美容院に行って、髪を染めた。少し明るい色合いになったせいだろうか、初夏の熱気にやられ、じっとりと汗を吸い込んでいた襟足が軽く感じる。首元を吹き抜けていく風が涼しい。

 すこしだけ髪をすいてもらったので、実際に軽くなったものあるだろうけど、1番は気分の問題だと思う。だって、すごくワクワクしてる。高校までは髪を染めちゃいけなかったから、ずっと染めてみたいって思っていた。それが、今こうして叶ってる。女子力アップ、なんて、単純な考えかな。

 その翌日、つまり今日は、学期末。明日から待ちに待った長期休暇がやってくる。そりゃもう、軽いリュックに心が浮くような気持ちになるのも無理はないでしょ。

 面倒な早起きも授業も試験もサヨウナラ。わたしはこの染めたばかりの髪をなびかせ、休みを満喫してやるんだから!

 と、まあウキウキで講義の始まりを迎えたのはよかった。しかし、太陽が空をひととおり散歩して、影が長く伸び始める下校時刻には、わたしのテンションはすっかり下がりきってしまっていた。なぜか。それは単純な話で。


「・・・まさか、だれにも気づいてもらえないとは・・・」


 そう、髪を染めたことを誰にも気づいてもらえなかったのだ。

 まあ、確かにほとんど黒に近い茶色だけど!初めてで明るい色を入れるのが怖くって、確かにおさえめカラーにしましたけど。さすがに、いつも過ごしてる友達にまで気づかれないとは思わなかった。髪もすいたはずなのに。え、なに、わたしそんなに影うすい?

 ワクワクドキドキの長期休暇を目の前に、まさかの事態。わたしは溜め息を吐き出す。はあっ、絶望した。

 肩を落とすと、それにならうようにリュックの肩ひもが滑り落ちた。よっこらしょ、と背負い直せば、ずっしりとした重みにさらに気分も落ちていく。

 おかしいな、確かに朝背負った時は軽々しかったはずなのに。これも気分の問題か。なんて厄介なやつ。わたしだけど。

 背後から差すまぶしい夕日から目をそらし、広々した階段を降りていく。

 わたしの学校は正門がないから、ここを数十段おりれば敷地外だ。入学当初は開放的でかっこいい!なんて思っていたが、この憂鬱な気分のせいで、小さな段差にさえ足が重い。

 もう、早く帰って夕食を適当に作って、休みの間の日程を立てよう。久しぶりに、高校のときの友達にも会えるはず。気持ちを切り替えるためにも、自分に言い聞かせた。そんな時。


「明日から休みだというのに、すっかりローテンションですね。佐藤さん?」

「・・・・あ、理事長」


 風に乗って耳へと届いた声に、ほぼ無意識に振り返る。今くだってきたばかりの階段の頂点に、わたしの暗い気分には全くふさわしくない、明度も彩度もドドンと高い衣装をまとった男が立っていた。説明は必要ないと思うけど、あれはメフィスト理事長だ。なにをどう見ても理事長だ。

 理事長も、もう帰りなのかしら。しかし、わたしが何か尋ねる前に、彼は大仰な動作で口元を歪めた。手袋をつけた右手を、あごにそえてキラーンみたいなポーズをしている。


「ははーん。わかりましたよ、あれですねえ? 長期休み中にみんなに会えなくて寂しいっていうやつですね! ・・・ああ、もちろん、"みんな"の中には私も含まれています☆」

「・・・・・・はは」


 よくわかんないけど、理事長は元気だなあ。わたしよりはるかに年上のはずなのに。

 ・・・え、いや、でも実際理事長って何歳なんだろう。若いと思えば若く見えるし、でも時折見せる、全てを見透かした視線には年齢などという概念をこえた憂いが映る。というか、まず人間かどうかも怪しいし。だって、こうして突然あらわれたりするんだから。

 余計なことを考え出した頭を振り、わたしは理事長に向かって愛想笑いをこぼした。


「まあ・・、せいぜい体調くずさないように気をつけることにします」

「確かに、生活習慣がかなり変わってしまいますからね。また休み明けに、元気な貴方の顔が見れることを願っていますよ」

「ありがとうございます。・・それじゃ」


 別れの言葉を放ち、背を向けて階段を下っていく。そっか、友達だけじゃなくて、先生や理事長と顔を合わせるのも、またしばらくお預けなんだ。

 そう考えると、やっぱり学校っていうのは楽しいものだなって思う。早起きさえなければ最高なんだけど・・・・


「あ、それと」


 理事長が呟くようにもらした声に立ち止まり、今度はきちんと自分の意思を持って振り返る。

 赤くなり始めた太陽が理事長の背後にギラついていて、彼の姿は逆光になっていた。表情が見えない。わたしは夕暮れ時の太陽のまぶしさに、思わず目を細めた。


「似合ってますよ。その髪色」


 時が止まったかと思った。

 ひときわ強い風の音で、わたしは我に返る。我に返っても、理事長のひとことが、頭の中に反響していつまでも消えない。

 いったい彼が言葉を発してから何秒経ったのか、むしろ数分は過ぎたようにも感じた。

 視界はいつもと変わらないはずなのに、どうしてか、見えるのは太陽に背を向けた理事長の輪郭だけ。まわりの木々がざわめくのは聞こえるのに、その情報はすべてわたしの頭を通過していく。優しさを含んだ彼の言葉だけが、わたしの体中に満ちていく。

 今、わたしは確かに現実にいるのだろうか。

 わたしは、ぽかんと少し口を開けたまま突っ立っていた。なにか言いたくてしかたがないのに、思考がぼんやりと揺れていて、うまく文章が組み立てられない。

 そうこうしているうちに、理事長は、それでは、と小さく言って踵を返した。逆光のはずなのに、わたしにはなぜか彼が笑っているように見え、ドキリとする。

 理事長が消えたわたしの視線の先には、ギラギラと赤い太陽が燃えていた。




夏の始まりの日のことでした
( この素晴らしい夏が動き出してほしいような、終わってほしくないような、甘酸っぱい気持ち。 )


------
王道キュン!最近は本当めっきり寒いですね・・・日中はまだまだ暑いですが。体調管理、みなさま気を付けましょうね〜

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -