夏休み。私は朝早くから、クーラーのない教室に閉じ込められていた。開け放った窓からは、生温く湿った空気が入り込むだけ。まだ日も上がりきってないのに、なんて暑いんだろう。 私がこんな思いをしなくちゃいけないのも、この補習のせいだ。 頭のあんまりよろしくない私は、期末テストで非常に残念な点数をとってしまい、この補習を受けることになったのだ。休んでやろうかとも考えたのだけど、友達の、単位もらえなくなるよの一声でその思いはすぐ投げ捨てた。 「あっつー…」 しかもそこにいるのは私1人。がらんとした教室の真ん中に陣取っていた。外からは蝉にまざって、よくわからない虫の騒ぎ声が聞こえる。 せめて友達がいてくれたら、無駄口を交わしながら、答えを一緒に考えたりできたのに。それも叶わない。ただペンを握っては回し、プリントとにらめっこ。そしてまたペンを放り出しては伸びをする。 「はあーあ、早く帰りたいなあ」 「なら、さっさとそのプリントを終えてしまいなさい」 「ひっ」 伸ばしていた腕を慌てて引っ込める。恐る恐る見上げると、私に補習を押しつけた元凶がいた。 「ふ、フェレス先生…」 この男は、メフィスト・フェレス先生。名前からして外国人みたいなんだけど、実際よくわかんないし、年齢もさっぱり読めない。まさに謎の人物。 でも顔は整っているということで、生徒からは人気がある、らしい。私はあんまり興味がないのだけど。 「全く…いつまでかかるんですか。その問題は基本中の基本レベルですよ。――それに、」 長身を折るように曲げ、ずい、と端正な顔を近付けてきた。香水だろうか、お菓子のような甘い香りが広がる。 「2人きりの時は、メフィストと呼ぶように言っただろう?」 耳を通り越して、直接脳に届いたんじゃないかと思うくらいに無駄にいい声が掠めた。ああ、なんだろう、これ。思わず身を委ねて、どこまでも堕ちてしまいたくなるような、甘い誘い。フェレス先生が人気な理由が分かった気がする。 だけど、 「…先生そんなこと言ってませんよね?」 初めて言われましたけどと私が言うと、先生は深い溜め息をついた。 「貴女は何もわかってませんねえ…」 先生は向かいの椅子をひいて、大袈裟に両手をあげる。机の向きをくるりと変え、まるで面接の時のように向かい合わせに並べた。ひいていた椅子をセッティングして、フェレス先生は席につく。 「普段は敬語を使うことで周りに悟られないよう振る舞い、そして2人きりになった時ようやく愛しい人を名前で呼べる…。これぞ、禁断の恋の鉄則でしょう☆」 先生がウインクをすると、ちっちゃい星が飛んできた。これ、なんて魔法? そのちっちゃくて理解不能な星は、私の頭の上で跳ねて消えていった。禁断の恋、ねえ。 「別に私、フェレス先生のこと好きじゃないし…」 「なん…だと…!?」 私の言葉にショックを受けたのか、フェレス先生は目を見開き、しょぼーんと呟きながら机にうなだれた。 私は再び問題の並んだプリントに視線を落とす。早く終わらせて帰ってアイス食べよう。そんなことを考えながらも、頭の片隅には、さっきの先生の言葉がぐるぐる回っていた。 ただの興味本位というか、特に深く考えず、私は口を開いた。 「――メフィスト先生」 ちょうどわかんない問題あったし、今のうちに聞いておこう。望み通り呼んであげたのに返答はないが、先生がぴくりと動いた気配がしたので、目線は落としたままで言葉を紡ぐ。 「これ、ここ問6なんですけど。どこをどう捻っても答えが…って、先生。聞いてます?」 問題を指差しながら顔を上げると、ぽかんと口を開けた先生が目に入った。 私が声をかけると、ようやく先生はハッとしたように瞬きをした。不審に思って顔を覗きこんだら、すぐに視線を逸らされた。どうしたんだろ。 「い、いえ、何でもありません…。や、まさか本当に呼ばれるとは…」 先生は慌てたように首をぶんぶん横に振り、小さな声でごにょごにょ言っている。突然どうしたんだろう。逸らされた視線を再び合わそうと、身を乗り出す…って、あれ。もしかして。 先生、顔赤い? それに気付いた瞬間、何故か胸がきゅんと締めつけられた。少し息が苦しくなったような気がして、心臓がバクバクうるさい。まさか、先生…照れてる? 先生の顔の赤が、私にもうつったような気がした。 この心拍数の理由を (教えてくれますか、先生) - - - 弟に続き呼び方の話。教師メフィストさんとか危ない香りしかしない |