薄暗い地下への階段を、カツカツと踵を鳴らして降りていく。お世辞にも整備されたとは言い難い素材むき出しの段差に翻弄され、何度か足がカクリと震えた。そのたびに、手に持ったトレイに乗った料理がこぼれていないか、慌てて手元に注意を払う。わたしはスープから湯気がたっているのを確認して、ほっと息をついた。

 冷たいタイルの床の上を、さらに闇の深い奥へと進み、目的の部屋の前に着いたところで、はて、困ってしまった。ガタガタの石造りの階段に翻弄されつつ、なんとかここまで料理を運んできたものの、どうやってこの目の前の重厚な扉を開こうか。いったん料理を置くにしても、台になりそうなものは見当たらない。床の上なんてもってのほかだろう。おそらく中に部屋の主はいるだろうけど、もしかしたら鍵がかかってないとも言いがたい。

 声をかけてみようかな。そう思って、ドアにむかって軽く息を吸った時だった。


「・・・・入れ」


 おもむろに扉が開き、部屋の主ことジョーリィの声がかかった。抜群すぎるタイミングに驚きつつも、なんだか彼にはこれくらいのこと造作もないことだと思えてしまうわたしもいる。トレイをしっかり持ち直し、わたしは開いた扉の隙間に身をすべりこませた。


「ありがと、ジョーリィ。夕食もってきたよ」

「・・・君は、もう食べたのか?」

「え?」


 相変わらず灯りは少ないし、あちこちに本が山積みになっている。視線をめぐらしようやく見つけたスペースにトレイを置けば、さっきまで扉付近にいたはずのジョーリィが至近距離に立っていた。扉はいつのまにか閉じられている。あまりの近さで背の高い彼に見下ろされるようになり、圧迫感ですこしだけ息が苦しくなった・・・気がする。

 す、とジョーリィの黒い手袋をつけた指が、わたしの頬にふれた。いきなりのことに頭がまわらず、わたしはただ無言のままその指に翻弄される。触れるときは、いつも手袋をはずしてほしいって言ってるのに。場違いな不満を心の中でもらしていると、頬の撫でるように滑ったジョーリィが指が、そのままわたしの唇の端にたどりついた。敏感な場所に触れられたことで、反射的にびくりと体が跳ねる。こればっかりは、黙っていられなかった。


「っ、ジョーリィ・・・?」

「君はもう夕食をとったのか、と聞いている」

 暗い室内にいるせいで、サングラスの奥の瞳が見えない。ジョーリィの考えていることもわからず、質問の意図さえわからず、視線をさまよわせることしかできないわたし。でも、何か答えないといけないっていうのは、経験上学んでいて。このまま黙っていると厄介なことにしかならないよって、どこか頭の隅で警告音が鳴り響く。必死に自分を落ち着かせ、ゆっくりと記憶をたどりながら言葉を紡いだ。


「ええと・・・。わたしは、さっき外食してきたから・・・」

「ああ、知っている」

「な、」


 唇をなぞられ、妙な熱がわたしを支配し始める。

 自分で聞いておいたくせに既に答えを持っていたという不可解な錬金術師は、いつもの笑みを捨ててわたしを見下ろしていた。その冷めた表情とは裏腹に、ただ彼の指だけが熱っぽく、わたしの体温をあげていく。部屋の奥で、水槽か何かがコポリと泡を鳴らした。


「さきほど、パーチェが嬉しそうに大声で言っていたからね。君と一緒に食事をすると、いつもの百倍うまい、・・・と。ルカたちとバールにでも行ったのだろう?・・・私に何も告げずに、ね」


 言い終わると同時に、ようやく男の口元に笑みが現れた。しかし、それはいつもの人をからかうようなものではなくて、自嘲的な苦みを含んだ笑み。わたしは、はっとして目を見開く。ジョーリィの苛立ちの原因に気付いたのだ。確かにいつもなら、外出時にはジョーリィにひとこと告げてから出かけるのだが、今日は巡回が終わった流れでそのまま食事に向かってしまった。だから、何も報告はしていない。やってしまった。

 ジョーリィは、一度不機嫌になると抑えるのが大変だ。この男は、わたしなんかより遥かに長い時を生きているだろうに、中身だけはいつでも子供っぽい。幼い少年がふてくされるように、甘く見ていたら数日は部屋に立ち入り禁止。ひどいときは口を聞いてもらえなくなることもあった。

 さて、なんと言って彼の怒りをおさめたものか。ひとり、逃げ道と言い訳に思考を費やす。すると、唇に触れていた指が静かに離れていった。


「・・・・・・はあ」


 続いて聞こえる溜め息。わたしがすぐに返答しなかったから、いよいよ本当に怒ってしまったのだろうか。また口を聞いてくれなくなる。視線を合わせてもらえなくなる。ま、まさか見捨てられるなんてことも・・・。

 わたしは慌てて、背を向けたジョーリィにすがるように上擦った声をかけた。


「あ、あのね。ジョーリィ。今日は急なお誘いだったから仕方なくて・・・あ、も、もちろん反省はしてる。ごめんなさ・・」

「謝らなくていい」

「・・・?」


 とげのなくなった声音に、うつむきかけていた顔をあげる。ジョーリィは、わたしから離れたところに置かれたソファに深々と腰を下ろしていた。気だるげに視線を下げている。


「ジョーリィ・・・?」

「・・・いつも、私ばかりだな」

「なに、が?」

「ククク。・・・動揺はミスを生む。だからこそ、いつも冷静にいようとしているはずなのにな。しかし君だけには、俺はいつも翻弄されてばかりだ」


 自嘲気味な響きを含む、その言葉。実験に行き詰ったときのように、ジョーリィは癖のある髪を手でぐしゃぐしゃにかき乱す。ぽかん、と口を開けていたわたしだが、ゆっくりと彼の言葉をかみ砕き、さらにゆっくりと答えを導いた。


「嫉妬、してくれてたの?」


 わたしの一言が、静かな室内に反響する。この部屋には、時計の音もない。ただ、遠く奥のほうで水の流れるような音がコポコポと空気を揺らしているだけ。その静寂に染まるようにジョーリィは、ソファに体をあずけたまま黙っている。こちらに視線をやる気配はない。無言は、つまり肯定ととってしまっていいのだろうか。わたしは、珍しく繊細で素直な彼の言動に、胸が熱いものでいっぱいになった。


「・・・くだらなくなんかないよ。むしろ、嬉しい」

「嬉しい、ねえ。クク、君が俺を嫉妬させる喜びに目覚めてしまうとは・・・今後が心配だな」

「・・・嬉しいけど、でも、不安にさせてごめん」


 その暗いサングラスのむこうにあるであろう、瞳を見据えて言葉を紡ぐ。


「・・・そうだな。確かに、私は不安だったのかもしれない。何しろ、お陰で実験は失敗続きだったからね」

「えっ、そ、そんなに?」


 温かい気持ちで溢れていたところに、思いもよらぬことを言われ、動揺する。ゆるんでいた表情がサッと青くなったのが、自分でもわかったくらいだ。あ、あのジョーリィが、わたしがルカたちと食事をしたくらいで実験を失敗?まさか?

 これはよっぽどな大事件だぞ、と心臓が脈打ちだす。どくどくと大騒ぎする脈とは裏腹に、体温が奥の方から冷えていくような心地。やっぱり、ジョーリィは相当怒っているんだろう。どうやって謝っていいものか・・・。わたわたと頭をかかえていたわたしは、ソファの彼の口元に、いつもどおりの笑みが浮かんでいることに気付かなかった。


「そうだ・・・だから、華子」

「ご、ごめん!本当にごめんね!次からは絶対・・・」

「責任は、とってくれるのだろう?」

「・・・はい?」


 ククク、と喉の奥で声を震わせた彼に、動揺していた心が別の意味で高鳴りだす。ぱっと顔をあげたら、見慣れたいつもの皮肉めいた表情と、わたしをまっすぐ見つめる視線。


「俺を不安にさせた、その穴埋めはしてくれるのだろうと言っているんだ。なあ、華子・・・わかるだろう・・?」


 視界が狭くなる。まるで、魔法をかけられたみたい。彼しか、目の前のジョーリィしか見えない。

 ふらふらと、その幻想のような男に手を伸ばす。机の横を通りすぎるとき、指先が食器に触れてカチャリと音をたてた。湯気のたっていたスープは、もうすっかり冷めてしまっただろうか。そんなことが一瞬頭をよぎるが、熱っぽい思考はそんなことをすぐどこかに捨ててしまった。


「・・・おいで」


 鼓膜をゆらすのは、甘くかすれた愛すべき人の声だけ。




君の体温がいちばんに優先

( わがまま、どちら? )


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お待たせしました!リクの嫉妬ジョーリィ夢です。ジョーリィのたくみな駆け引きに翻弄されたい。そして、中の人おたんじょうびおめでとうございますー!(2012.8.12)

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