「ご機嫌麗しゅう、生徒諸君!今日もしっかり勉学に励んでくださいね☆」


 今日も学内に快活な声が響き渡る。廊下に反響するその声につられるように顔を上げれば、目に入る白いマントと鮮やかなピンクのブーツ。同じ白の校舎の色にも決して溶けない、確かな存在感がそこにはあった。

 声の主であるフェレス卿は踵を慣らしながら、すれ違う生徒たちに笑顔を向けたり、女性との学生カバンについたキャラクターもののキーホルダーに異常なほど食いついたりと忙しそうだ。まぶしい笑顔は目の下の隈のせいで少々不気味ではあるが、何か企んでいるというわけでもない、純粋に人間界を楽しんでいる表情だった。

 廊下の奥へと消えていく後姿をしっかりと見送ったわたしは、両手に抱えていた教科書を再度確認して、次の授業がある教室へと向かって足を踏み出した。





 夜。

 ほとんどの学生が寮に帰る頃、わたしだけはその生徒たちの流れに逆らうようにして歩いていた。カバンや制服もそのままに、向かうはフェレス卿の私室。


「佐藤です」


 扉の傍に控える男の人に軽く頭を下げて、わたしは扉をノックした。すぐに短い入室許可が返ってくる。


「失礼します。今日も1日おつかれさまでした、フェレス卿」

「・・・」


 毎日繰り返す同じセリフ。社長室のような机に向かうフェレス卿は、わたしをチラリと一瞥しただけで、特に口を開くこともなくプリントの山を指さした。ただいま準備いたします、と小さくこぼして頭を下げる。

 わたしはフェレス卿の従者。日のあるうちは学生として過ごしているが、夜になるとこうしてフェレス卿の部屋に訪れ、夕食や仕事の手伝いを主に様々な身の回りのお世話をさせていただいている。彼の正体こそ知っているものの、崇高なる悪魔の計画や狙いはわたしにはさっぱりだ。けど、別にそれに不満はないし、特に知ろうとも思わない。わたしは現状にとても満足していた。

 上着を脱いで部屋のすみにあるハンガーにかける。カバンも、わたし専用となっている小さな棚におさめ、代わりにそこに丁寧に畳んでいれてあった小さな白いエプロンを取り出し素早く身につける。

 完全に学生モードから従者へと切り替えたわたしは、すぐに紅茶の準備を始めた。高級そうなカップを慎重に扱う間にも、フェレス卿は仕事に向かっているらしく、ペンが紙を滑る音が耳に心地よい。彼の書く字はとても綺麗だ。絵の方は、ちょっと問題があるけれど。

 出来上がった紅茶をどうぞ、と机の上に置いても、フェレス卿は何も言わない。いつものことだ。ふと朝に見た、笑顔で生徒に愛想を振りまく彼を思い出す。今その面影は全くと言っていいほどない。別人のような冷めた顔。わたしはそれが悲しくもあり、同時に嬉しくもあった。


(わたしだけの、フェレス卿。)


 ひそかな優越感に鼓動を高鳴らせ、わたしは彼が書き終えた書類をページ順に並べていく。指が震えるのは、夜風に冷えてしまったせいではないだろう。

 この気持ちは、普通ではないのかもしれない。特別と感じるのは、常識的に自分にだけ優しいとか、甘いとか。そういうことを言うのだろう。でも、わたしの場合は逆だった。いつも笑顔で派手好きなフェレス卿が、こうして私室にこもればあっという間に表情は消え、愛想どころか従者には最低限の言葉しかかけない。その瞳には、何か奥深い感情と複雑な思考がうずまいている。当然わたしには決して笑顔なんて向けてくれない。

 だけど、わたしはそれでよかった。目の前にいるフェレス卿は、こうして短い夜の間だけ、わたしのものだから。他の学生たちは知らない、本当の、悪魔としての―――――





わたしだけの

ペンが生み出す綺麗な筆記体を見つめながら、わたしは今日もフェレス卿の部屋で朝が明けるのを待つ。





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お久しぶりです、春野です。季節はだんだんと温かくなりますが、個人的に冷たいフェレス卿が好きです。

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