「アリサなんか食いもん持ってねーのかよ」
「だから持ってないっつってんじゃん」
「はあ?持ってきとけよ」
「意味わかんない。自分で買えよ」
毎日のようにされる丸井のおねだりを、今日もあたしはスルーする。
右手には携帯、左手には長くミルクティー色の髪の束。
くるくると指に絡まる髪は、いつもと同じ32ミリのコテで今日もきれいに巻かれてる。
「あーあ、面白いことねーかな」
「仁王のとこ行けば?どこ行ったのか知らないけど」
「だめ、あいつ食いもん持ってねーし」
「あたしも持ってないんだけど」
携帯をいじる手を止め、目の前の丸井のほっぺをつつく。
爪いてーよ、という声に自分の指先を見れば、薄いピンクとラメがきらきら光った。
「でもアリサ甘いにおいすんじゃん。香水つけてんの?」
「んーん、ボディクリーム」
「何それ」
「乾燥しないようにお風呂上がりに塗ってんの。ちなみにバニラね」
「へー」
言われてみればバニラだな、とあたしの左手をつかんだ丸井が呟く。
「何しとんじゃー」
「おわっ」
「あ、仁王だー」
「ちっす」
「ちっす」
っていうか朝も挨拶したじゃん。
丸井にのしかかった仁王にそんなことを思いながら2人を眺めていると、どけよ!と騒ぐ丸井からすっと離れた仁王は、あたしの隣の山本くんの椅子に座った。
「また2人でいちゃいちゃしとったんか」
「そうそう」
「してないよ」
「俺も混ぜんしゃい」
「してないっつってんじゃん」
仁王はあたしの髪をひと束とって、くるくると指で遊ぶ。
せっかく巻いたのに取れちゃわないかな、と心配になったけど、カールの方向どおりに遊んでるようなので放っておくことにした。
「つかさ、お前毎日化粧にどれくらいかかんの?」
「何いきなり」
「確かに時間かかりそうじゃのう」
「そうでもないけど」
あたしの顔をじっと見てそう言った2人は、男の子ならではの好奇心に満ちているらしい。
別にそんなにかかんないんだけどなあ。
「30分くらいだよ」
「髪は?」
「20分くらい」
「そんなかかんのかよ」
「みんなそんくらいだと思うけど」
ちょうど化粧の話になったからと、鏡を取り出して化粧崩れをチェック。
体育とかしてないからそんな崩れてないだろうけど、たまにつけま剥がれかけてる時とかあるんだよね。
「相川とかそんなかからんじゃろ」
「相川って誰?」
「窓際の一番前にいんじゃん」
「あー…あの子はカジュアルな感じだからそんなかからなそうだね」
窓にもたれて数名の女の子と談笑する相川さんは、あたしたちの視線に気付き不思議そうな顔をした。
うん、やっぱ時間かかんなそう。まったく化粧してないわけじゃないけど結構薄めだからね。
「あ、いいこと思いついた」
「何じゃ?」
「アリサ今度すっぴんで来いよ」
「は?普通に無理だし」
「顔が出来るまでの行程見てみたいのう」
「言っとくけど、あたしすっぴんでも二重だし目も小さくないから」
眉毛だってちゃんと自前、と脱色して色の薄い眉毛を、前髪をあげてちらりと見せる。
2人してつまんないって顔すんなよ。
「まつげ重くねーの?」
「慣れてるもん、重くないよ」
「マスカラやる時ってやっぱ口開くんか」
「…丸井、あたし普段開いてる?」
「開いてねーよ」
よかった。意識してないとこだけにちょっと焦ったけど、開いてなかったらしい。
でも確かによく言うよね、女がマスカラ塗ってる時の顔はアホみたいって。
「あ、」
「何?」
「あ、さんぼーじゃ」
そんな会話をしていると、丸井がドアのほうを見て声をあげた。
それにつられてあたしもドアの方向に振り返ると、
「突然すまないな」
「ええよ」
「んー」
「…少しの間、仁王と丸井を借りて構わないか?」
背が高くて、キリッとした目元が涼しげな人。
ほのかに香ってくる匂いは、あたしに馴染みこそないものの、何だか上品な感じがする。
「アリサ?」
「えっ、あ、何?」
「俺ら借りられてもええ?」
「 あ、うん。いいよ」
仁王の声に、遠くに行っていた意識が戻される。
借りられてもいいかなんてわざわざ聞くことでもない気がする、けど。
「で、何?」
「部活の時でもいいんだが、一応伝えておこうと思ってな」
「何かあったんか?」
「今度の練習試合の相手が青学に決まった」
優しい声と、穏やかながらも真面目な口調。
ついさっきの言葉からも、気配りが出来る人だということがよくわかる。
「場所は?あっちに行くんか?」
「いや、今回はうちでやる。練習メニューなど参考にしたいそうでな」
「それっていいのかよ?」
「あちらに有益になる部分は見せないさ」
小さく笑った彼と、口からこぼれる一言一言に、胸がどくんと高鳴るのがわかる。
丸井と仁王も何かしゃべってるけど、よく聞こえないのはなぜだろう。
「詳しいことはまた後で話そう」
「おー」
「じゃあの」
「では失礼しよう。 邪魔してすまなかったな」
ちらりとあたしのことを見て、そう言った彼は去っていく。
心のどこかで名残惜しいと思っているのは、もしかして、もしかして。
「青学かー、俺、」
「ねえ、今のってテニス部の人?」
「え、ああ、そうだけど」
丸井の言葉をさえぎって聞くと、2人は少し驚いた表情をした。
突然何だと思われてるんだろうけど、聞かないわけにはいかないんだよ。
「名前は?」
「柳、だけど」
「下の名前も」
「蓮二」
「何じゃ急に」
ほらきた。
不思議そうな顔をした仁王は、またあたしの髪をいじる。
「なんでも、ない」
確実じゃないなんて嘘は吐けない。
けど今は、柳くんのことを思い出すには顔が熱すぎた。