度入っとらんし、目も俺の目じゃろ?」
「わ、あ」
それは確実に、見慣れたまーくんの目だった。
今まで眼鏡で気付かなかったけど、こうやって見てみると、柳生くんって案外目つき悪かったんだね。
「すみません、驚かせてしまいまして。試合などの時に相手の目を欺くため、たまにこうして入れ替わっているんです」
「へえ、そうだったんだ」
「まあ初めて見た奴はみんな気付かないから、お前も気にするなよ」
「…?」
いや、私気付いたよ?なんとなくだったけど。
そう思いながら、それにしてもよく似てるなあ、と柳生くん(に、変装したまーくん)の髪を触れば、彼が口を開く。
「芽衣子は気付いたぜよ」
「え、そうなんですか?」
「ん、抱きついたらすぐに『まーくん?』って」
まーくん……がそう言えば、私の目の前にいた柳生くん、とジャッカルくんが、目を丸くしてわたしを見た。
「谷岡さん、気付いたんですか?」
「気付いたっていうか…無意識にまーくんを呼んでしまった」
「すごいな、いとこなだけあるってことか」
「でも何でわかったんじゃ?」
「えっと……たぶん、匂い」
体の匂いだと思うけど、何か、まーくんだった気がする。
そう言ってまーくんの姿をした柳生くんに寄れば、…うん、やっぱりまーくんの匂いじゃない。知らない匂いだ。
「愛じゃな」
「慣れですよ」
「あーいー」
「何でもいいけど、入れ替わってる時は極力私の前に現れないでね」
「なん芽衣子、反抗期か」
何言ってんの、馬鹿じゃないの。
突然意味のわからないことを言ったまーくんに、私は小さくため息を吐いた。
「まーくんはまーくんじゃないと、何か嫌だ」
それじゃあ私、戻るから。
何だか釈然としない気持ちのままそう言って、3人に背中を向けた。
彼に宍戸くんから頼まれた飴を渡し忘れたことを思い出したのは、それから数分後、彼らの試合が始まってすぐのこと。