Cappuccino | ナノ


ああ疲れた、本当に疲れた。
けれどその疲労感すらどこか心地よく感じるのは、どうしてだろう。


「ったくお前、せっかく柳から借りられらたってのに何やってんだよ」

「…何の話?」


長かった英語の時間がやっと終わったかと思えば、目の前の丸井が呆れたような表情で振り返って言った。
何言ってるんだこいつ。


「だーかーら。せっかく電子辞書借りられたんだから、堪能しときゃよかっただろって言ってんだよ」

「……? ごめん、意味わかんない」


まじで何言ってんの。
そう付け加えて言えば、丸井の眉間にわずかに皺が刻まれた。


「アリサ今日は珍しく起きてたのう」

「おお仁王、すごいでしょあたし」

「英語の時間に寝とらんアリサなんて初めて見たナリ」


背後からやってきた仁王が、あたしの頭に手を乗せて言った。
ふふん、そうでしょうそうでしょう。だからめっちゃ疲れた気がするんだけど、不思議と嫌じゃないんだよね。


「…は?お前起きてたの?」

「起きてたけど」

「まじかよ、俺てっきりいつも通り寝てるもんだと思ってたわ」


ああ、だからもったいない的なこと言ってたのか。
丸井の意味のわからない発言にやっと納得がいったけど、どんだけ失礼なんだこいつは。


「めっちゃ勉強してたよ、せっかく借りられたんだから」

「…すげーな、恋の力って」

「…うるさい」


確かに英語の時間はいつも寝てたあたしだけど、柳くんに少しでも近づくためには、寝るわけにはいかなかった。
まあ寝ようと思っても寝られなかったんだけどね。


「んじゃ、返しに行って来いよ」

「…え、あたし1人で?」

「行ってみんしゃい」

「ちょっ…無理無理、無理だから!」


電子辞書を眺めて考えていたあたしにそう言った2人。
さぞにやにやしてるんだろうと思いながら顔を上げれば、2人はこれっぽっちも嫌な笑顔なんて浮かべていなくて。


「(…あたしのために、なんだろうな)」


2人きりになるのに慣れた方がいいだとか、2人きりにしてやりたいだとか。
何を思ってそう言ったのかはわからないけど、


「…行って、くる」


緊張するけど、応援してくれてる2人のためにも。
ニッと笑った丸井と頭を撫でる仁王に心の中でお礼を言って、あたしは1人、席を立った。



******



「えーと…」


F組の前にやってきたはいいけど、柳くんの席はどこだ。
せめて丸井たちにどの辺かだけでも聞けばよかった、とため息を吐きながらF組を見回す。


「んー…」



ぐるりと見渡してみたけど、お目当ての柳くんの姿は見えない。
あたしが見逃してるのか、はたまたどこかに行ってしまったのかはわかんないけど―…


「水島?」

「っ、」


背後からかけられた突然の声に、肩が大きく震える。
こ、この声は…!


「やなぎく、っ」

「…ああ、すまないな。すぐに来るとは思わなくて席を離れていたんだ」

「い、いやいや…全然、へいき」


どうしよう。
突然声をかけられたっていうのと、丸井たちがいない2人きりっていうこの状況に、ドキドキしちゃってうまく話せない。
こんなチャンスそうそうないかもしれないし、もっとちゃんと話したいのに。


「役に立てたか?」

「え?」


いきなりの問いかけに柳くんの顔を見れば、いつもと同じ穏やかな笑顔で、あたしが抱きかかえるようにして持っていた電子辞書を見ていた。
…あ、あああッ!


「ごっ、ごめん!ありがとっ」

「ん?」

「あの、えっと…すごく役に、立った」


ありがとうともう一度付け加えれば、相変わらずの微笑みで「ああ」と言ってくれた。
他人に自分の私物を抱き締められてるってどんな気持ちだろう、と考えて押し付けるように渡したけど、柳くんはそんなこと気にしてなかったらしい。よかった。


「それじゃあ俺は、」

「ッあの、っ」


無意識のうちに出ていた声は、きびすを返して教室に戻りかけた柳くんの足を止める。
…あああああああ、どうしようッ。もっと話したいからとかって気持ちばっかが先行して呼び止めちゃったけど、何話したらいいんだッ。
考えろあたし、普段から大して頭なんて使ってないんだ、こういう時に使わなくてどうすんの!


「どうした?」

「あ、えっと、…あのね、っ」


考えろ、考えろ。
呼び止めたことを納得してもらえるほどの言葉、そしてできることなら、次につながるような言葉。
…ッあ、そうだ!


「えっと、柳くんの電子辞書、あたしのやつよりも全然使いやすかったから」

「から?」

「えっと、その…」


頑張れ、頑張れ。勇気を出せ。
破裂しちゃうんじゃないかってくらいうるさい心臓に気付かないふりをして、意を決して口を開く。


「また電子辞書、貸してもらえない かな」


もちろん忘れないようにする、けどもし忘れたら、貸してもらいたいの。
徐々に声が小さくなるのを感じながらも、何とか柳くんに聞こえる程度の声で言い切った。
でも、どうしよう。顔を上げるのがすごくこわ、


「水島」

「っあ、はいッ」


突然の呼びかけに声が裏返りかけたけど、無意識のうちに見てしまった柳くんの顔は、いつもとまったく同じで。


「俺が何か忘れた時も、頼んで構わないか?」


ああ、やっぱり。


「…うん、っ」


あたしは柳くんのことが、大好きだ。

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